【読書】「神」として祀られる武士の実態に迫る!
「神」として武士を祀る文化、改めて考えるとすごく面白いな〜
先日、「神になった武士~平将門から西郷隆盛まで~」という書籍を読んだ。
本書は、武士が「神」として祀られる風習に注目した書籍だ。
日本各地にある石碑や寺社仏閣を調べ、全体的な傾向やそれぞれの由来に迫っている。
著者の高野信治さんの丁寧な調査にとても感動するとともに、新たな発見を与えてくれる書籍だった。
1. 日本で「4710件」!? 各地で「神」として祀られる武士
さて、武士が「神」として祀られる例はどのくらいあるのだろうか?
本書の調査では、その数は「4710件」に及ぶという。
日本各地で、さまざまな武士が「神」として祀られていることが実感させられる数字だ。
この「4710件」のうち、祀られる数が最も多いのは徳川家康とのこと。
その数は623件とされ、2位の加藤清正(153件)を大きく引き離す数字だ。
また、祀られる人物の時代は、非常に偏っていて、平安期の源平武士(源為朝や平景清など)が数多く祀られていることも非常に興味深かった。
祀られる人物の偏りも、時代の影響を感じて非常にワクワクするデータだ。
2. 東京を代表する祀られた「武士」をみてきた
「武士は実際にどんな感じで祀られているのだろう?」
本書を読んで、ふとそのよう疑問が湧いたので、東京を代表する2ヶ所に実際に足を運んでみた。
2-1. 吉田松陰が祀られる「松陰神社」
まず、一つ目は世田谷区にある「松陰神社」だ。
この神社は、江戸時代末期に松下村塾を開き、木戸孝允や伊藤博文などに大きな影響を与えた「吉田松陰」を祀っている。
「吉田松陰」は安政の大獄によって罪人として1859年に、今の台東区にある小塚原形場で処刑された。
この「松陰神社」は、松陰の教え子たちが、松陰の遺体を掘り起こして今の世田谷区まで運び、埋め直して祀った場所である。
敷地内には、木戸孝允や伊藤博文などが寄進した鳥居や灯籠などが多数存在し、「吉田松陰」がとても尊敬されていたことを感じられる。
2-2. 平将門が祀られる「将門塚」
次に、訪れたのは千代田区大手町にある「将門塚」だ。
「将門塚」は平安時代中期の武士、「平将門」が祀られた場所だ。「平将門」は朝廷を相手に反乱を起こし、朝廷軍に制圧された。(平将門の乱)
この「将門塚」は京都に送られた「平将門」の首が、体を求めて今の大手町まで飛んできたという伝説に由来する。
日本三大怨霊の1人にも数えられる「平将門」が祀られた「将門塚」は、これまでなども奇妙な現象を引き起こし、多くの人から尊敬と畏怖の対象となってきた。
大手町のオフィス街の中にポツンとある「将門塚」は非常に神聖さを感じさせるものだった。
3. 一つ一つにエピソードの魅力
「神になった武士~平将門から西郷隆盛まで~」を読むと、非常に身近な場所で、多くの武士が「神」として祀られていることに驚く。
そして、その歴史を調べてみると、そのエピソードの面白さや当時の民衆の認識の一端を知ることができる。非常に好奇心を刺激させられる対象だ。
あんまり注目することは、少なかったけど、街を歩く際は「神」として祀られる武士に注目すると、さらに歴史の深みを楽しめるかもしれない。
本書を読んで、そんなことを感じた。
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