錯視画像やだまし絵から得られる教訓
『ルビンの壺』をご存知でしょうか?皆さんもおそらく一度は見たことがあると推測します。
シルエットのような、明と暗二色の絵で、それの白い所に注目すると壺(杯)の画のように見え、黒い所を中心に見ると向かい合っている二人の横顔のように見える、というものです。〔錯視〕を説明する題材として有名な図です。
これは同時に、「壺と見ても顔と見てもどちらも正解」という、多義的な意味を持つ事物の存在の提示でもありますし、あるいは、その画を見る前に、類似したタッチの顔の画をいくつか見ていた場合には『無意識的推論』(「先入観」の一種とも言えるでしょう)あるいは『インプリンティング(≒刷り込み)』の類がはたらき、二人の横顔にしか見えなかったりする「誘導の脅威」の注意でもあります。
さらには、多くの〔錯視〕の画像やだまし絵に含有される要素、【一旦見方を決めてしまうと、その修正ができなくなる】といった傾向の説明にもなっています。
『ルビンの壺』の例の場合だと「ひとたび壺として認識したら、横顔には見えなくなる」、という話です。もはや壺にしか見えず、周りの人に「黒いところが横顔の絵になっているでしょ」といくら言われても、なかなか顔が見えてこない、という人も時々います😖
〔目の錯覚〕という誰もが自然に”はまる”特別な心理傾向の話は別ではありますが、前述の「独りよがり」や「身勝手」に繋がりかねない「思い込み」について考えてみると様々な議論が出来そうです。
そして、共通して言えるのは、【それらを回避するためには柔軟な発想が要求される】ということです。
生活全般のあらゆる場面で「思い込み」をやめるような姿勢を取ることで、自他共により良く過ごすことができるようになるのではないでしょうか。
《連想され得る例・拾い画像》
貴方には何か見えますか?
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