【6通目】破滅にむかって時が静かにすぎる切なさ——ジョルジュ・シムノン『離愁』【書評】
拝啓
冬至が近づき、日がほんとうに短くなりました。寒さをまぎらわせるために、心温まる物語を求めたくなります。
ただ、人の心というのは、たとえ自分であったとしても分からないもので、むしろ切なさに惹きつけられることもあります。そんな人の心の機微をフランスの作家に描かせたならば、前回と同じになってしまうのが悔しいですが、やはりジョルジュ・シムノンを思い浮かべました。今回も「メグレもの」ではなく「本格小説」を、そして原作よりも映画のほうが話題になった『離愁』を手に取りました。もう何度読んだことでしょう。
第2次世界大戦の初期。北フランスでラジオの修理工を営むマルセルは、ナチス・ドイツが侵攻してくる前にと避難列車に乗り込むが、混乱のなかで妻子とはぐれてしまう。その列車内で、ベルギーから脱獄したという若い女アンナと知り合い、二人は恋に落ちる。
列車はドイツの侵攻から逃れるようにフランス各地を走り抜けながら、終の避難地にたどり着く。ユダヤ系であるアンナはマルセルの妻と偽り、収容所のある街をも占拠したドイツ兵から身を隠しながら、二人はつかの間の愛を育む。しばらくして、マルセルの妻子が避難している街が判明し、二人は別れることに。
数年後、ナチスに追われたアンナがマルセルの前に現れたとき、マルセルはアンナの運命を左右する決断を迫られる。
妻子ある中年男が若い女囚と恋に落ちる。不倫だ、不純だ、汚らわしいといっても、目の前で人が血を流して死んでいくのが日常だった戦時下で、常識的な、または倫理的な判断ができるものでしょうか。同じ男としては、ちょっと自信がありません。
映画では美女として名高いロミー・シュナイダーがアンナを演じています。ちょっと翳りのある彼女の笑顔をリアルタイムで楽しんだ世代ではありませんが、あの美貌を目の前にしたら、理性で欲望を押さえつけるのは難しいです。
前回のシムノン『仕立て屋の恋』は大戦前の作品ですが、今回の『離愁』は1961年の発表ですから大戦の後です。フランスやイギリスの小説や映画に親しむと、それぞれの国や人々にとってあの戦争の傷跡がどんなに深いか、そして隣国ドイツに対して抱く複雑な思いを、強く感じます。カズオ・イシグロ『日の名残り』も、大英帝国の没落を執事の仕事に映し出している物語でした。
『離愁』では、マルセルの妻子がどこに避難しているのか、なかなか判明しなかったとはいえ、いずれ再会し合流することによって、マルセルとアンナの恋は終りを迎えることが決められています。まるで薄氷を踏むような関係でした。二人の終局、破滅がマルセルとアンナにも、そして読者にも分かっていながら、静かに、しかも確実に、じりじりと終末へと向かっていく切なさ。
この物悲しさは、フランスではなくアメリカですが、スコット・フィッツジェラルドの『残り火』という短篇を思い出しました。不倫ではなく、若い夫婦の物語ですが、奇跡が起こることもなく、破滅に向かって確実に時がすぎていく。『華麗なるギャツビー』や『夜はやさし』などの影にかくれた名短篇だと、心に秘めています。
『離愁』は原作と映画で味わいが異なるので、どちらを先にしても楽しめるはずです。結末もちょっと違います。でも、あえて選ぶならば、入手しにくいですが、原作を先に読むのがいいと思います。
フランスの小説が4作品つづきました。フランス文学や小説は、まだまだ魅力的なものがあるのですが、ここはぐっと堪えて、次回は別の外国文学・海外小説にするつもりです。奇をてらうつもりはありませんが、今度こそ、あなたがまだ読んだことのない物語をこの手紙にしたためたい。切にそう思うのですが、あなたの守備範囲の広さには、とうていかないません。
今年の残りもあと2週間を切りました。終末が近づいてきたわけではないものの、年の瀬はどこか物悲しさがあります。本当に透き通った青空が楽しめるのも、あとわずかです。
既視の海