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大河ファンタジー小説『月獅』22   第2幕:第8章「嘆きの山」(2)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
前話(21)は、こちらから、どうぞ。

第2幕「隠された島」

第8章:「嘆きの山」(2)

<あらすじ>
(第1幕)
レルム・ハン国にある白の森を統べる「白の森の王」は体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。ある晩、星が流れルチルは「天卵」を産む.。そのためルチルは王宮から狙われ白の森をめざす。だが、森には謎の病がはびこっていた。白の森の王は、再生のための「蝕」の期間にあり本来の力を発揮できない。王はルチルに「隠された島」をめざすよう薦める。ルチルは王宮の偵察隊レイブンカラスの目につくよう断崖から海に身を投げた。
(第2幕)
「隠された島」に漂着したルチルは、ノアとディアの父娘と島で暮らしはじめた。天卵は双子だった。金髪の子をシエル、銀髪の子をソラと名付ける。固く握られていたシエルの左手から、グリフィンが孵った。けれども、グリフィンの雛は飛べなかった。

<登場人物>
ルチル‥‥‥天卵を生んだ少女(十五歳)
ディア‥‥‥隠された島に住む少女(十二歳)
ノア‥‥‥‥ディアの父 
シエル‥‥‥天卵の双子の金髪の子
ソラ‥‥‥‥天卵の双子の銀髪の子
ビュー‥‥‥グリフィンの雛
ギン‥‥‥‥ハヤブサ・ノアの相棒
ヒスイ‥‥‥ケツァール・ディアの相棒

 ――泉より先にひとりで行ってはいけない。
 五歳の日に父と交わした約束をディアは守った。いや、守らざるをえなかった、というべきか。好奇心の止められないディアは、こっそり泉を越えようと何度も試みたが、そのたびにギンに見つかるのだ。警戒もせずすたすたと泉を通り過ぎると、五十歩も進まないうちに、さっとギンが現れディアの額をつつき髪を引っ張る。しかたなく泉まで戻っても許してくれない。その日はあきらめて帰ったが、家に入るまでギンはそばを離れなかった。父さんは戸口で腕組みをして立っていたが、何もいわなかった。
 それで懲りるディアではない。泉で遊びながら空を確認し、ギンに見つからないように樹々の葉蔭を選び藪や樹間を歩いた。それでもハヤブサの目をくらますことなどできず、先回りした枝先から鋭い眼光で睨まれ連れ戻された。
 そんなことを何度か繰り返していたある日、父さんが丸太小家の前からディアを呼んだ。エメラルドグリーンに輝く翼と赤い腹毛のコントラストがあざやかな鳥を肩に止まらせている。戸口に続く丸太の階段に腰かけ、ディアにも座るようにうながす。
「何度も泉を超えているそうだな。ギンにやっかいをかけてるだろ。なぜ約束が守れない」
 ノアは娘に静かに問いただす。
「お山の上まで行きたいんじゃないの。山と遊んであげたい。だってひとりぼっちは、つまんないでしょ」
「おまえの気持ちはわかった。鳥や毛ものたちだけでなく、花や草、風とさえも心を通わせようとしているのは知っている。その心懸けはすばらしい。生きとし生けるものすべてを等しく愛することができるディアを父さんは誇りに思う。だがな、迷いの森から帰れなくなったらどうするつもりだ」
 ディアは口をつぐんでうつむく。わずか五歳では想いと好奇心が先走り、その先を考えていなかった。
「山の上には決して近づかないと約束できるか」
 ディアは立ちあがり、父の前に立つ。
「約束する。ぜったいに守る」
 決意に満ちた灰金色の瞳を父は無言で見返す。海風が樫の葉を揺らす。
「よし、ならば、こいつをおまえにやる」
 父は左肩に止まらせていた美しい鳥を右腕にとる。ギンより少し小さいが、小鳥たちよりはずっと大きい。
「こいつはオスのケツァール。美しいだけでなく賢い。森に連れていきなさい。帰り道を教えてくれる」
 父が腕をひと振りすると、ケツァールはディアの腕に飛び移った。つぶらな瞳がディアを見つめる。美しい緑の翼をディアはそっと指先で撫でる。
「名はどうする?」
 ケツァールが片翼を広げる。緑の羽毛は陽をあびて宝玉の翡翠色に輝く。
「ヒスイにする」
「いい名だ。ヒスイ、ディアのこと頼んだぞ」
 ヒスイはもちろん、というように赤い胸をふくらませる。

 ディアは迷いの森では、意思を森に明け渡す。自分からどちらに行こうと思わない。森が示す道を進む。山を恐れず、迷路を迷路として心から楽しみ、山に話しかける。ヒスイは迷いの森でディアが迷子になりかけると、「ディア、こっちだ」と前を飛ぶ。陽が傾きかけるよりも早くディアに帰ろうとうながす。夜もディアの部屋の止まり木で眠った。
 ヒスイはディアのよき相棒だった。
「私にもね、シロフクロウのブランカがいたのよ」
 ルチルはあるとき、ディアに話した。ヒスイとディアを見ていると思い出しちゃった、といって。
 
 シエルとソラが生れてから、ヒスイは双子の見守りもしている。とくにやんちゃなソラは、すぐに家から脱走しようとする。生れて三月みつきが過ぎるころには、ソラは走り回るようになり、ますます目が離せなくなった。ルチルはソラよりも発達の遅れがちなシエルの世話に手をとられる。しぜんとソラの面倒はディアとヒスイ、シエルはルチルという役割分担ができあがった。
 ルチルはそのことを気に懸けていた。
 双子なんだから、二人平等にしたい。同じだけ抱いてやりたい。だがその想いはいつも空振りに終わる。一人っ子でおっとりと育ったルチルは、ソラのすばしっこさについていけない。扉のすきまからソラが脱走するのに気づいても、あっと思ってから動き出すまで一拍ほどの間があく。そのあいだにディアかヒスイがソラを追いかける。
 同じ天卵から生まれた双子なのに、能力も性格もまるっきり違い、成長するにつれその差は顕著になった。ソラは好奇心が旺盛で、なにごとも恐れず、要領もよく動きも機敏だ。一方、シエルは臆病ですぐに泣き、おっとりしていて、なにをやってもソラにおくれをとる。
 それでも双子は仲が良かった。どんなに泣かされてもシエルはソラを追う。ソラもシエルの姿が見えないと探す。
「ルチル、ルチル」
 ディアが囁くような声で手招きする。ディアの指さす先をのぞくと、シエルとソラが頭を互いのおなかにくっつけ、向き合う勾玉のようになってテーブルの下で丸まって眠っている。卵の中にいたときのようだ。ディアとルチルは、ふふ、と顔を見合わせて微笑む。
 騒動を起こすのは、たいていソラだった。
 グリフィンのビューはいっこうに成長しない。だが、その小ささが二人にとってはちょうど良いおもちゃになっていた。ビューはシエルのそばを好んだ。それがソラは気にくわない。
 ある日、ソラはシエルの肩に乗っていたビューに背後から忍び寄り捕まえるのに成功した。きつく握りしめられたグリフィンは、逃れようと鋭いくちばしで容赦なくソラの手をつつく。ソラの手が血で染まる。ルチルは悲鳴をあげた。
「ソラ、ビューを放して!」
 ディアがソラの手をつかんで指をこじあけようとするが、ソラはどんなにつつかれても放さない。ヒスイがグリフィンを攻撃する。シエルはソラの血をみて大泣きする。小鳥たちも飛びまわって騒ぎたてる。
「いったいなにごとだ!」
 部屋に駆け込んだノアは、グリフィンを鷲づかみして血だらけになりながらも、泣きもしないソラを見つけると、にたりと笑った。
「たいしたもんだ」
 といいながら、ソラを膝に抱きあげる。
「立派な狩人だな、ソラ」
 ソラの頭を厚い手で撫でる。
「ビューは好きか。遊びたいか」
 ソラがこくんとうなずく。
「じゃあ、これはどうだ」
 ノアがソラを背後から羽交い絞めにする。ソラが足をばたつかせる。
「苦しいだろ」
 ノアが手をゆるめる。
「ビューも同じだ。このままじゃ死んじまう。放してやれ。ビューおまえもだ。黄金を傷つけてどうする」
 グリフィンはぴくっとして、ソラの手に突き立てていたくちばしを引っ込める。ノアが太い腕をグリフィンの脚もとに差しだす。ソラが固く押さえこんでいた手を放すと、ビューはノアの腕に跳び乗る。
「ソラ、えらいぞ。腕を出せ」
 ノアはグリフィンをソラの腕に移す。
「ここを撫でてやるんだ」
 ノアが指の背でビューの胸毛を撫でる。ソラがまねる。
「いいか、ソラ。シエルもだ。グリフィンは誇り高い神獣だ。敬意をもって接しなきゃならん」
 ソラが大きくうなずく。シエルもこくこくと叩頭する。
 ビューが首を伸ばして両翼を広げる。まだ小さくて威厳はない。
 ノアが口にした「黄金」をルチルは聞き逃さなかった。微かだが確かにビューはその言葉にぴくりと反応した。ソラは、いや天卵の子はグリフィンにとって黄金なのだろうか。幼いころに読んだ物語のグリフィンは洞窟の奥の金の財宝を守っていた。同じようにこの子たちを守ってくれるのだろうか。でも、ビューは飛べないし、シエルやソラよりずっと小さい。今はまだ二人の遊び相手でしかないけれど。

(to be continued)


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