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「アーカーシャはブラーフマンであるのは、ウパニシャッドにはっきりと意味づけているからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.22)


はじめに

今回もヴェーダーンタ哲学を初見の方々にとっては初ものの単語がいくつか出てきますが(私にとっての初ものはvyomanのように表示しています)

ヴェーダーンタ哲学において、「ウドギータ」という言葉とその意味はとても大切なので、「反応する習慣を変える意志の力」をよろしければご参照ください。

ここではオーム(Om)をアウン(Aum)と表記していますが同じ言葉となります。今回はそのままオームとしています。

表題8 空間

疑問:『チャーンドギャ・ウパニシャッド』は次のように述べている。「(シャーラーヴァトヤは尋ねた)“この世の目標は何ですか?”彼(プラヴァーハナ・ジャイヴァリ)は『空間』と答えた。なぜなら、万物は確かに空間から生まれ、空間に向かって移動することによって融合するからである。空間は確かにこれらすべてよりも偉大であり、空間はそれらの至高の目標である”」(Ch.I.ix.1)これに関して疑問が生じる。空間という言葉は、至高のブラーフマンを意味するのか?それとも物質的な空間を意味するのか?

なぜ疑問が生じるのか?

この言葉が両方の意味で使われているからだ。空間という言葉は、ヴェーダや一般的な言い回しでは自然空間の意味で使われていることはよく知られている。また、時には、ブラーフマンにも使われることがある。例えば、次のような箇所では、ブラーフマンは、その後に続く文章やいくつかの際だった特徴の言及から、明確に決定された意味として際立っている。「もし至福であるこの空間(すなわちブラーフマン)がそこになかったら」(あるいは「もしこの至福が空間になかったら」)(Tai.II.vii)、「空間は実に名前と形の(起源と継続の)成就者である。それらが存在するものはブラーフマンである」(Ch.VIII.xiv)それゆえ、このような疑問が生じるのである。ここでの合理的な結論は何でしょうか?

反論相手:それは物質的な空間に違いない。

なぜですか?

なぜなら、より身近に使われているからその言葉は瞬時に心に浮かぶからです。そして、この空間という言葉は、これら両方を等しく意味すると理解することはできない。なぜなら、空間という言葉には多くの意味があるからだ。したがって、空間という言葉がブラーフマンに適用されるときは、二次的な意味を持たなければならない。ブラーフマンは、遍在性などの多くの性質に関して、空間と類似している。

反論:もし物質的な空間が意味であるとすれば、この節の補足的な精神的部分は非論理的となる。それは次のように続きます。「万物は確かに空間から生じる」(Ch.1.ix.1)

反論相手:それは間違いではありません。物質的な空間でさえ、空気などに次々と進化することによって、(すべての)原因となりうるのです。というのも、(ウパニシャッドから)知られているように、「そのような自己から空間が生じ、空間から空気が生じ、空気から火が生じた」(Tai.II.i)などである。より偉大で究極の目標であることについては、他の要素との関係において、物質的な空間であっても可能である。したがって、空間という言葉によって、物質的な空間が意味される。

ヴェーダンティン:そのような立場なので、次のように言う。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章二十二節

22節 空間(アーカーシャ)はブラーフマンであり、ブラーフマンの指標記号(indicatory mark)が証拠となるからである。空間という言葉によって、私たちはブラーフマンを理解すべきです。

なぜですか?

なぜなら、ブラーフマンを示す記号が、「万物は空間から発していることは確かである」(Ch.I.ix.1)などにおいて証拠となっているからである。というのも、万物は至高のブラーフマンに由来するというのは、ウパニシャッドの中で確立された事実だからである。

反論相手:空間という要素も、空気などの連続によって進化することによって、原因となることが示されています。

ヴェーダンティン:はい、それは示されています。しかし、もしブラーフマンを起源として考慮しなければ、「確かに空間から」というフレーズの強調と、「もの」の修飾としての「すべて」という言葉は調和しません。だから、「それらは空間に向かって移動することによって融合する」というのも、ブラーフマンの指標である。そして、「空間はこれらよりも確かに偉大であり、空間はそれらの究極の目標である」(同上)絶対的な偉大さは、至高の自己のみについて次のように宣言されているからである。「大地よりも、空よりも、天よりも、これらすべての世界よりも偉大である」(Ch.III.xiv.3)同様に、至高の目標であるという事実は、究極の原因である至高の自己と一致している。これを支持するのが、ウパニシャッドのテキストである。「知識、至福、ブラーフマンは、富の分配する者にとっても、ブラーフマンを悟ってその中に生きる者にとっても、至高の目標である」(Br.III.ix.28.7)さらに、制限の欠陥を指摘してシャーラーヴァトヤの立場を非難するジャイヴァリは、無限のものについて語るために空間に頼る。そして、空間がウドギータに類似しているのを理由にして彼は言う。「ウドギータ(すなわち、その部分はオーム)はこの空間であり、それは偉大であり、高いもの(*115)すべてよりも高い。このような方は無限である」(Ch.I.ix.2)

(*115)high:なぜなら、ウドギータの一部であるオームは偉大であり、それはすべての本質などであり、他のすべての文字よりも優れているからである。

その無限性もまた、ブラーフマンの指標である。物質的な空間は使い慣れたものだから心に浮かぶという議論については、まず心に浮かぶかもしれないが、補完的な部分に明らかなブラーフマンの特徴に気づいた後には受け入れられないと私たちは言う。例えば、「空間は実に名前と形の成就者(顕現者)である」(Ch.VIII.xiv.1)のように、空間という言葉がブラーフマンを意味するためにも使われることを示した。同様に、「ヴェーダは、すべての神々がその上に存在する絶対不変のvyoman(空、ブラーフマン)の権威ある啓示者である」(lt.V.I.clxiv.39)、「これはBhrguによって受け取られた知識であり、それは至高のVyomanに確立されている」(Tai.III.vi)、「オーム Kam(すなわち至福)はブラーフマンであり、Kham(空間)はブラーフマンである」(Ch.IV.x.5)、「オームはそのKham(空間)であり、永遠の空間」(Br.V.i)です。文頭に出てくる空間という単語も、テキストの補足部分の傾向から、ブラーフマンを意味するものと理解されるべきである。というのも、「炎が賛美歌を読む」という文の冒頭に出てくる火のような単語は、賛美歌を読む聡明な少年を意味すると考えられるからである。したがって、空間という言葉はブラーフマンを意味すると結論づけられる。

最後に

1.
シャーラーヴァトヤ「この世界の帰趨するところは何ですか?」

ジャイヴァリ「虚空(アーカシャ)である。これらすべてのこの世に存在するものは、まことに虚空から生ずる。[死ぬるときは]虚空へ還って行くのである。虚空は実にそれらより勝れているからである。虚空は最高の避難所である」

2.
ジャイヴァリ「かのウドギータは最高に勝れたものである。それは無限である。このことをこのように知って最勝のウドギータを尊崇する者は、最勝のものをかちえて、最高最勝の諸世界に到達することができる。

『チャーンドギャ・ウパニシャッド』第一章第九節岩本裕訳

1.
虚空(アーカーシャ)とは実に名称と形とを実現させる。その中間にあるもの、それがブラーフマンである。それは不死であり、それはアートマンである。…

『チャーンドギャ・ウパニシャッド』第八章第十四節岩本裕訳

3.それが心臓内にあるわがアートマンである。それは米粒よりも、あるいは麦粒よりも、あるいは芥子粒よりも、あるいは黍粒よりも、あるいは黍粒の核よりも微細である。しかし、また心臓内にあるわがアートマンは、大地よりも大であり、虚空(アーカシャ)よりも大であり、天よりも大であり、これらの諸世界よりも大である。

『チャーンドギャ・ウパニシャッド』第三章第十四節岩本裕訳

第一節
…聖音オームは虚空なる絶対者ブラーフマンである。原初虚空であり…

『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』第五篇第一章

28節
ここにおいてヤージナヴァルキァ師は次のような詩句(シュローカ)をもって、全員に問いかけた。

7)ひとたび生まれし人は皆、再び生まれくることなし。
 さすれば誰ぞ人として、この世に再び生まれしむ?
 そは絶対者ブラーフマン、大いなる智慧にして歓喜なり。
 布施する者の帰趨にて、新地の覚者の帰趨なり。

『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』第三篇第九章

5.「生気はブラーフマンである。幸福(ka)はブラーフマンである。虚空(kha)はブラーフマンである」…

『チャーンドギャ・ウパニシャッド』第四章第十節岩本裕訳

今回の二十二節にて引用されているウパニシャッドで持っている資料を以上にてご参考ください。

「アーカーシャ」について簡単に述べると、物質元素として考えられている地・水・火・風の四大元素を産出し包括するために概念的に加えられた空間、すなわち虚空(アーカーシャ)を意味していると考えられています。

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