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『ルックバック』の演技、ディテールが実写並みでした。

『ルックバック』は58分の中編アニメでしたが・・・堂々たる「映画」でしたね~!
満席の客席。折々に起こる吐息で、観客の心が大きく動かされていることが伝わってきました。泣いてる人もたくさんいた!
ボクも作品世界に引き込まれて、すっかり画面上の人物たちの「演技」に見入ってしまってました。

いや~藤野と京本、いい芝居してましたよね~。

2人がお互いの影響を受けてどんどん変化してゆく・・・実写の俳優でもこんなに繊細でディテールが豊かなコミュニケーションの芝居をするかた、なかなかいないですよ。マジでw。
ほぼ完璧なコミュニケーションのキャッチボールでした。

「藤野先生は、漫画の天才です!」

ドキドキするシーンでした。
生々しいディテールがたっぷりで、情感の変化・うねりに富み、どうしてもこの言葉を喋りたい!という衝動にあふれ・・・しかもそれら全てがわれわれ観客の日常と地続きのものなので「わかるー」なんですよね。

藤野と京本が「感じている」切実さが、われわれ観客にも伝わって、観客も一緒に切ない気持ちになってしまう・・・そう、この「感じている」描写がこの映画体験を特別なものにしているのです。

藤野も京本も「感じている」。

この映画『ルックバック』冒頭の、藤野がクラスメートに4コマ漫画を褒められているシーン・・・このシーンの藤野の芝居を見てみましょう。
いい顔w・・・単に調子に乗ってる芝居をしてるだけではなく、その前にクラスメートの褒めに反応してめちゃくちゃ喜びを「感じている」んですよね。で、その結果として調子に乗っているw。

因みにこのシーンは原作の漫画にもあるのだけど、漫画版には「感じている」描写は無くて、その結果としての調子に乗っている描写だけが描かれています。

そして2人の初対面「藤野先生は、漫画の天才です!」のシーンも。

原作の漫画の京本は引きこもりらしく、藤野のことをちゃんと見ることが出来ないんですよね。下を向いたまま自分の言いたいことを一方的にまくしたてる自爆的な芝居・・・「見たい見たい見たい!」も「見たいのに見れないなんて!」のニュアンスで自爆してますよね。
で藤野の方もそれを無表情で淡々と鞄を背負い直しながら聞いている・・・漫画版のコミュニケーションは微妙にすれ違っているんです。

それに対してアニメーションの方の京本は自爆せずに、藤野を見て、彼女に対する興味「知りたい!」という衝動をまっすぐにぶつけています。
見ることによって衝動があふれだして、その昂ぶりと共にどんどん出てくる言葉がちゃんと藤野に届けようとしていて、最後の「見たい見たい見たい!」も自爆ではなく「見せて!」というお願いを相手に強力に訴える芝居になっています。

そしてその「見たい!」の勢いで藤野の髪の毛がフワッと舞う・・・クールにしてる藤野の心がじつは動いているという表現があって、つい「描くよ」と藤野が答えてしまう・・・アニメーション版の藤野と京本は、お互いに揺り動かされて運動が発生する・・・コミュニケーションが成立しているんですよ。

で、藤野は変なダンスを踊りながら走るわけですがw。

漫画版の方は、微妙にコミュニケーションが成立しない切なさが感動を呼んだんですけど、アニメーション版の方はコミュニケーションが微妙に成立していることが感動を呼ぶんですよね。
藤野の走りも、漫画版の方は読者がその走りを客観的に見るように描かれていて、それに対してアニメーション版の方は観客が藤野の心情に感情移入できるように藤野主観っぽいカメラと、音楽と共に主観的描写でその喜びが描かれています。

コミュニケーションによって衝動が生まれ、行動や発言が生まれ、その行動がまた相手の心を動かし、衝動を生む・・・いやこれって、プロの俳優でも演じるのが超むずかしいやつなんですよねー。
それをアニメーションで、こんなにイキイキと描けるなんて!

キャラじゃなく、コミュニケーションを描く作画!

どのシーンでも藤野と京本のふたりが瑞々しいコミュニケーションで芝居しています。 正直、双方向のコミュニケーションを、その心の動きのディテールを、ここまでリアルに生々しく描いたアニメ作品ってなかったと思うんですよね。

何故かというと、アニメの人物って人間を単純化して極端化した「キャラ」として演じられていることが多いのです。
なのでセリフ回しも行動も「キャラっぽさ」をアピールした自分主体のものが多く、アニメの会話シーンって、お互いに自分の個性を相手に投げ続けているだけで、厳密にはキャッチボールになっていないことが多いんですよ。

とくに相手が投げた球をキャッチしないことが多いんです。
セリフの順番順に交互に球を投げ合っているので、一見キャッチボールをしているように見えるのですが、じつは相手の球をキャッチせずに、別の自分の球を取り出して相手に一方的に投げつけて返球とするみたいなw。

そういう芝居がアニメの世界に於ける通常のコミュニケーションの表現になってることが多いのです。(すべての作品がではありません!)

が、『ルックバック』は藤野も京本も、ちゃんと相手の投げた球をキャッチしてるんですよね。でその球に大きく心を動かされて、衝動が生まれて、その衝動を球として相手に投げ返す!・・・そのコミュニケーションのそれぞれの過程が、緻密に作画されているんです。すげえ!

この心情のキャッチボールをしている時の藤野と京本の表情のディテールがヤバいんです。その表情とは顔の表情だけでなく、全身のシルエットの表情がヤバい・・・湧き上がる「衝動」にあふれているんです。

セリフが、しっかり相手を射抜いている!

藤野と京本の声の演技も素晴らしかったですね~!
「衝動」と「心の揺れ動き」の瑞々しいディテールにあふれた会話が、どこまでも続いていって、このまま終わらないでくれ~と思いました。

藤野も京本も、声を演じているのは女優さんで、プロの声優さんではない・・・それが今回は功を奏したのかなと思います。
プロの声優さんたちは演技をするときに、人物の「キャラ」「感情」そして「物語り」を的確に観客に伝えるよう、テクニカルに訓練されています。
ところが今回の藤野と京本の芝居には、その気配を感じませんでした。
藤野も京本も、声優として観客にコミュニケーションしようとするのではなく、藤野は藤野として京本にコミュニケーションしようとし、京本は京本として藤野にコミュニケーションしようとしているように感じました。

なので全てのセリフが自己表現的に内向したりせずに、びゅーんと相手の心の中心をスパーン!と射抜く・・・それに共鳴して、われわれ観客の心も射抜かれていたのだと思います。

まるでわれわれ観客も、その場に居合わせているかのような臨場感。
いや~素晴らしいパフォーマンスでした。

我々観客はなにに泣いていたのか?

アニメーション『ルックバック』の演技について、色々と書いてきましたが・・・我々はあの作品のなにに泣いていたのでしょうか?
ボクが見た回は近くの女性が、中盤からずっと嗚咽を漏らしながら見ていました。そうなんです。この作品、感動のシーン!みたいなところだけでなく、どこの瞬間でも誰かにとっての「泣けるシーン」になってしまうんですよね。ボクも泣きました。

でも自分がなぜ泣いているのか?が正直よくわからなくて・・・あとで思い返すと、藤野と京本が通じ合ったり、すれ違ったりする、その「ふれあい」の、コミュニケーションのディテールの深さに感動していたのかな?と。
「感動」というと雑ですがw、ようするに藤野や京本と一緒に喜んだり、悲しんだり、複雑な思いになったりして、彼らと一緒に過ごす奇跡のように濃密な時間に心動かされ続けていたのだと思います。

「居場所」そして「自己評価を高めさせてくれる相手」は2020年代に生きる現代人にとって一番切実なテーマですから。

そしてその濃密な「ふれあい」の時間は、物語の中で終わりを迎え、そして4コマ漫画によって復活し・・・そして日常が戻ってくる。

それがアニメーションの演技によって、そして声優さんの演技によってもたらされていることが、本当に素晴らしいと思いました。
いや~このディテールの濃さと正確さ、58分だから実現できたクオリティなのかもしれないですよねー・・・アニメ映画の尺、大切かも!
しかし日本のアニメーション、まだまだ良い作品が生まれそうですね!楽しみ!

小林でび <でびノート☆彡>


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