映画「荒野に希望の灯をともす」撮影・監督 谷津賢二 2022年 を観て、少し感じたこと・考えたこと
現代社会のありように少しでも関心を持って生きている方で、中村哲さんのことを知らない人はいないだろう。「人が生きて、死ぬことの意味を、日本人は忘れているんじゃないかという気がするんですね」という彼の直接的な言葉を待つまでもなく、彼の偉大な生き方と成し遂げた業績の大きさは、閉塞感と劣化が進む現代日本社会に、重大な問いかけをしているように思える。
朗読を石橋蓮司、語りを中里雅子という手練が担当。企画がペシャワール会で、制作が日本電波ニュース社であることからも伺えるように、このドキュメンタリー作品に使われている映像は、この2つの組織が、中村さんのパキスタンとアフガニスタンでの21年間に渡る長年の活動を撮影したもの、あるいは、自ら撮影したものであると思われる。そのため、基本的に、すでに、NHK特集などで使われた映像に一部未公開の映像が追加されて使われていて、その構成と語りに、劇場版としてメッセージがより強く現れているように感じられる。
何度目かのリバイバル上映で、やっと見ることができた。5万人突破記念の上映と銘打ってあった。ウクライナでの戦争が長引き、北朝鮮がミサイルの発射を加速させ米韓日が対抗する大規模軍事演習を行い、中国と日本を含む西側諸国の対立が加速して、日本でも有事立法のもとで、軍事力強化とりわけ沖縄の軍事要塞化が進んでいる。さらに、福島原発の汚染水の海洋放出が強行されてとりわけ中国からの強固な反発が起きている。
そんな中で、「憎しみに憎しみで応えても、真の解決にならない」、「武力では真の解決にならない」という中村さんの強固な信念と強靭な行動力と、「どんな立派な理念よりも、小さな一つの実践」、「現地の実情を自らの目で確認すること」が重要だという言葉が、強く胸に突き刺さる。
作品の中で流れる、穏やかなピアノの調べについて、上映後のトークの中で、谷津監督から紹介があった;娘さんの中村幸さんが演奏する、中村さんが生前大好きだったモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618だという。そう思って耳を傾けると、さらに胸を打たれる心地がする。
(ご参考)
https://www.youtube.com/watch?v=5XczGCLw3nw
1日1回の連日の上映後に、ゲストトークが設けられていて、その中で、今日は、”あの”高野秀行さんがゲストとして登壇するというので、見逃せないと思い、観に行った。観客およそ50人。意外と空席があった。
谷津監督のリードで進んだ30分のトークは、興味深い内容で、あっという間であった。会話の主題は「言葉」。異なる歴史と文化と風習をもつ異国の地に赴いて、その国の人々と会話し、心を通わして、彼らとその国、地域を知るために、現地の言葉を習得する努力は、必要不可欠であること。翻訳、通訳では、全く伝わらないたくさんの未知のモノやコトが溢れていること。例えば、麺=”noodle”では、そば、うどん、そうめん、冷麦、ラーメン、ほうとう、・・・の、”全く違う麺”を理解することはできないというエピソードは、腹に落ちる。
中村さんは、現地での医療活動に加えて灌漑事業や教育事業を現地の人々とともに展開する中で、パキスタン、アフガニスタンのいくつもの現地語を習得している。その流暢な言葉遣いは見事である。「現地の言葉を自分で身につけない限り、現地の本当のこと、現地の人たちの心はわからない」と考える点において、高野さんと全く同じ”人種”であった。
なお、高野さんには「イラク水滸伝」という最新刊があることをこのトークの中で知った。大抵の公共図書館では数十の予約が入っていることにも気がついた。
上映後、作品のパンフレットを買って、監督とゲストの高野さんのサインをいただいた。その際に、二言三言会話した。谷津監督は、とても物腰が柔らかくて、好感が持てる人柄だと感じた。高野さんも、あの好奇心と人並外れた行動力からは、想像できない穏やかさがあった。
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数日後に、再び鑑賞。終映後のトークに、平野啓一郎さんが登壇するというので、予約を動かせなかった歯科治療の後、30分遅れで駆けつけた。前売りのチケットを買っておいたので、途中入場できたが、今回は満席だった。
作品自体は、二度見ても全く飽きることがなかった。
平野さんと谷津監督との対談における、平野さんの中村哲さんに関する発言をいくつか紹介したい。
・福岡(北九州)出身なので、この人に対する関心は強かった。映画を見てあらめて心を打たれた。
・強い意志と善意。尊い命を救うため具体的に何が必要なのかを常に考えて行動していた人だった。
・抽象的な「アフガニスタン人」の”実像”を伝えてくれた。
・言葉が直截的で、眼差しが強い。
・「美しいひと」;その精神が美しいということ。
・「かっこいい人」;浮ついた言葉に響くかもしれないが、戦後の日本は、人生の目標を失った時代であった。お手本となる人を見つけて努力しようとした。この「お手本」は、「かっこいい人」。人は根本的に一人で生きていくしかない。が、周囲の人のことを思わずに生きて、充実した人生にはならない。
中村さんは当時10歳の次男を不治の病で亡くした。アフガニスタンでの活動のため、その死に水もとってあげられなかった。親としての無念さは、如何ばかりだったろう。命を賭けた灌漑用水が完成して、すくすく育った、息子と同じ10歳の緑の木を見上げて、中村さんの目に涙が溢れる。「天国で待っとれ。お前の無念さは俺が仇を取ってやる・・・」。胸がつまる姿であった。
平野さんも、同じ年頃の子供を持っていて、発言中に胸に込み上げるものがあったようで、言葉に詰まった。
「途中で投げ出さなかったその強い意志を支えていたもの。そこには、不治の病に陥った次男の”理不尽な”短い生への想いがあっただろう」。実際、完成した用水路で無邪気に遊ぶ子供達の姿の中に、次男の姿を重ねて見ている中村哲さんがいた。
そして、最後に谷津監督から紹介されたエピソードが、胸に詰まるものであった;
『この映画の上映が終わって、一人の女子高校生が声をかけてきました。「今の日本にはロクな大人がいないと思っていた。でも、この映画を見て日本にも立派な大人がいることがわかった。もうちょっと日本でガンバってみようと思いました。」』
これに対して、平野さん:
『もうずいぶん前から、「日本(社会)の凋落」がはっきりしているのに、中身のあまりない「日本ブーム」を煽って捏造し、この事実を隠蔽する政治やジャーナリズムが蔓延している。誰にだって、日本が素晴らしい国で、日本人がすばらしい人々だったらいいと思う気持ちがある。”かっこいい”ロールモデルとして、中村さんのような人が求められているのだと思う。』
中村哲さんは「後継者は?」と問われて;
「用水路です」と答えた。確かに、用水路は、人々の命を支えていて、人々に愛されている。その技術は、アフガニスタンの人々に受け継がれている。
中村哲さん;
「人と自然との和解が必要だ」。「自然にも人格がある。無闇に収奪してはいけない。この気持ちは、九州で育まれた」
平野さん;
「北九州は働く人の町。八幡製鐵ができて巨大な人工物の街となり、熊本から広島あたりまでの次男坊以下の人々20万人が集まってできた街。しかし若松など自然が豊かで美しい海岸や海が残っている。」
「九州大学医学部という超エリートである中村哲には、一種の孤独感があったのではないか。しかし、普通の人々が、汗水垂らして働いて作った街。そういう街で暮らす人々に対する愛着、眼差しを持ち続けていた人だと思う。」
・谷津監督から中村哲さんの「人柄」に対する一言;
気迫に満ちた人だった。机の上には、司馬遷の「史記」があったのが目についた。一方で、その横には、「クレヨンしんちゃん」のシリーズも揃っていて、「これ面白いんだよ」と相合を崩す側面があった。
一人でも多くの日本人が、この作品を観て、何かを感じ、何かを考える機会になるればと思わずにはいられない。
補足
「タリバン」とは:
イスラム教の神学校「マドラサ」で学ぶ学生はアラビア語で「タリブ」と呼ばれ、現地のパシュトゥー語の複数形が「タリバン」。タリバンが集まっているという言葉を聞いて、攻撃し、多くの学生が犠牲になるという悲劇も起きているという。
(終わり)