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思いは後方に散らしながら——飯田線阿房列車(2)
(承前)
東京駅8時33分発新大阪行き「ひかり635号」は定刻どおり、14番ホームを静かに滑り出す。地元の駅を発ったときは降っていなかった細かい雨が、うす曇った窓を打つ。しばらくはそんなに速く走らないので、雨の滴は余韻を残しながら垂れていく。
三列シートの窓際を選んだのは、東海道新幹線は左手に海が見えるから。けれども品川と新横浜を過ぎるまでは、光り輝くことはない高層ビルと、雑然とした工業地帯、そして何の代わり映えもしない家々の屋根ばかり。それでも、「乗り心地、走り工合、窓の外の景色等がいちいち気になる」と言って居眠りもしたくない内田百閒と同じく、車窓から目が離せない。
三列シートの残り2席に座った若い父親と幼い娘の親子2人は、白いイヤホンを片方ずつ耳にあて、さっそくスマホで動画をみている。自宅にいようが新幹線に揺られようが、見えるものは変わらないのに。
それまで空席の多かった12号車も、新横浜で多くの乗客を飲み込み、わずかに騒がしくなる。次は豊橋まで停まらない。雨脚が強くなったうえ、速度を上げたものだから、雨の滴は風圧で後方に押し広げられる。いくつかの隧道を抜け、茨木のり子が詩に書いた「根府川の海」を見ようとしたが、小田原の海とも湯河原の海とも区別がつかない。
根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅
たっぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまっさおな海がひろがっていた
新幹線では、だめだ。東海道線に乗って根府川の駅へ行き、海からのぼる朝日を一度でいいから見てみたい。
平らなところに、お椀をひっくり返したような丸い山が、ぽこん、ぽこんと見えてくる。ああ、伊豆だなあと感じる。3年あまり暮らしたものの、ここしばらくは訪れていない。三島駅の淡い緑色の屋根を横目に、苦い思い出を奥歯で噛みしめる。そういえば、雨はすでに止んでいる。
新富士。思わず口をつく。
田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける
伊豆で暮らしていたとき、はじめて訪れた田子の浦は、たしかに富士山がよく見えたが、暗く薄汚れた工場が建ち並び、風情も何もなかったのを思い出す。この時代に赤人がいたならば、同じ歌を詠むだろうか。
さすがに最も左側の席からは、右手の富士山を見ることができない。隣りの父娘はスマホを前に二人とも口を開けて居眠りしてる。ピーナッツでも放り込みたくなるが、あいにく手元にない。
静岡といえば、ちびまる子ちゃん。掛川といえば、一度行ってみたい「走る本屋さん」高久書店。浜松といえば、ブランデーが染み込んだ「うなぎパイ V.S.O.P.」を一度食べてみたいけれど、酒はあまり飲まないのだった。
そんな連想ゲームをしているうちに、新幹線ひかり635号は定刻どおり9時53分に豊橋駅に滑り込む。これから飯田線で7時間かける距離の1.5倍ある東京・豊橋間を、思いを後方へ散らしながら、1時間20分で駆け抜けた。
(つづく)
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