ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙
はじめまして。
まだ名も知らぬあなたに、このような手紙を書く不躾さをお許しください。驚かれたでしょう。
庭のもみじは半分色づきました。週明けにはすべて赤く染まるでしょう。左後肢に障害のあるわが家の愛犬も、日なたぼっこが気持ちいいようです。秋も深まってきたのでしょう。
あなたにこうして手紙を書く理由。話せば長くなるでしょう。でも恥ずかしさを捨てて勇気を出して書くならば、きっかけは書評を書こうと思ったことです。
書評。読書家であれば、書こうと考えるのは一度や二度ではないでしょう。みずからを読書家とみなすのはおこがましいですが、少なくとも読書好きだとは自負しています。
読書量は、記録はしていますが、まったく気にしていません。月に十冊以上読むこともあれば、一冊という月もある。読書は、何を読んだのか、どう楽しんだのか、そこから何を考えたかが大切だと思っています。「1ヶ月に○○冊読む私がすすめる〜」といった類いの言葉に感じることは何もありません。
ただ、誰でもすなる書評といふものを、我もしてみむとてするなり、といったところです。
そこで考えたのは、書評っていったい何だろうと。手元にあった書評の神様(と勝手に呼んでいる)、丸谷才一によれば、「ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙みたいなもの」だそうです。
なるほどと小膝を打ちました。書評を読むだけで、この人はいい文章を書くし、考えもしっかりしていて、何よりもその本が読みたくなる。そういうのが書評だというのです。たしかに、それで丸谷さんの紹介する本を何冊読んだことか。絶版で、古書店から古書店へと歩いて求めたこともあります。
そうか、手紙を書くように書評を書けばいいのか。それで、このようにペンと便箋を取り出して書き始めたのだ、ということではありません。
読んだ本について手紙を書く。本好きから本好きへと書く手紙。そこで思い出したのは、辻邦生と水村美苗の往復書簡『手紙、栞を添えて』です。
新聞紙上における公開の往復書簡ですが、読んだ本の内容だけでなく、そこからよみがえってきた幼少のころの思い出、季節感、相手へのいたわりなどが、凜とした日本語で綴られています。読みながら、まるで自分が手紙を書いたり、受けとったりしているような気分となり、ものすごく胸がどきどきしたものです。
そんな往復書簡を思い出し、いま自分がやってみたいのは、これだと強く感じたのです。
そこで、ひとつ提案があります。というか、お誘いです。読書についての往復書簡を交わしてもらえませんか。もちろん公開で。
条件はただ一つ。『手紙、栞を添えて』に習い、お互いの面識なしで書くことです。少なくとも手紙に書いてあることだけで相手を知り、往復書簡を必然のものとしたいのです。
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつらねてしまったので、言葉足らずだったり、そのほかの疑問なども思い浮かぶかもしれません。それでも「本好きの友だち」とは自分のことだと、もし感じたならば、どうぞ本についての手紙を交わしたいと思うのです。いかがでしょうか。じっくり考えたうえでお返事くだされば嬉しいです。
日を追うごとに影の伸びるのが早くなってきました。冬はもうすぐそこまで来ていますね。
既視の海