大河ファンタジー小説『月獅』25 第2幕:第8章「嘆きの山」(5)
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第2幕「隠された島」
第8章:「嘆きの山」(5)
「おいディア! ソラがいないぞ」
ヒスイが叫んで森の真上に飛びあがる。
なんですって。
「ヒスイ、森の出口はどっち!」
ディアが空に向かって張り裂けんばかりの大声で叫ぶ。
「オレが連れ戻す」
ヒスイが叫び返して、翼をひるがえす。
「待って! おまえじゃソラを運べない。ギンに父さんを呼んでと伝えて、急いで」
ディアが駆け出す。
私のせいだ。私が森の幻影に惑わされて、失神なんてするから。ルチルの心臓がせりあがる。シエルを抱えてディアの後を追う。何度も木の根に引っ掛かりつまずきそうになる。白の森で駆けたときはひとりだったけど、今はシエルを抱いている。転ぶわけにはいかない。シエルを抱きしめ、心のうちで祈る。どうか、どうかまにあって。
突然、明るい陽射しが降りそそぎ、森がとぎれ丈の高い草がなびく原が広がった。明るさに慣れない目をしばたたき、開けた草原を見渡す。「あー!」腕の中のシエルが手を伸ばす。
その指さす先に目をやると、青い衣の幼子の背が見えた。銀の髪が風になびいている。
まにあった――。
「ソラー、止まってえ!」
ディアが叫ぶ。
びくっとしてソラが振り返った瞬間、その躰が宙に浮き火口のほうへと流された。
「いやあああ、ソラー」
抱いていたシエルを放って駆け出そうとするルチルを、ディアが腕をつかんで止める。
「ルチルはシエルを守って。シエルを抱いて安全なところまで下がって。大丈夫、あたしがソラを取り戻してくるから」
そのときだ。
大きな翼の影が走った。空気がぴりぴりと震える。突風が巻き起こり、ルチルは飛ばされそうになりシエルを抱きかかえて膝をつく。ディアのオレンジの髪が逆立つ。
「あれは何?」
見たこともないほど大きな翼が弾丸のごとくソラに向かう。その飛翔が空気を直線で切り裂く。あんな怪鳥に攻撃されたら、ソラはひとたまりもない。
翼が起こした突風に草原の草がいっせいに地にひれ伏す。ディアが強風に吹き飛ばされそうになりながらも、駆け出そうとする。
「待て、ディア」
ギンが高い天から叫ぶ。
「あれはグリフィンだ」
ギンが舞い降りる。遅れてヒスイもディアの肩へと急降下する。
グリフィンですって。
ルチルはシエルの肩に乗っているはずのビューを探す。いない。
ディアと目を見合わせ、視線を巨鳥へと転じる。
グリフィンはソラを通り越すと、くるりと旋回して飛ばされてくるソラを、翼を広げ厚い胸で受けとめた。前脚の鉤爪でがしりとソラの脇をつかむ。だが翼が徐々に下がり、じりじりと火口へと下がっていく。あれほど大きな神獣でも引きずられるほど、火口の磁場は強いのか。ルチルは両手を握りしめる。
「ビュイック、何してるんだ」
森の奥から突然、激しい怒声が飛んだ。
「おまえの力はそんなもんじゃないだろ。羽ばたけ!」
振り返るとノアが駆けてくる。
グリフィンは磁場の力を背で受け、必死で堪えている。垂直の姿勢を水平に立て直すこともできないようだ。翼はソラを抱え込むように前方に丸まり、広げることもかなわない。
だがノアの𠮟咤にその獰猛な気性をたぎらせ、山の力に抗い翼をぐぐぐっと広げる。
ルチルは自らの手の甲に爪を突きたてて両手をきつく握りしめる。ディアもひと言も発しない。誰もが息をすることも忘れて屹立する。
グリフィンは渾身の力で両翼を開ききった。垂直の滞空姿勢は天に突き立った十字架のようだ。ばさっばさっと、二度翼をはためかせる。あたりを薙ぎ払う突風が起こり、はるか離れた森の樹々まで揺らす。それを反動に水平飛行に姿勢を立て直すと、再び弾丸となって空を切り裂き猛進した。
ルチルが激しい風に目を眇め、ひと瞬きする。目を開けると、大きな影が立っていた。
「やはりおまえはビュイックか……」
ノアが納得するように漏らす。そのつぶやきには応えず、グリフィンは前脚の鉤爪でつかんでいたソラの両腕を放す。ソラは着地すると、くるりと振り返って巨大なグリフィンの胸に抱きつこうとした。
そのとたん、見あげる小山のようだった巨躯がどんどん小さく縮んでいき、またたくまに掌サイズのグリフィンに戻った。その場にいた皆が呆気にとられ、なにごとが起こったのかと目をこすり言葉を失う。ノアでさえも。
丈の高い萱に埋もれるようにして、小さなグリフィンが広げた翼を折り畳んでいた。
シエルだけがその姿に、「ビュー」とうれしそうに手を伸ばす。
ルチルは膝をついて伸びあがり、きつくソラを抱きしめた。
「おまえたちは、ギンについて家に戻れ。俺はすこしビューと話をする」
(to be continued)
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