昔のゲームボーイを彷彿とさせるサウンドを制作しました。
今日は休みで明日は仕事。これは上司が決めたこと。 土日祝日は休み。世間が決めたこと。 「ここはこうしなきゃ」これは会社が決めたこと。 働かなければならない。これは社会が決めたこと。 24を数えて「一日」と言う。これは誰かが決めたこと。 365を数えて「一年」と言う。これも誰かが決めたこと。 1/365を「日常」と人々は言う。平凡な響き仕立て上げた。 全部、全部、誰かが決めたこと。どっかで決めないと埒が明かない。 だから従うんだ。言うとうりにするんだ。それが正解
「将来の夢はなんですか?」 そんなことをよく聞かれた。思い思いの夢を語ると大人の人は喜んでなりたい自分に賛同してくれてた。その時応援してくれてることが嬉しかった。大人は正しい存在であり、自分の知らないことを知っていて、僕たち子どもに希望を与えてくれる人だった。 その存在がすごく大きくて、大人が羨ましかった。早く自分もそうなってみたいなと思っていた。 大学を出て、社会人になり、大人の仲間入りをして思った。 「あの頃のキラキラして見えた大人なんてどこにもいないじゃないか。
もう11月。今年も残り2ヶ月になってしまった。 時間が経つのが本当に早い。そしてこのままだとまずい。 あっという間になんの変哲もなく、20代後半、30代と時間が経過する未来が見える。 今まではなんらかの目標があった。中学時代は高校受験。高校時代は大学受験。大学時代は就職活動。 なんとなくの世間の雰囲気に流されたレールの上を進んだ結果、今の状況に至る。 でも、今までのどの自分を切り取っての敷かれたレールの上とは違うことをする勇気も考えもなかった。変わったことをするとは
今日は地域のお祭りに足を運んだ。 平日であるのにお客さんがたくさん訪れていてびっくりした。 自分もそのたくさんの一人か。 そんなお祭りに訪れてこんなことを思った。 出店やボランティア、祭りの実況をしているやステージで歌っている人、そのスタッフなど、お祭り一つでもかなりの人が携わって盛り上がっているということ。 「この人達もこうやって仕事してるんだよなぁ」 働いている人なんてのは、他人であり一人一人がどんな苦労をしながら仕事をしているかなんていちいち考えたりしない。
今日は疲れた。連勤最終日の残業2時間越えはさすがに疲れた。 疲労の中でやる業務は全く頭が働かなく、体だけが動いている感覚だ。 疲れがある程度の限度まで来ると面倒くさいという概念からコロっと転がり落ちていくイメージだ。面倒という感情がなくなってしまう。 これやって。あれやって。何を言われても感情が無のYesしか言わないロボットのようだ。 そんな感情が皆無に向かっている中で空腹が自分に呼びかけた。 「疲れた後の飯はうまいぞ」 そのささやきから会社帰りに回転寿司に行って
ここ3日前から筋トレを始めた。 筋トレを習慣にしようという試みは過去に何回もあった。 だがいつの間にかその習慣は消えていた…。 また始めて最近だから三日坊主になる可能性が大いにあると思った。 この三日坊主化を防ぐ為にはモチベーション持続の環境を作っていくことが必要じゃないかと思った。 思ったら即行動。 今日の仕事終わりにスポーツ専門店にいき、トレーニング用マットとプロテインを買った。形から本格的な環境を作り出して持続につなげる作戦だ。 今まではそのような筋トレ用
会社の人と接している自分。 会社の同期と接している自分。 大学時代の友達と接している自分。 親と接している自分。 親戚と接している自分。 赤の他人と接している自分。 自分自身と接している自分。 それぞれ違った自分がいる。 いくつもの仮面があり、その人その人に順応している。 八方美人とは違う。そうだと言われればそうだが自分はちょっと違うと思っている。 完全に相手に合わせた結果だと思う。自分をさらけ出すことに引け目を感じていた頃があった。だから自分はいつも「真
今日は夜遅い時間の帰宅だ。 晩飯を作る元気は全くない。近くのコンビニで晩飯を買う始末だ。給料がこの前入ったばかりだから、財布の紐が緩いのも仕方ない。と自分に言い聞かせる。 そして明日はまた早い。帰って色々したいと思ってもできないいう現実が教えてくれる。別に夜更かしをしてもいい。でも明日の仕事に響くことがわかっているから、早く寝るようにいつもしている。 ここでふと思った。自分はまだ20代前半、体力はまだ有り余っている。 夜更かしをしてでもしたいことをしたほうがいいんじゃ
自分の抱いている事を吐き出した。 社会で働いていると利害関係というものが必ず発生する。 そこから発生するお金を求めて。それは雇われている我々の為の給与だったり、会社の事業拡大などの為に。 他にも色々あると思うが、会社のお金がどんな風に、何に使われているかは社会人1年目の自分には分からない。 一つ疑問がある。 利益をいかに上げるかという事が先走っていていいのか?ということ。 働いていう人同士間の話の内容だったり、働いている環境の空気がそんな感じだ。 なんだか息苦し
メガネのレンズを綺麗に水洗いした後の景色は澄んで見える。 見えなかった遠くのところまで見える気がする。だがその景色も少しずつ汚れていき、どこを見てもどこか曇った靄がついてくる。 汚れだということに気づかず見える景色をそれだと認識してしまっている。 あるときにふとレンズの汚れだと気づきメガネのレンズを拭く。 「今見えている事はなんだろう。」 目の前の事実がたまに浮遊する時がある。一瞬、自分の置かれている状況を俯瞰する。 この人たちは?この場所は?ここにいる自分は?
今日の仕事はとてもスムーズに進んだ。なんの引っかかりもない感じ。 いつもは進めていくうちにあれこれと自分のプランの阻害がある。 今日は全くなく、終えることができた。とても気持ちのよい業務進行だった。 達成感に浸ることができたいい日だった。 この達成感が毎日あればいいのに。どうしても達成感にたどり着くことは難しい。特に仕事に関しては。達成感があまり感じられない。 これは感じようと努力しない自分が悪いのか、そもそも感じることができないのか。 大抵の人はやりがいを見つけ
今日は上顎の右の親知らずを抜いた。 うあ顎の親知らずは下顎の時と比べると簡単に抜くことができるみたいだ。本当に一瞬で抜けた。ものの3分くらい。今は、もともといた親知らずがいたところにはすっぽり穴が空いている。 舌で触ろうとしてのもうそこには親知らずはいない。当たり前にいた親知らずも何日かするとないことが当たり前になるんだろうな。 「当たり前」とは物事の常識というふうに自分は認識している。 でも今までの当たり前は変化をし続けている。 自分の環境、人間、物、時代。変化が
すっかり夜は寒くなった。なにかが遠くなっていく感覚。 外の透き通った空気が哀愁が漂い落ち着きともの寂しさを味わせてくれる。 窓を少し開け隙間から入り込んでくる冷たい外の風がとても好きだ。 外の風が入ってくる窓の隙間に入る自分は特等席にいるようでなんだか特別な気持ちになれる。 今日の仕事では自分的に色々とやってみたと言っていい日だと思う。普段はやらないであろうことを自ら動いた、そんな感じの日だ。 だが、結果はあんまりだった。と言うよりもうまくいってないなと感じるちょっ
最近に始まったことではないが、一日経つのが早い。流れる景色をぼーっと電車の車窓から眺めているかのよう。 1分1秒が残像となって過ぎ去っていく。 人が多く歩き交わしている都会の街をみてふと思った。 「みんな平等なんだよなぁ…。」 みんな与えられた平等な時間の中で各々の時間を使っている。仕事をしている人もいれば、自分みたいに仕事休みで街を歩いている人。 「今」と言う場所で生きている。それを感じたときなぜか自分は置いてけぼりを感じてしまった。隣りの芝は青く見えるというやつ
今日は家で一人お酒を飲みたい気分。缶チュウハイを開けて小一時間が経とうとしている。お酒が入ると自分は眠気に負けてしまう。酔っ払う前に今日のnoteを書き上げよう。 何とも言えない気持ちとは実にもどかしい。 言葉にすることが中々難しい。 自分はどうも仕事に対してモチベーションが上がらないのだ。 これは入社してからずっとである。 仕事環境的に目立った不安というものはない。 この自分でもはっきりとわからない状況がずっと続いていた。 なぜだろう…どうしてだろう…ああでも