迷惑防止条例違反の適用要件と冤罪 +
「本質思考とは?」で想起されるのは、当方にとってはこのような系統の理屈っぽい事例が多いように思います('◇')ゞ
〔受け入れがたい〕〔好かん〕🤮という人が多そうですねw
でも、そのような評価をくだすマインドって、「理屈っぽさ」のことを「頑固」だと取り違えてしまっていることがあるような気がします。柔軟思考だからこそ「理屈」が見据えられるのでは?という考え方もあります💡
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掲題を一見しただけで、どのような展開をしていきそうかの予想がつき易い、また、どちらにも偏らずに慎重に言及しないと、男性女性問わずバッシング感情を喚起しかねない、比較的デリケートな領域ですね😢
さて、男性の方への質問✋
混雑した通勤電車に乗る場合に、痴漢冤罪を免れるために両手を挙げたりしています(いました)か?
そういう話って、工夫追究の観点からは推奨行為だと思われがちですが、当方の場合、この「自分はそうしてる!」との自己方針(対処策)を耳にするのもストレスに感じます😵
とくると、「他にいい方法があります!」系の記事かな、と予測しますか?
『事件発生抑止や冤罪回避について』だと、世間で議論尽くされていて、月並みな提起に留まってしまう予感…なので、ここでもやはり「違った角度から」のそもそも話を、と。
『つまり、何がいけないのか🚫』の本質について☝
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特に女性の方、『迷惑防止条例違反』という呼称に関して、「何故そんなに緩いの?」と違和感を持ちませんか?実際は『強制わいせつ罪適用』となる事件もありますが、まず耳にする/目にするのは『迷惑防止』なのです。当方は法律に詳しいわけでもなく、この執筆のために学習する気も起こらないほど、「異なる方面」へ論題は逸脱していくので調べ物はしていませんが、用語としてはこれです。
そして、本稿の主題は『迷惑防止』が基点となります✍
凶悪事件の例ではなく、あくまで”冤罪”を軸にみていくと、これまでも何かと取り沙汰されて皆さんご存知のように、特徴的な「要件」があります。
列記すると、〔”加害者”に意思はなくとも〕〔”接触”という事実がもたらす不快感により〕〔被害者は精神的苦痛を受けた〕 --- 罪になるか否か、はあくまで被害者側に委ねられるのだ、というニュアンスで受け止めている方も多いと思います。「やっていない!」との訴えが真実の場合でも「あなたでしょ!」「私は被害者」が通用する、それが『冤罪事件』なのだと捉えてますよね?
本質追究の観点からは、そこに”性”は介在していない、と了知します。もちろんLGBTがどうとかの領域の話ではなく、要は
◆故意でなくとも
◆接触による不快
があると、『迷惑行為』として被害者が一方的に突き出し得るのだ、という解釈に至ります。
つまり、〔手で触れる〕が要件ではなく、
これらも及ぼす影響は同じです。男女の別は関係ありません🙅
「迷惑行為」の本質。する側の欲求が満たされるか否か、が基準ではなく、普通にしていればもたらされることがない「嫌な感覚」を否応なく与えること --- 。
前述の”日常的接触”の例示に対し「それぐらいいいじゃない。でも(故意でなくとも)痴漢はダメ。相手の女性が嫌がるかどうか、だ」との見解を持つ人がいるとすれば、それはチグハグしています😔
今回はこれまでで最大級のシリアスな題材に触れましたが、
まとめると、 -----
痴漢行為であろうとなかろうと、周囲に気を配りましょうね。
その不用意な振る舞いが、痴漢行為にも匹敵する不快感を与えてしまうこともあるのですよ☝
という話でした🙇
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