人々がわかりやすいものばかり選ぶから社会はよくならないんだよ
「人々が買うのは、最高の商品ではなく、一番わかりやすい商品だ」
最近読んでいた書籍に、こんな感じの言葉があった。
マーケティングに携わるものとして、これにはすごく納得する言葉だ。
今後もこの考え方を忘れないで仕事に臨もうと思っている。しかしそれと同時に、こんなことも思った。
「人々がわかりやすいものばかり選ぶから、社会ってよくならないんじゃないか?」と。
ちょっと論理が飛躍してしまったので、ゆっくりお話ししていく。
ビジネスの場に限った話ではないが、何かを選択する時、人は意外と合理的でない。
人は、わからないことや難しいことについてはできる限り見えないふりをして選択している。
例えば、資産形成について考えてみよう。
資産を増やすという観点から考えると、持ち金を全て貯金しているよりは、一定額をインデックス投資にでも突っ込むほうが間違いなく合理的だろう。
しかし、多くの人々はそうしない。
なぜなら、投資は危険なものだと思っているから。
危険だと思う根拠?そんなものはない。
イメージだけで危険なものとみなし、詳しく調べようとせず避けてしまう。
このように、わかりにくいという理由だけで投資は選ばれないのだ。
もう一つ、市議会議員選挙について考えてみる(最近地元で行われていた)。
立候補者はそれぞれ公約を掲げ、彼らなりの政治をよくしようという思いを語る。
その多くは、とりわけすごいものではなく、わかりやすくて市民にもとっつきやすいものであることが多い。
そして、内容が乏しくても、そういった人たちが当選していく。
一方で、市民がわからない高度な内容を語る候補者は、いくらいいことを言っていようが市民から選ばれない。
市民にとっては、自分が理解できないことは怪しいことなので、真っ先に選択肢から外されてしまうのだ。
このように、社会には非合理的な選択が溢れている。
人々は、わからないこと、難しいことを危険視して避けることによって、社会をよくない方向へ導いてしまっているのだ。
これでは、いくら少数の個人が頑張ろうが、社会が変わっていくことは決してないだろう。
では社会をよくするために僕ら個人には何ができるのか。
それは何かを選択する際に、わからないものをわからない状態で放置しないことだろう。
投資が怪しいと思うならその根拠を調べるべきだし、選挙の候補者の言っていることがわからないなら、理解しようと試みるべきだ。
わからないものをわからないからと危険視して選ばないのは、思考する力をもって生まれた人間として、情けない行為だと思わないだろうか?
僕も一人の人間として、可能な限り合理的な選択ができるよう日々努めていきたい。
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