
ユニテリアン・アントニオ猪木・古事記 私の友人綱覇佳秋氏との対話 2015/6.11-2015/7.2
超地政学――ユニテリアンとラカン派
2015年6月11日
綱覇佳秋(以下T):安藤礼二氏の文章をチラ見しましたが、ソーカル事件の反省が全くないようでびっくりしました。数式を使わなければ無罪と思っているのかな。
彼、私と同い年ですね。
ラカンは古事記の次の次くらいで触れちゃいます。ソーカルさんに怒られそうですが。
安藤氏は折口思想をユニテリアンだと書いているそうですね。私はその辺はスルーして、ムスヒに迫ります。頑張ります。
私のパラダイムはビジネスです。それしかプロじゃないので。付け焼刃はしません。原点はプロ倫ですが、ラカン派のプロ倫解釈は否定してます。ラカンは参照しますが、ラカン派には賛同しません。
私:超地政学の岩盤になっているのは、非ユニテリアンキリスト教でユニテリアンキリスト教はあくまで表層での突出現象ではないでしょうか。今後の対話のテーマですが。
T:ラカン派のプロ倫解釈はナンセンスだと、10年ほど前に書きました。ネットに残ってるかな。プロレス論の体裁を取って書いた。
非アングロサクソンとはアジアンであったイエスを否定しえないラテン系キリスト教です。
WWWブラウザも、グーグルもユニテリアンの信仰告白から産まれてますので、ユニテリアンは岩盤の一つと考えます。
正教はどうですか? 三位一体を否定する。
ラカン論ではなくてラカン派ナンセンス論です。
私:二次的な岩盤というならそうですが、二千年の主流ではなかったし今後もだと思います。
T:しめ縄構造の一つとしての岩盤。地政学とテクノロジーのしめ縄構造。
私:狭い意味でのテクノロジーに依存しすぎなのがユニテリアンの弱点で岩盤になりきれないところです。正教会は非ユニテリアンと捉えます。
T:ラカン派はラカン教の信者だからとんちんかんに見える。
私:私はラカン信者ではないです。
T:岩盤になりきれない。に賛成。同じ見方です。なのに革命を起こそうとするから破綻が迫る。で、いまは世界がその岩盤で動いている。それを二次的岩盤と定義するなら首肯します。二次的が派生的かと解釈したので引っかかったのでした。
永澤さんはとてもラカン信者には見えないです。
ラカン派は、プロ倫読んでプロテスタンティズムに欲望の転移が見えるそうだが、その見方は陰謀論を召喚してしまいますよ、ナンセンスですからやめましょうね、というのをナンセンスさを引き立たせるためにプロレス論で書きました。
私:派生的ではないというのはその通りです。後から覇権を奪ったと勘違いした。大英帝国と米国の成功が勘違いを固定してきたが今になって自信を喪失してきている。
アジアの再発見ですがまだアジア人のイエスを再発見してはいない。
T:ラカンは個について語りますが、ラカン派はその理論を世論に拡大解釈して用います。ビジネスマンなら口聞いてもらえません。
私:ラカン自身は既に書いたように西欧文明においてはダントツに鋭い強力な個人です。しかしやはり遅れてきた、そして究極的には徹底できなかった仏陀の徒です。個人的見解ですが。
ラテンキリスト教は白人であるローマ人がアジア人のイエスを処刑したという原点から逃れられない。自分達のイエスキリストがアジアの大地から生まれたという事実を否認できないのです。引き換えアングロサクソンユニテリアンはあまりにお気楽でなはいでしょうか。
2015年6月12日
T:アングロサクソン以外のユニテリアンもユニテリアンである限り同じ神を信じ同じ理想に向かって社会変革に懸命です。
私: 既に申しましたが全体集合の否定はどのような集合にしても不可能です。しかしアングロサクソン・ユニテリアンという必要条件があるということです。十分条件ではないので実際には極小の集団が問題で大多数は詐欺の受動的主体だと厳しく考えます。アングロサクソンユニテリアンというより一般に英国系ピューリタン という方がいいかもしれません。
2015年6月20日
私:中国とインドは自国の文化遺産を切り捨てすぎました。ロシアはまったく違います。
結局は世界は総合力で優る方向へ向かうのでしょう。
どこの国あるいは文化圏でも古今東西そうですが、中国とインドの文化的頂点を極めた人間たちは少なくても中長期的には決して社会のメインストリームにはなり得ないのですね。例えば中国の孔子にしろ仏教徒たちにしろ。
そのうち世界からかつての大衆はいなくなるでしょう。
プロレスの超地政学――アントニオ猪木の方へ
2015年6月26日
T:学者にはプロレス好きが少ないので、ヒールに振る舞えば対象の神格化を助けるだけだという構造が身に染みてないんですよね〜。I'm not Abe. のオッサンと同じ構図です。
ヒールと言うのはプロレス用語でアンチのことです。
私:ヒールぐらい知っていますが(笑)
T:あ、スミマセン(笑)。ちなみにロランバルトはプロレス論が出発点なのですが、邦訳はレスリングと誤訳したために滅茶苦茶です。レスリングは魅せる目的では反則しません! なんでも初の邦訳の時にこれからロランバルトを日本で売るのにプロレス好きでは品が下がると訳者があえて誤訳を主張したのだとか。
科学の方法論はテーゼに対する検証と反証で進んでいきますが、それをそのまま社会現象に当てはめるとテーゼの強化にしかならないという構造を、自民党はわかっているわけです。
私:なんと馬鹿な「配慮」でしょうか。つまり実際の中身はどうでもよかったということですね。
T:それほどまでにプロレスは知識人にとって口にするのも憚られる娯楽だったのでしょう。ちなみに今のプロレスはアメリカンエンターテイメント化が進んで いて、それほど知的好奇心には応えてくれません。それでも専門月刊誌は頑張っていて、KAMINOGEなど現代思想誌よりよほど現代思想に迫っています。 現代思想誌が終わってるだけということかもしれませんが。
科学の方法論はテーゼに対する検証と反証で進んでいきますが、それをそのまま社会現象に当てはめるとテーゼの強化にしかならないという矛盾の構造を知識層に共有しないと全ての反XX活動は相手を利するだけの結果に終わります。
それを強く危惧しています。
ショックドクトリン下で、知識層がヒールとなって下手なプロレスを演じて大衆の失笑を買うところまで手の内だということに気づかないんですよね〜。
私:矛盾の構造というよりヘーゲル弁証法ですね。
私は地球規模での弁証法を示唆し続けていますが、どこまでも気づけません。単なる陰謀論としか思えないのでしょう。四年間定点観測している集団がいますが全くだめです。
T:アメリカのある層はプロレスの思想的危険性を察知してエンターテイメント化して毒抜きし、日本のある層は古舘伊知郎をキャスターに固定して日本のプロレスの語り部を排除したという訳です。結果論かもしれませんが。
プロレスは右翼的な娯楽ですから。
右翼は素手でも戦いますが、左翼は投石したりゲバ棒で殴ったり素手では戦いませんよね。
私:しかし現在すでに、かつての右翼も左翼も(もちろん善悪の価値観を超えた)超えた新たな革命が始まっています。予感通りの流れです。世界戦争の切迫とともに。
T:実はそこが私よくわかっていないのです。革命とはそれが成就した後に後世の歴史家が振り返ってする評価だと思うのですが、様々な変化の芽はあれど私にはどれも初戦で勝ってる旧日本軍のような戦果にしか見えないのです。ひょっとして永澤さんが見ている変化や流れと違うのか。
かつてアントニオ猪木 は、大衆に支持される王者の奥義をこう言いました。未知の刺客と闘うときの王者のプロレスとは、一瞬にして相手の力を計算し、3の力しかない相手から7の力を引き出し結末の見えない状況に自ら持ち込んで、最後の最後に10の力で倒す。このことで相手のみならず相手のファンをも戦いのあと自分のサポーターに することができるのだと。
この3の力というのが曲者で試合開始時に相手が例えば11の力があると見切ったときは、分からないように反則をして試合中にいったん3の力まで相手を落とす技術を言うんですよね。このやり方を猪木はアメリカから学び日本に持ち込んだわけです。
今後永澤さんが見ている革命を私にも見させて下さい。
私:勝ちが見えているわけではないのです。革命とは、勝ち負けを超えた巨大かつ微細な波動の連鎖です。かつての人類の枢軸時代以来の波動です。
2015年6月29日
私:恐らくロンドン/The Cityの理想は自由化で中共の一極支配の弱体化(連邦制への移行)の上での可能な限りでの影響力の維持ではないでしょうか。中国のかつての米国化の方向か? しかしこの方向に純化するかかどうかは微妙でしょう。
英国は中国をかつての米国化してまたしても隠然と管理したいのです。米国ドル覇権の終わりを見越してのことでしょう。
T:永澤さんの見立てはその通りなんじゃないかと思います。英国は香港で中華民族の欧米化についての人類学的知見を持っていますから。
対中国対米国に限ってはイギリスの戦略に乗ってみるというのは日本にとって悪くない将来像だと思うのですがどうでしょう。
私:もっと知るべきですね。
T:分からないのはイスラムです。先日NHKのニュースでトルコがオスマン帝国の再興を目指していると報じられていました。また、タジクを中心に中央アジアがISに合流する動きもあります。今の日本に大川周明はいないですからね。
2015年7月2日
私:その両者は企画レベルとそのベクトルがかなり違うのでは?
後者を企画運営している(あるいはいた)のは米国/イスラエル/サウジアラビアですから。
ところで井筒俊彦氏の『意識と本質』を読むとかえってイスラムに対する興味関心が薄れます。
言うまでもなく後者のターゲットは露中です。
ただ上手くやるのは非常に難しいと見ています。これも英国ファクターですが。
T:『意識と本質』は、井筒氏がイスラムを離れてより大きく神秘主義理解に向けて舵を切ったときの著作ですから、薄れていくのは井筒氏に寄り添って読んでいるということなのではないでしょうか。
私:最後に到達したのは神秘主義一般ではなく、『大乗起信論』すなわち十分に大乗化された唯識思想・哲学でしたね。
晩年の『意識の形而上学』です。
T:私は、井筒氏の神秘主義理解の帰結が大乗起信論だと理解しています。両書とも読んで久しいので細目は忘れてしまっていますが。
私:私が現在関心があるのも唯識の十分な大乗化と部派仏教と大乗仏教との架橋による原初の仏陀への回帰というテーマです。
T:『意識と本質』は何度も読んだのですが、それでも最後に読んだのは10年くらい前になります。読むとトリップのような感覚に襲われます。
古事記とユニテリアン
私:すでに述べましたが、Tさんの古事記論へのコメントは、全記述を読んだ後にしたいと思っています。一神教パラダイムとりわけユニテリアンパラダイムに対する集大成的な応答になると期待しています。
T:まずは次回で本居宣長の読みを超克できるかですね。
あ、でも目鼻はたっていますよ。大変は大変ですが。宣長は聖書をも参考に古事記伝を書いていますので、必然的に一神教の超克にもなりますが、果たして古事記に書かれていることでユニテリアンに太刀打ちできるのか、私もハラハラして筆を進めることになると思います。恐らく。
私:それこそが私の注文点です。
私が概念の幾何学と言ったことも参考にしてください。対称性の扱いもポイントですね。
T:それについては既にアタマの中に文章が出来あがっていますのでそれをそのまま書くことになります。私はあくまで古事記から離れず古事記を解いていきますので、注文に応じることになるのかどうかは、古事記にかかっています。産婆術です(笑)。
対称性は次次回の予定です。
私:釈迦に説法ですが、勿論古事記から導けなければ意味はありません。
T:そのことは次回です。
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