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DENNYさん
2019年11月11日 11:35
平安の世の恋は、互いの顔も知らぬところからはじまる。 侍女や召人たちから、聞くともなしに聞く噂。 名も知らぬ姫君に、公達は名乗ることもせずに文を送る。時には歌を、時には一輪の花を添えて。 いつしか、互いに文を送り合うようになる二人。やがて、公達は姫君のもとを訪ねる。 御簾(すだれ)越しに二人は、言葉を交わし合う。幾度かの御簾越しの逢瀬の後、ついに姫君は御簾を上げる。 公達は、御簾の中に
2019年11月20日 14:27
「『古事記』に諾冊二尊が美斗能麻具波比(みとのまぐはい)を為し給へりと云ふ事あり。「美斗」は御所(みと)(寝室)にて、「麻」はうまく、「具波比」はくひあひ(交接)の意なりと云ふ」 神々がまぐわって、この国は生まれた。 太古、日本を造られたイザナギとイザナミが交わった時、まずイザナミの方から誘い、そのためにヒルコという異形の者が産まれたという。 私から誘うことで、二人の関係は、何か正しくない
2019年11月21日 10:33
「吸茎」(きゅうけい)とは、フェラチオのことである。他に「口取り」、「雁が音」、「尺八」、「千鳥の曲」などとも言う。 日本でいつ頃から、この行為が一般化したのかは定かではない。平安時代に書かれた「日本霊異記」には、天竺(てんじく、インド)でのエピソードとして登場するから、その頃はまだ珍しかったのかもしれない。いずれにせよ、江戸時代の文献には、普通に出てくるので、その頃には一般化していたのは確かで
2019年11月22日 11:14
基本的にワンルーム構造であった平安貴族の邸宅は、生活に便利なように、几帳をはじめとする、さまざまな屏障具(へいしょうぐ)で仕切って使われた。屏風や障子(現代の襖。木枠にはめ込んだり、自立する脚をつけたりして使う)は我々にもなじみがあるが、几帳は、せいぜい神社の拝殿で見たことがあるかどうか、というくらいであろう。 几帳とは、壁代(かべしろ)と呼ばれる帷子(かたびら)を衝立状にしたもので、わかりや
2019年11月23日 07:57
平安時代の女性の装束と言えば、まずは「十二単衣」(じゅうにひとえ)を想像されるであろう。袴、単(ひとえ)、袿(うちき)、打絹(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)と、重ねて着るので、十二単衣と呼ばれた。本当に十二枚着ているわけではない。 この十二単衣、またの名を裳唐絹(もからぎぬ)は正装であって、ハレの日や、宮廷に出仕する時などに、身分の高い女性が着るものであった。 平時の
2019年11月24日 09:52
「とりかへばや物語」とは、平安後期に成立した物語である。女性的な性格の男児と、男性的な性格の女児がいた。どちらが兄か姉かについての記述はないから、双子だったのかもしれない。 彼らはその性格のまま成長し、男児は女房として宮廷に出仕、女児も若君として宮廷に出仕する。そしてそれぞれ、正体を知った相手と恋に落ち、女児はついに身ごもってしまい、男児も正体がバレそうになって、窮地に陥る。 結局彼らは、互い
2019年11月25日 10:51
巴取りとは、現代で言うシックスナインのことである。二つ巴ともいう。平安時代には、すでにこの名が付いていたようだ。男女が互いの性器を、口を用いて愛撫し合うこの形は、口を用いる愛撫が発見されるとほぼ同時に、発見されたと考えられる。 男が上になるのを「椋鳥(むくどり)」女が上になるのを「さかさ椋鳥」、二人が互いに横を向くのを「二丁立て」という。立位で行う「ひよどり越え」は、男によほど力があるか、男女
2019年11月26日 09:41
文(手紙)のことを、消息とも呼ぶ。電話やメールのない平安時代、離れた相手に意志を伝える、唯一の方法が消息であった。 郵便制度も、もちろんないから、自分の召人を「文使い」として、文を持たせて遣わすのが普通であった。文には「折枝(おりえだ)」と呼ばれる、季節の草木の枝を折ったものを添える。草木の色と、文に使う紙の色を揃えるのが基本だ。 正式な(事務的な)文は、白紙で包んだ「立て文」で、現代の、の
2019年11月27日 10:10
平安時代の貴族階級では、実情としては一夫多妻であったが、制度的には一夫一妻であった。正式な婚姻は、双方の両親の話し合いで決められるのが普通であり、恋愛結婚は基本的になかった。 例えば、「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば」 の歌で知られる、栄華を極めた、藤原道長は、二人の妻(と多数の妾)を持っていたとされるが、あくまで正妻は、源雅信の娘・倫子であり、源高明の娘
2019年11月28日 11:34
御帳台とは、屋根のある、日本式の寝台である。屋根は障子で、床は畳、三方に几帳、正面に御簾が垂らしてある。 以前の回でも書いたが、高貴の女性が、この御簾を上げて男性に顔を見せることは、すなわち関係を許すことであった。 中将の君は、御簾の前に置かれた円座(わろうざ)に、静かに腰をおろした。そして、一言も言わず、御簾を--御簾の向こうの私を見ていた。 私からは、辛うじて中将の君が見えるが、中将
2019年11月29日 11:18
木の間より もりくる月の かげ見れば 心づくしの 秋は来にけり 詠み人知らずのこの歌は、月の美しさを歌った、最も早い時期の歌の一つである。「心づくし」とは、心を使い果たすこと、物思いに心魂を尽きさせることを意味する。 日本人にとって秋は、古来より物思いにふける季節だったのである。「まだ早い」 そう言って、中将の君が御簾の裾を押さえたことに、私は驚きを隠せなかった。 ここまで私に援助を
2019年12月1日 13:39
『源氏物語』は、平安時代に紫式部が書いたとされる、世界最古の長編小説である。 主人公の、光源氏の君は、桐壺帝の皇子として生まれるが、占いの結果を受けて、皇太子ではなく、臣籍降下して、源氏の姓を賜る。この光源氏が、義母である藤壷や、自ら育てた紫の上をはじめとする、幾多の女たちと、恋の遍歴を重ねながら、宮廷人としても出世して、准太上天皇となるも、無常を覚えて出家するまでを描いた、第一部と第二部。光源
2019年12月2日 17:49
被衣とは、女性が徒歩や騎馬で外出する際に、顔が見えないように被る、袿(うちき)や単(ひとえ)のことである。後年には、被衣用に着物をあつらえるようになった。 庶民はさておき、高貴な女性が顔を見せることは、関係を許すこととイコールであったこの時代、被衣は、ムスリム女性の被り物である、ヒジャブやニカーブ、ブルカ、チャドルなどと、よく似た機能を持っていたと言えるだろう。 ちなみに、都市において、女性
2019年12月3日 05:40
紅葉狩りや桜狩り(花見)は、平安時代には、すでに行楽として確立していた。『伊勢物語』百六段には、紅葉狩りで「親王(みこ)たちの逍遥したまふ」さまが描かれており、その時に詠まれた歌が、落語『竜田川』や、漫画『ちはやふる』で有名な、「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」 である。 また、『大鏡』には、藤原道長が、大堰川に和歌、漢詩、管絃の船を浮かべて、嵐山の紅葉を愛で