TVドラマ『無能の鷹』を観て、の気づき
今クールの人気ドラマのうちの1つである『無能の鷹』。これを視聴した多くのオフィスワーカーが”あるある”話と共感し、仕事以外の時間でのストレス発散となっている、という社会的効果/娯楽フィクション でしょうか📺
他方で、「いやいや、それはない(現実離れしすぎの無理な設定/エピソードだ)」という冷めた評価をする人もいるでしょう。
さらに言えば、「自分のところはまだマシだ」という、一種の楽観心理効果をもたらしてくれる、というタイプですか?あるいはその対極で、「自分の周辺はこれどころではなくもっと酷い💦」という現場もありそうです😱
主人公の【誰にでもできるようなごく基本的な事務仕事ができない】様子を面白おかしく描いているのですが、この
『誰にでもできる』
という言葉を用いる際には【気を付けたほうがよい】のです⚠
どのような意味を指しているか、ここまでで、貴方は想像(先読み)できますか?
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今一つ、別のニュアンスがありますよね?
体調不良などの急な欠勤やその他の不在時に「Aさんがいないと回らない」「Bさんにしか分からない」という事態に陥り行き詰まるのは避けなければなりません。
この『誰にでもできる』という体系の整備や連携が、組織の体制として望ましいもの、という捉え方について異論を唱える人は、(現時点においても”まだ”)ほぼゼロでしょう。一種のBCP(business continuity planning)です☝
しかしながら、これら2種の『誰にでもできる』は互いに少し意味が異なりますね。
前者は【簡単だから(大したスキルアップが必要なく)できる】で後者は【複数人が同一のアウトプットを出せるよう身に着けている】、のようなニュアンスで【この人こそできる】という限定感のある要素・仕事成果を無くそう、というもの。
例えば、個人経営規模を超えた商形態の飲食店やパン屋さんなど、複数の〔作り手〕が居て、その出来栄えが全く異なるものになってしまう… のような事例を引き合いに出すと少し意味合いがズレてしまうかもしれませんが、会社での諸々の事業に関して【人によってアウトプットが異なる】様子は、概して望ましくはない、でしょう。《品質の安定・維持》といった要件。
そのような観点もあり、昔から、《『誰にでもできる』ように平準化する》ことが至上命題として掲げられてきたのだと思います。
しかしながら、(技術進歩の話を前面に出すのは不本意なのですが、)ヒトとしての仕事ぶりは変わってきています。
その『誰にでもできる』程度のアウトプットは、もはやIT化によって代替できてしまうのではないでしょうか。
もちろん、業態や職種によって事情は異なります。介護サービスの類やオートメーション化できない積み卸し等の荷役その他、一緒くたにして捉えることはできません。
オフィスでの事務仕事のイメージで、部署内に複数人が集まって、『誰にでもできるように共有と平準化しよう!』と声高に掲げて、〔連携〕や〔協力〕の満足感を増せるメリットそのものは否定しませんが、その業務の優位性・取り組み姿勢・動線の妥当性等について無頓着なステータスでいることへの”気づき”へはまだ遠いのでしょうか?
『誰にでもできる』ように?
いやいや、それが叶うような業務って、今やもう非人システムがこなしてくれるっていうことですよ。それをまだ寄って嵩って仲良く執り行っている低生産性にあるということ。
それを顧みることなく、まだ闇雲に「目指し」ますか?
賃金労働をしている人も、経営者の立場にある人も、この言葉の残念な側面を意識する(≒恥を感じて言わないようになる)ことで、好転するかもしれませんよ💪
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