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蔦葛物語

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女性向けアダルトサイト「夜オンナ」で連載した作品を、管理のためこちらでもUPします。平安時代を舞台に、貴族の姫と従者の少年の恋を描くおねショタストーリーです。R-18。
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#おねショタ

第一夜 蔦葛(つたかずら)

 平安の世の恋は、互いの顔も知らぬところからはじまる。
 侍女や召人たちから、聞くともなしに聞く噂。
 名も知らぬ姫君に、公達は名乗ることもせずに文を送る。時には歌を、時には一輪の花を添えて。
 いつしか、互いに文を送り合うようになる二人。やがて、公達は姫君のもとを訪ねる。
 御簾(すだれ)越しに二人は、言葉を交わし合う。幾度かの御簾越しの逢瀬の後、ついに姫君は御簾を上げる。
 公達は、御簾の中に

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第五夜 美斗能麻具波比 後編

「『古事記』に諾冊二尊が美斗能麻具波比(みとのまぐはい)を為し給へりと云ふ事あり。「美斗」は御所(みと)(寝室)にて、「麻」はうまく、「具波比」はくひあひ(交接)の意なりと云ふ」
 神々がまぐわって、この国は生まれた。

 太古、日本を造られたイザナギとイザナミが交わった時、まずイザナミの方から誘い、そのためにヒルコという異形の者が産まれたという。
 私から誘うことで、二人の関係は、何か正しくない

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第六夜 几帳(きちょう)の綻び 前編

「吸茎」(きゅうけい)とは、フェラチオのことである。他に「口取り」、「雁が音」、「尺八」、「千鳥の曲」などとも言う。
 日本でいつ頃から、この行為が一般化したのかは定かではない。平安時代に書かれた「日本霊異記」には、天竺(てんじく、インド)でのエピソードとして登場するから、その頃はまだ珍しかったのかもしれない。いずれにせよ、江戸時代の文献には、普通に出てくるので、その頃には一般化していたのは確かで

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第六夜 几帳の綻び 後編

 基本的にワンルーム構造であった平安貴族の邸宅は、生活に便利なように、几帳をはじめとする、さまざまな屏障具(へいしょうぐ)で仕切って使われた。屏風や障子(現代の襖。木枠にはめ込んだり、自立する脚をつけたりして使う)は我々にもなじみがあるが、几帳は、せいぜい神社の拝殿で見たことがあるかどうか、というくらいであろう。
 几帳とは、壁代(かべしろ)と呼ばれる帷子(かたびら)を衝立状にしたもので、わかりや

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第七夜 とりかへばや 前編

 平安時代の女性の装束と言えば、まずは「十二単衣」(じゅうにひとえ)を想像されるであろう。袴、単(ひとえ)、袿(うちき)、打絹(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)と、重ねて着るので、十二単衣と呼ばれた。本当に十二枚着ているわけではない。
 この十二単衣、またの名を裳唐絹(もからぎぬ)は正装であって、ハレの日や、宮廷に出仕する時などに、身分の高い女性が着るものであった。
 平時の

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第七夜 とりかへばや 後編

「とりかへばや物語」とは、平安後期に成立した物語である。女性的な性格の男児と、男性的な性格の女児がいた。どちらが兄か姉かについての記述はないから、双子だったのかもしれない。
 彼らはその性格のまま成長し、男児は女房として宮廷に出仕、女児も若君として宮廷に出仕する。そしてそれぞれ、正体を知った相手と恋に落ち、女児はついに身ごもってしまい、男児も正体がバレそうになって、窮地に陥る。
 結局彼らは、互い

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第八夜 巴取り 前編

 巴取りとは、現代で言うシックスナインのことである。二つ巴ともいう。平安時代には、すでにこの名が付いていたようだ。男女が互いの性器を、口を用いて愛撫し合うこの形は、口を用いる愛撫が発見されるとほぼ同時に、発見されたと考えられる。
 男が上になるのを「椋鳥(むくどり)」女が上になるのを「さかさ椋鳥」、二人が互いに横を向くのを「二丁立て」という。立位で行う「ひよどり越え」は、男によほど力があるか、男女

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第八夜 巴取り 後編

 文(手紙)のことを、消息とも呼ぶ。電話やメールのない平安時代、離れた相手に意志を伝える、唯一の方法が消息であった。
 郵便制度も、もちろんないから、自分の召人を「文使い」として、文を持たせて遣わすのが普通であった。文には「折枝(おりえだ)」と呼ばれる、季節の草木の枝を折ったものを添える。草木の色と、文に使う紙の色を揃えるのが基本だ。
 正式な(事務的な)文は、白紙で包んだ「立て文」で、現代の、の

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第九夜 御帳台(みちょうだい) 前編

 平安時代の貴族階級では、実情としては一夫多妻であったが、制度的には一夫一妻であった。正式な婚姻は、双方の両親の話し合いで決められるのが普通であり、恋愛結婚は基本的になかった。
 例えば、
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば」
 の歌で知られる、栄華を極めた、藤原道長は、二人の妻(と多数の妾)を持っていたとされるが、あくまで正妻は、源雅信の娘・倫子であり、源高明の娘

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第九夜 御帳台 後編

 御帳台とは、屋根のある、日本式の寝台である。屋根は障子で、床は畳、三方に几帳、正面に御簾が垂らしてある。
 以前の回でも書いたが、高貴の女性が、この御簾を上げて男性に顔を見せることは、すなわち関係を許すことであった。

 中将の君は、御簾の前に置かれた円座(わろうざ)に、静かに腰をおろした。そして、一言も言わず、御簾を--御簾の向こうの私を見ていた。
 私からは、辛うじて中将の君が見えるが、中将

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第十夜 心づくしの秋 前編

木の間より もりくる月の かげ見れば 心づくしの 秋は来にけり

 詠み人知らずのこの歌は、月の美しさを歌った、最も早い時期の歌の一つである。「心づくし」とは、心を使い果たすこと、物思いに心魂を尽きさせることを意味する。
 日本人にとって秋は、古来より物思いにふける季節だったのである。

「まだ早い」
 そう言って、中将の君が御簾の裾を押さえたことに、私は驚きを隠せなかった。
 ここまで私に援助を

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第十夜 心づくしの秋 後編

『源氏物語』は、平安時代に紫式部が書いたとされる、世界最古の長編小説である。
 主人公の、光源氏の君は、桐壺帝の皇子として生まれるが、占いの結果を受けて、皇太子ではなく、臣籍降下して、源氏の姓を賜る。この光源氏が、義母である藤壷や、自ら育てた紫の上をはじめとする、幾多の女たちと、恋の遍歴を重ねながら、宮廷人としても出世して、准太上天皇となるも、無常を覚えて出家するまでを描いた、第一部と第二部。光源

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第十一夜 被衣(かずき) 前編

 被衣とは、女性が徒歩や騎馬で外出する際に、顔が見えないように被る、袿(うちき)や単(ひとえ)のことである。後年には、被衣用に着物をあつらえるようになった。
 庶民はさておき、高貴な女性が顔を見せることは、関係を許すこととイコールであったこの時代、被衣は、ムスリム女性の被り物である、ヒジャブやニカーブ、ブルカ、チャドルなどと、よく似た機能を持っていたと言えるだろう。
 ちなみに、都市において、女性

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第十一夜 被衣 後編

 紅葉狩りや桜狩り(花見)は、平安時代には、すでに行楽として確立していた。『伊勢物語』百六段には、紅葉狩りで「親王(みこ)たちの逍遥したまふ」さまが描かれており、その時に詠まれた歌が、落語『竜田川』や、漫画『ちはやふる』で有名な、
「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」
 である。
 また、『大鏡』には、藤原道長が、大堰川に和歌、漢詩、管絃の船を浮かべて、嵐山の紅葉を愛で

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