上に立つ指導者として人間学について学ぶ
こんにちは、三上です。
今回のテーマでは指導者の立場として私が知る限りのお話をお伝えしようと思いました。
大企業の創業者の方や総理大臣とか大統領など偉大な功績を成し遂げてたことは一切ありません。
では、上に立つ指導者って?と思いますが、健康相談を受け賜る立場として、小さな序列の中での学び培った事を綴ってみたいと思います。
物事を教える指導者として人間学が重大な所以
大企業や組織の長だけが上に立つ指導者ではありません。
子供の親として、介護のする者も、病院の医院長や料亭の大将も上に立つ者であると言うことです。
それから健康相談を受ける立場目線はお客様の立場に立っての事である。
しかし、人が人の間で生きる限り、そこには必ず長幼の序列があります。
もちろん、学校の教室内にもあり先輩後輩の仲にもありますよね。
だから上に立った者の人間学が重大である所以として考えて欲しいのです。
タイトルの話とは脱線してしまいますが、私は黄帝内経と言う東洋医学の聖典的な思想の礎とも言える古典名書が大好きです。
そして、いつも私の考え方の根底にあるのですが不良な私ですから…
まぁ、全編を読破するまでには至らなかった事や読みながら寝てしまうことの方が多かった気もします。
少しだけ簡単に要略して綴っておきましょう。
黄帝内経
現存する中国最古の医学書として伝えられている古典名書になります。
その昔、中国には黄帝という人々に敬愛された方が帝王に推戴されました
黄帝が師 岐伯(きはく)を始め幾人かの学者に日常の疑問を問う問答を綴った中医学・東洋医学を学ぶ上での基礎理論の聖典です。
この古典名書は「素問」「霊枢」の二部に分かれておりまして
その疑問を問うことから『素問』と呼ばれ問答形式で記述されています。
『霊枢』は『鍼経』の別名とされてまして『素問』が基礎理論とすると、『霊枢』は実践的な技術的に記述されている古典名書なのです。
早い話が、万物の法則や自然の摂理に従った生活リズムや食べ物や薬味から生命の営みなど常態病態生理として天地の理を整えることにより、健常な生命を保ち生活することで天寿を尽くすことができるようにもなるのだけど…
それに背いた生活をしてしまうのが人間なので体のどこかに異常が発生して病んでしまう。
だから、このような考えを持ち養生することで治る事もあり治らない事もあるので気をつけて生活するように。と言った中医学、東洋医学の基礎理論でもある原点を綴った古典名書なのですね。
私は最も底辺にいる人間なので権威のある話ではありませんが、上記のような考えを基に恩師から学んだ指導者としての人間学へ話を戻してまいりましょう。
思想に基づく考え方
1. 修身
自分の行いが正しいと修めること
(心や行動が乱れないように学問や芸術を身につけること)
先ず、自分の身を治める事が一層大事なことなのです。
すなわち、修身こそ上に立った者の根本的な条件であると言う古来の教えから学ぶことがある。
2.実力
よく学習する事で自信を付け実践する。
そうすれば実力が養われて実行力が湧き出るので、実力は行動あって発揮することができる。
3.感化力
感性を磨き感化することで人を巻き込む力を養うこと。
人の意識を奮い立たせる力は良き感性であって何よりも必要です。
私心がある限り真の感化力は生まれることはなく、無私と感化力は一対であることを認識するように改める。
4.勇猛心
自己と組織の向上のために如何なる困難にも臆せず立ち向かい事を収める心
未知の世界に立ち向かう努力と精進する心と言う考え方を持つこと。
5.夢や冒険心 方向を示す力
大きな事をするのではなくて他人を思い遣る心を忘れずに精進することにより、お天道様や神仏様が大きな目で見てくれる
「一国は一人を以って興り一人を以って亡ぶ」と言う言葉の通りに気をつけ
一人を大切にしなければ、その一人から離れ失ってしまうこと
水に学ぶ教訓はたくさんある
老子曰く「上善水の如し」
水は人生を語るとも言われておりますね。
水なして生物は生存できないのですから、生体として最大の栄養素と考えを持つことは、人生の誕生から閉じる時までご厄介となります。
「末期の水」「死に水をとる」とも言うことからも学びがあります。
生き返って欲しいと願いが込められてのことらしいですが、その昔の医学が発達する前の時代では、水が喉を通るか通らないかで死亡判定をしていたのです。
「水は方円の器に随う」
人は、交友・環境により良くも悪くもなることです。
水はその容器の形によって四角にもなるし丸くもなる。
どのような変化があっても柔軟に受け入れて、その変化を楽しみながら素早く順応しなければならないと言う事ですね。
老子曰く「上善水の如し」の哲学
最上の善とはたとえば水の様なものである。
水は万物に恵みを与えながら万物と争わずに自然と低い場所に集まる。
その有り様は「道」に近いものなので、住居は地面の上が善くて、心は奥深いのがよいけれど、人付き合いは情け深いのが善くて信義あるの言葉がいい。
政治も治まるのがよくて、事業も能率が高いのがいいので行動する時節を適って進めるのがよいという意味です。
水の様に争うことをしなければ、そもそも間違いなど起こることはないと言うことです。
1.自ら活動して他を動かしむるは水なり。
水は百年千年を流れて渓谷を刻み千丈の滝を作る
2.常に己の進路を求めてやまざるは水なり。
水は必ず低さを選び低さにつくより低い己の道を求めてやまない限りない、謙虚さを示めすと言うこと。
3.障害あっては激しくその勢力百倍し売りは水なり。
流れる水を止め貯水して、一気に流すことで発電し百倍千倍の力となる。
4.自ら潔く他の汚濁を洗い清濁併せ入る度量あるは水なり。
清らかな水も濁れる水のどちらとも何の文句も言わずに、ただ流れるままの姿は与える恩を水に流しなさい、受けた恩は石へ刻むべしと説いています。
5.洋々として大海を満たし、発しては霧となす、雨雪に変じ霰と化す。
凍っては玲瓏なる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり。
さまざまな水の態様は人生を達観せよ。と語っているようでもありますね。
無言して人生の輪廻を説いており、行く河の流水は絶えずして元の水にあらずの如く、水は時の移り変わりを語る。ということです。
いくつか話が外れておりますが致し方ありません。
私なのですからと柔軟に受け止める心も時には必要なのでしょう。
物事を考える上での基礎理論として気付きがあったのでしたら嬉しいです。
指導者としての立場が当然あるのでしょうから、水のように様々な変化にも柔らかく時には勢い良く対応できること。
その人が持つ道徳心が他人の上に立つ者として根本的な考えとなり、多くの影響力を及ぼしていると言う事をお忘れないよう取り組んで欲しいですね。
本日もありがとうございます。
今回も私の拙い文章力ではありますが、後世に何かを残せればとの思いから、いつも皆々様のご健勝を祈り記事を作成しております。
ご一読いただけた事を心から感謝しております。三上 拓 Taku Mikami