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視点の自由研究No.89「視点_好きということはわかるということ」

映画が好きということは以前このコラムでも書かせて頂きました。
好きということから映像業界に入り、いまだに映像は好きです。さてさてこの「好き」という感情。恋とは違う感覚もあり、人生を賭けるものを見つけるきっかけにもなった不思議な感情。今回はこの「好き」を考えてみたいと思います。

「好きということはわかるということ」

映画が好きで、よくレビューなどを見ていると出てくるのが、「説明がないのに情報量が多く、深みがある」というような表現。自分も御多分に洩れず、そうした映画は大変好きなのですが、これが実は万人に対してもいいかというとそうでもありません。映画を見慣れた人だけがわかる独特の文法とでも言えばいいのか?画面内の情報から見手側が汲み取る能力を求められることがしばしばあります。そうした汲み取ることができるというのが、実は「好き」という感覚に繋がっているかも?と考えています。

私は音楽を演奏する才能はないのですが、どんな映像にどんな音楽が合うのか?という感覚は朧げにあります。音楽の良し悪しやリズム的なことはわからないのですが、映像を通すことで音楽の合う合わないは「わかる」。

ひょっとするとこの「わかる」という感覚、そしてそれを他者と共有できたり、自分のセンスとして手助けになっているかもしれないと思っているのです。

「好き」の中に、この「わかる」が混じっている感じです。

「時代による好きの変化」

さてこの「好き」という感覚。時代によっても変化していきます。わかりやすいところで言えば、時代による価値観の変化に左右されること。好きな俳優やタレントさんのコメントが昔は好意的に聞けていたことが、なぜか今その同じコメントを同じ人から聞いても全くいいと思えない。
見た目や性別を自虐的なコメントで笑いに転化していたコメントも今ではむしろ不愉快に感じることすらある。

こうした感覚の変化は、人間の飽きるという性もありつつ、時代による価値の変遷は無視できないと言えると思います。

「好きなものは本棚に」

前述の「わかる」という感覚。そしてそれが時代によって変わっていくという感覚。それらが「好き」を形作っているのではないでしょうか。

自分も生きている中で様々な「好き」に出会ってきました。青春時代にものすごく感動した映画を見直した時、あれ?こんなもんだったけ?もしくは当時は何もわかっていなかったシーンに、こんな隠れた意味が!なんて驚きと喜びも覚える。

人生を生きていく中で、そうした感覚は本棚に集めたコレクションのようになっているのかもしれません。あの時のあの感動。実はこちらの体験と似ているなとか、自分にも子供ができたことで映画の内容からインスパイアされ、自分でも驚くような涙につながったり、とか。

そうした人生の本棚に様々な「好き」が蓄積される面白さは、年齢を重ねる醍醐味なのかもしれません。



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