被爆の惨状を描いた「ヒロシマ、灰の中から」(米国NBC系列で1990年8月6日(ピカドンから45年目)に放映)
オッペンハイマーが制作・公開される30年以上前に米国3大ネットワークの一つで放映された被爆の惨状を描いた作品は、死者を悼む灯篭流しの場面で終わります。ご興味があれば、Google Chrome の自動(英語)字幕起こし機能等を活用して高画質・字幕なしの映像、または、低画質・字幕付の映像でご覧ください。
一つ前の記事で紹介した『ヒロシマ(ナガサキ)原爆投下までの4か月』
とは異なり、日本人を演じる(日系アメリカ人他の)俳優さん達が始めから終りまでほぼ英語ばかり話す(但し、日本国内で発売されたVHSテープでは日本語に吹き替えられています。)テレビドラマです。日本で制作されたわけではなく、全編アメリカで(アメリカのスタッフとキャストによって)撮影されたバタ臭さ(バター臭さ)は否めませんが、加害者が被害者を真摯に描こうとした作品が米国3大ネットワークの一つで34年前の8月6日に放送された歴史的な意義は大きいと思います。
(小学生から社会人まで、いじめた方が直ちに忘れる一方、いじめられた方は決して忘れることはありません。日本は、日中戦争・太平洋戦争中に(真珠湾、中国大陸、朝鮮半島、他)侵攻先・占領先で行った悪行や捕虜虐待については忘れた一方、太平洋戦争末期の本土空襲(クラスター弾(焼夷弾)を用いた無差別絨毯爆撃)や原子爆弾やシベリア抑留を決して忘れることはありません。アメリカは、原爆投下については忘れた一方、真珠湾奇襲攻撃を決して忘れることはありません。)
34年前に少ない予算で制作された作品の、特に(特殊効果も稚拙な)屋外セットの見かけは貧弱ですが、当時のテレビ放送コード(プライムタイム)が許す範囲内で(特殊メイクアップも用いながら)非人道的な大量破壊兵器の犠牲となった被爆者の姿が再現されており、黒い雨も降ります。
主人公の一人である若い医師に関わるくだりは故蜂谷道彦医師の『ヒロシマ日記』を参考にしながら脚本が書かれたようです。
また、エンド・クレジットには故据石和さん(元在米被爆者協会会長)に対する謝辞も掲げられています。
登場する車輛(大半は軍用車)は(当時の日本ではありえない・現在の日本でもありえない)少々馬鹿でかい左ハンドルのアメ車ばかりです。
(何故か小さな)駅に入線する(上り)列車を(ボディー正面に白いペンキで行先が「広島」と書かれた)(万に一つ、行先が直に書かれたとしても、当時の表記は「廣島」)標準軌のディーゼル機関車が牽引しており、米国軍人捕虜の一人(下士官)は、1番線の線路を歩いて横切り、2番線に停車していた大阪経由・東京行きの軽武装した短い編成の列車に乗せられます。
(※ 山陽線の駅舎は海側(南側)にあることが多いので、1番線に入線した列車も、2番線に停車していた列車も、下り方向へ進んでいるように見えます。)
当時の(大都市を除く)ヨーロッパ各国やアメリカのように、駅のプラットホームが低い(地面に近い)等の誤りについても、欧米人にとっては違和感はないかもしれません。
日付や日直当番や時間割が板書された(おそらく移動可能な)黒板は小さめですが、奉安殿(あるいは校舎内部の奉安所)に保管されているはずの昭和天皇の御真影(小さなモノクロの写真ではなく大きなカラーの絵画)が教室の前方の壁に掲げられていたり
玉音放送
大東亜戦争終結ノ詔書の音読レコード(玉音盤)のラジオ放送
少し違和感のある玉音放送(原版では英語、日本国内で発売されたVHS版では日本語に吹き替え)も含め、突っ込みどころは満載ですが、34年も前にアメリカで被爆の惨状を描いた功績に免じて、大目に見てください。
おそらく、被爆地と被爆者の惨状を描くことに対する退役軍人他の反発を軽減する等の理由から、広島へ向かったB-29(1機+3機、ストレート・フラッシュ号(天候偵察機)、エノラ・ゲイ号(原爆投下機)、グレート・アーティスト号(科学観測機)、ネセサリー・イヴィル号(写真撮影機))の内、エノラ・ゲイ号が極めて短いワンカット・超遠距離のロングショットで映るだけで、搭乗員は登場しません。
太平洋戦争中に日本国内(原爆投下時に広島市内)で、案外、大勢の外国人が暮らしていたことが知られていますが、この作品では宣伝ビラを撒布する任務中に墜落し、広島市内へ移送・拘置されていた米国軍人捕虜が被爆した様子も描かれています。
出発前(ブリーフィング)の場面
終戦後(捕虜解放前)の場面
さて、対米宣戦布告後、ジャズは禁止されましたが、ドイツ・オーストリア音楽(バッハ、ベートーベン、ワーグナー、他)や(1945年7月14日にイタリアが日本に対して形式的に宣戦布告するまでは)イタリア音楽については問題ありませんでした。
野球でカタカナ用語を使用することは禁止され、アメリカ人牧師さん達は送還ないし拘留されましたが、ドイツ他ご出身の神父さん達は太平洋戦争中も日本に留まりました。
この作品では、若き日にイングマール・ベルイマン監督作品の常連であった(正続エクソシストでメリン神父を演じた)スウェーデン出身のマックス・フォン・シドーが演じるヨハネス・ジーメス(ゼームス)神父の被爆と救護活動が描かれています。
【 Google 翻訳 】
https://www-wtj-com.translate.goog/archives/hiroshima.htm?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja
日本の作曲家や日系アメリカ人の作曲家が音楽を担当していれば、日本人も安心して鑑賞することができたかもしれませんが、ルチア・ウォン(中国系アメリカ人)が楽曲を提供した結果、劇中で使用された(8月なのに和服姿の女性が口ずさむ)「さくらさくら」等を除いて、劇伴音楽から日本や広島に思いを馳せることは困難です。
オッペンハイマーが制作・公開される30年以上前に米国3大ネットワークの一つで放映された被爆の惨状を描いた作品は、死者を悼む灯篭流しの場面で終わります。ご興味があれば、Google Chrome の自動(英語)字幕起こし機能等を活用して高画質・字幕なしの映像、または、低画質・字幕付の映像でご覧ください。
【 本編 】
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