なぜ「アラン論」を書かなかったのか?
長年読み継がれている『幸福論』の著者であるフランスの哲学者アランについて、小林秀雄が彼の著書を愛読し、作品でもたびたび言及してきたことはよく知られている。
こんな幸福な出会いがあり、その"Quatre-Vingt-Un Chapitres Sur l'Esprit Et Les Passions"は小林秀雄みずから翻訳して1936(昭和11)年に『精神と情熱とに関する八十一章』として刊行したほどだ。現在でもそのままの訳で、文庫本で入手できる。
小林秀雄の亡き後の1992(平成4)年、蔵書の一部は遺族によって成城大学の成城学園教育研究所に寄贈されたが、そこにはアランの著作やそれに関する書籍が30冊ほど含まれているという。熟読玩味を常とする小林秀雄は、生涯にわたってアランに寄り添ったのだろう。
小林秀雄は、同じフランスの哲学者であるベルクソンも生涯にわたって愛読し、未完ではあるものの『感想』というベルクソン論まで書いたことは当然よく知られている。ただ、読者としては、ここで一つの疑問が浮かぶ。同じように私淑していたアランについて、たしかに『精神と情熱とに関する八十一章』を翻訳した。しかし、それ以上のアラン論を小林秀雄はなぜ書かなかったのだろう。
そこで小林秀雄のように「突然」思い浮かんだのは、名著『考えるヒント』である。
(つづく)
いいなと思ったら応援しよう!
まずはご遠慮なくコメントをお寄せください。「手紙」も、手書きでなくても大丈夫。あなたの声を聞かせてください。