松下育男『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』【書評】
行分けをしたわけでもなく、韻を踏んだこともない。しかし、これまで自分が書いてきた文章は、実は「詩」だったのではないか。そして、これから書きたいのも「詩」なのではないか。松下育男『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』を読んで、そんなことを考えた。
20代で「現代詩の芥川賞」と呼ばれるH氏賞を受賞し、雑誌『現代詩手帖』投稿欄の選者も務めた詩人が、2017年から「詩の教室」を開いている。本書はその講義録だ。
「詩とは何か」「なぜ書くのか」という根源的な問いや、「なにを書くのか」「どのように書くのか」という詩を書くための技法について経験から語っている。「生きるために詩を書く」というのが本書の通奏低音にある。しかし、けっして観念的でもなく、また独断的でもない。よい詩を書くための方法を大上段に振りかざすこともなく、むしろ詩を書くことの楽しみと苦しみを「生きていく」ことを、寄り添うように話してくれる。
講義録といえども、語られたのは詩の言葉そのままだ。抜き書きすれば、そのままアフォリズムにもなる。「生きることと詩を書くことはぴったりくっついている」という最終話『人生の音』も、胸が締めつけられる。
本書は「これから詩を読み、書くひとのため」に書かれている。しかし、本文中の「詩」という言葉を、「文章」や「散文」と置き換えても十分に通用する。響いてくる。自分は生きるために「文章」を書いてきたのだと考えることが多かった。逆に、生きるために「文章」を書いてきたのだから、自分がこれまで書いてきたものは、実は「詩」だったのではないか。行分けをしていなくても、韻律を気にしなくても、自分は「詩を書く」という営みを生きてきたのだ。
現代詩文庫『松下育男詩集』も合わせて読んでみた。もっとも心がざわめいたのが、詩集<きみがわらっている>所収の『かがみ』だ。このような詩を、自分がこれから書くかどうかは分からない。しかし、「よい書物は、勇気を与え、行動をうながす」という自分の定義にぴったり当てはまる。1話読むたびに考え込んだり、自問自答していたので、400ページ強ある本書を読むのに3日かかった。それでも『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』を何度も読み返したい。そして、実践したい。
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