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「受け流し」の極意 ~ 心理と真理 +

 今回はいつもよりも『私的マインドの開扉』寄りな雰囲気から入ります。

 以下、noteに寄稿されている方々によっても提起が散見されるテーマであるように感じています --- 
 主に【他者との関わり】において。「それ言っちゃいますか?」な言動に遭遇した際、自身の気持ちの置き方、つまり「受け取り方」によって、不快感などマイナス要素とならないような【工夫心得】の類を提案したり経験を紹介したりといった事案です。

 

 例えば、『時に相手の言葉に傷ついても、「そういう意見の人もいるんだなあ」って受け流していいんじゃないか』というお話。読んでよかったという気分になれるnoteをお見掛けしたりします👍

 

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 で、普段全般において、と顧みると --- 。

 実は「歓迎されない配慮深さの態度を多分に受けているせいで潜在的なストレスを溜めがちなタイプである」と自覚している当方にとって、参考になる場合と”そぐわない”場合と、もちろん両方あるのですが、ことnote記事に関して言えば、概して〔窘め〕感は無く、「ご自分にとって”しっくり”くるようであれば…」というスタンスが主流になっていますよね。つまり、読んだ人それぞれが、独自の主観や信念でもって、自身への”吹き込み”を取捨選択できるので、ここでもやはり『考える』が伴います🤔

 

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 ただ、その「考える」よりもさらに前提があることを軽視しがちであるように思います。

 丁寧に文脈展開していても〔主旨の取り違え〕がある ---
 「あ、その話ね」と早合点してしまうケースです。

 起案内容の核心に触れる前にコケてしまっているようにも思え、なんとももったいない話です。

 

 という話を切り出すと、多くの人がこれまた早合点で(かつ充分に”謙虚”であった場合に)言いだすのが「読解力が無いから…」という視点😥

 学力じゃないんですよね… 単に、〔姿勢〕や〔心掛け〕の話☝

 

 なぜなら…

 この懸念は、文章に限らず、というか、より顕著な〔会話〕において酷くなっている傾向を長年感じていて、「話をちゃんと聴いて/受け止めようとする態度で対峙して👂反応する」が実行されておらず、キャッチボールが成立しない、という事例や場面が多くを占めてしまっているからです。

 また、当方自身の二人称場面においてのみならず他者どうしの会話を第三者として見ていても経常的です😫

 

 例えばもし「相手の説明が難解で、困惑していて首を傾げたまま返す言葉が無い」のような展開があるとすれば、それは〔理解力〕にも関連し得るでしょうし、前述の〔読解力〕の説と通じているかもしれません。

 でも、相手の発言を途中で遮ってまで自分が言いたいことを散らかし始める傾向って、巷で結構多いですよね? された経験を思い出してみてください。
 併せて、ご自身の振る舞いも顧みてみてください。

 だからもっと落ち着いてみないことには、色んな側面で雑さが露呈して誤った認識や相互の食い違いへと向いてしまうケースが少なくありませんので、留意しておきたいところです⚠

 

 実は… ここまで、すご~く長い《前書き》だったんです😲

 

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 《”受け流し”の極意》のお話でしたね。

 「聞き捨てならない」とか「不快な」とか、他人の発言がストレスになる。残念なことに、そのような場面は日常的に山ほどあります。
 それを、発言者側に是正を求めたくなる発想に向かうよりは、「かく言うからには相手にも何か事情があるのだろう」と、一種の寛容性をこちら側で備えることで、ギクシャク感や余計な心理負荷が軽減される… そのような捉え方に関する話で、おそらく多くの人が、「まぁ納得👍自分もそうなりたい!」と賛同するのだと思います。

 努力が必要であるかもですが、”人となり”を高めることは望ましいと思います。

 

 つまり・・・、かかる懸案において、軸となっているのは〔心理〕なんですよね。

 『器の大きな人』などという語句表現もそうですが、〔心理〕に関連する評価は人の〔好み〕や〔主観〕であるということも併せて押さえておきたいポイントだと思っています。『万人に当てはまる唯一の答えというものは無い』、とは言わずもがなでしょう。

 

 他方で、当方が軸としている捉え方の一つに、次のくだりがあります。

〔心理〕は人によって様々異なるが、
〔真理〕はそうではない

 

なので、後者を追究/追求する立ち位置でのnote提起をいつもしています。

 

 さらに言えば、【論評展開しているように見えてちゃんと読んでみるとそういうわけではない】という受け取り方をして頂けているでしょうか?

 〔主張〕感があるようなテーマ領域であっても、〔批評〕はしていないですよね。多数派の強烈な〔意見〕や社会趨勢的有力説の君臨によって埋もれがちな〔真理〕をお示ししているだけなので、〔賛同〕というよりも”気づき”寄りの感覚がもたらされる、そのような効用が主流です。

 少し換言してもう一度申します。
 【多様性があるはずのところを〔味方〕になってもらって心理的合意を引き出そうとする】狙いではなく、ただただ〔真理〕を探究したり見据えて頂くきっかけ作り、なんです💡

 

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 究極的な命題

「”困った”言動をする人」を含めた全体の風潮がもし変わるとすれば、受け流す側のスキルや心得も不要になってくる --- 

それが夢物語の一つでもありますが、ブレない真理への意識を、言う側と聞く側双方が高めることの有効性はかなり大きいのではないでしょうか。

 たとえ善意に基づいたにすぎない、との由来の発言であっても、それを耳にする人に及ぼす影響にまで考えが及ばない点は、今まで以上に改善されると思います。

 

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今回はかなり長いですね🐍
さらに、なんです🤭

冒頭の提起事項。
「それ言っちゃいますか?」な言動に遭遇した際 の部分に今一度戻って別筋に展開します。

 

 note内等で時々見掛けるエピソードもそうですが、「たまたま居合わせた見知らぬ人」の例もあれば、職場で近い人など、言動を発する人との立場関係は色々あり得ます。

 異なる発信者から言葉を受けた場合に、「コイツの発言は癪(しゃく)に障る」や、逆に「この人が言ったから気にならない」のように、(ニュアンスを含めた)内容が同一であるにもかかわらず、相手への好意を土台に評価を変えてしまうような態度というものは、おそらくゼロにはならないのでしょうね🤪
 それもまた、人の〔心理〕☝

 概ね結果論的に顧みてみたいところですが、本質に忠実なら、そのような差は出ないはずなのですけれど(;´∀`)
 ⇒以下のリンク『ブラインド・オーディション』に通じる要件📖

 

 上記のチェックポイントを「それは一切無い🙅」との確信を持って通過できない限りにおいては、【言う方も言う方なら、言われ(て気分を害す)る方も言われる方】との着地点かと🛬

 

例えば知人と電車に乗っている間の会話のシーン。
当方の場合、周囲の誰かの耳に入って不快にさせてしまいかねない内容(話題)を、聴こえるように話すことは控えるようにしています。
これまで様々な無配慮発言が耳に入り、最低限の「受け流し」術を備えたにすぎない人間ですら、反面教師的に「自分はそうならないようにしよう」と心掛けるに至っているわけです。※無論、完璧ではありません(^^ゞ
テレビのお天気コーナー
☀ - 「良い天気」とは言わないですね⇨「晴れ間が広がるでしょう」
☔ - 「天気が悪い」とは言わないですね⇨「ぐずついた天気」
…これらは概ね農業関係者など、雨が望ましい時期があったりで、「良い悪い」が逆転することがあるため、配慮したうえで、『決め付け表現』を避ける心得があるようです💡
無配慮発言多発の人にかぎって、上に立つこと(組織の上層)が多い?
いや、上の人だから許される?
いや、歯に衣着せぬ豪快さがあるからこそ出世する?

 

 

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