「note」に、何を書きたいのか初心に戻ってみる。
フォロー外の方の「note」を散策していると、どなたかの記事に『「きれいごと」ばかり書かれていると、どうも心が刺さらない(解釈は多少違う可能性があります)』と書かれているのを読んで、気持が少しぶれそうなので、いま一度、「note」に書きたいことを整理しておきたいと思う。
大前提として、他人に読んでもらうために書くのではなく、自分の書きたいように始めようと、潔くいたつもりが、結局他人の言葉にぶれるだなんて勝手な話しだけど、私がより人間らしく年を重ねている証拠なのかもしれない。
私が書いていることはどうもポジティブな事ばかりで、言わば他人から見ればキレイごとに聞こえて、同じようなことを何回も言っていることもあるかもしれないし、そのうち読んでいても飽きるかもしれない。
と、その方の記事を読ませて頂いて、少し気持ちがぶれた。
だけども、飽きられてもいいかな。
いま、ぶれずにそう言える。初心を思い出したから。
とにかく、私の感じたままのことを書こうと始めた「note」。
私は嫁いできて十数年のあいだ、感情を出すことがなかった。
出せなかったと言った方が正しいのかもしれない。
そう。
何もかも必死で、思いに浸ることがなかった。
子供たちの成長に喜びを感じる以外は。
子育ては人並みに大変だったけど、まだまだ幼く純な子供たち相手に、そう深く悩むことはなかった。
あっという間に育児は終わり、あっという間に親元を離れたという感じだった。
年子(学年はふたつ違い)で一度に何もかもあっという間に終わった感じで、忙しかったけど、深く悩むことはほとんどなかった。
悩みは、仕事のことや、夫や義両親とのことだった。
当時は、ネガティブな事ばかりが私の脳を駆け巡り、言葉に出すことも全てネガティブなことで、夫に思いを伝えると、ほぼ喧嘩をすることは分かっていたし、すぐに離婚を切り出す夫は頼れないと悟った。
ひとりで、何とか当時の状況をよくしようと必死だった。
幸先がよくなってきたと感じたのは、結婚して十数年たった頃の40歳のころ。
農作業を終え、ひとり畑を歩いていたときのこと。
自然っていいな。と、心底思った。
いつも見る景色が色鮮やかに写った。
私、仕事が楽しいのかもしれない・・・とも、その頃思った。
どうやら、自分で考え、取捨選択をしながら、自分の置かれている環境を良くする作業は、自分の視野を広げるとともに、自分軸を確立するための一歩だったようだ。
今もどうしても視野が狭くなって、見えていないじゃん私!的なことはあるけれど、若い頃は他人に軸を合わせた行動をしがちで、自分がどうしたいのかをおざなりにしてきたがために、余裕がなく、もっと視野が狭かった。
それが、視野が広がると共に、それまで見えていなかったことに気付きだしたのが、ちょうどその頃だった。
私は幼い頃から、ネガティブワールド全開で生きてきた人間で、何もかも悪く物事を考える人間だった。
その自分が、ポジティブな思いに駆られていることに気付いたときには、驚いた。
そして、もっと自分を知りたいと思った。
自分は、何を考え、何が好きで、何に感動したり、感激したりするんだろう。
自分は、どんな人なんだろう。
それから、自分の「思い」を大事にしてきた。
自分の「勘」も大事にするようにして、自分を信じることにした。
特にポジティブな思いには、敏感になったように思う。
ネガティブだったり、腹黒い思いには、「何に対して自分は、腹がたっているのだろう」と、じっくりと考えるようになった。
40をすぎて、はじめて自分と向き合っていた。
自分を知るために、自分のどんな「思い」も大事にしたいと思いながら過ごした40代。
そんな折、40代後半に、出会った「note」。
ますます、日常の「気付き」を書き記したい思いに駆られ、始めた「note」。
書き記すことで、ますます日常の「気付き」は自分の一部になり、人生に彩りを与えてくれる気がした。
思いに乗って始めた「note」は、丸三年をすぎ、四年目に入った。
振り返ってみると、自分の思いを重ねて「note」に向き合うことは、私の大事な時間になった。
日常の「気付き」そのものを書くというスタンスは、今でも崩れず続いている。
だから、ポジティブな思いや気づきはそのまま。腹黒い思いや気づきもそのまま書いている。
改めて「note」を振り返ってみると、始めた当初は、そう今ほどもポジティブなことばかりが、記事として並び連ねているわけではない。
そのとき感じた思いのままに、そのとき気付いたそのままに、書き連ねていることには間違いないことを再確認できたので、スタンスは変えなくていいと初心に戻ることができた。
いま、腹黒い思いやネガティブな考えに陥るのは、せいぜい夫と喧嘩をしたとき位なものだ。
その喧嘩も若い頃に比べれば随分と減った。
義父母が農作業を抜け、ますます忙しくなった私たちは、広い農園を別々に駆けずり回っている。
還暦を過ぎ、身体のあちこちが悲鳴をあげだした夫は頼れないので、息子と時間を共に過ごすことが多いが、一年を通すとひとりで作業をする時間の方がめっぽう多い。
ひとりの空間が苦にならない私にとっては、心理状態が整う状態なのかもしれない。
昔は、忙しければ忙しいほど夫との喧嘩が絶えなかったが、今となっては、私にとって農作業は、心身のバランスを保つ栄養剤。
農作業に夢中になることで、嫌なことも忘れられる。
物事をポジティブに捉えられる心理状態が揃っていて、記事も自ずとポジティブなものが多いのかもしれない。
だけど、それとはまた別に、私にとって「note」を続けることは、物事をポジティブに捉えることができる効能が隠されているのではないかと気付き、他に、私が今いる状況が、ものすごく恵まれていることが基盤にあるから、年を重ねるにしたがって、ポジティブに物事を捉えられることも改めて思う。
始めた当初に比べて、圧倒的に自分の考えや気づき、思っていることの内容が違ってきているのは、そこにあるのではないかと思う。
次回は、その内容に向き合っていこうと思うが、今回も「note」の記事に出会うことで、改めて「note」に向き合い、「自分」に向き合い、「思い」に向き合うことで、「気付き」を得ることができた。
そして、最初はネガティブが多少入り混じった感情もなくなり、ポジティブに!
すごいぞ!「note」!✨
結局は、ポジティブな記事になる😊
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