「ネルーダ週間」は続く。ようやく、本命である田村さと子訳編『ネルーダ詩集』を読む。
詩や詩人についての映画をいくつか観たり、南米チリの詩人パブロ・ネルーダが登場する映画『イル・ポスティーノ』や『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観て感心するのは、人々が詩を暗誦できることだ。食事などの集まりにおいて詩を披露したり、酒場で誰かが暗誦し出すと、周りでも一緒に声をそろえる。有名な詩を暗誦できることが、知性の証しのように描かれている場合もある。詩が生活のなかに溶け込んでいて、ああ、いいなあと思う。
わが国は、どちらかといえば短詩型の伝統があるから、百人一首を諳んじる人もいるし、松尾芭蕉や小林一茶の句を唱えられる人もいる。行分け詩はどうだろう。暗誦というより、童謡として金子みすゞの詩を口ずさむことのできる人がいる。あとは、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』が思い浮かぶ。
母語とする人々が多いスペイン語で書かれているので、ネルーダの詩は母国チリのほかにも、多くの人々に愛されている。ネルーダは、その69年の生涯において厖大な数の詩をつくった。詩集の数も多い。本書は、そこから代表作を選りすぐった訳詩集である。
まず、いいなあと思ったのは、愛の詩。学生時代、20歳で出した詩集『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』では、溢れんばかりの愛情と欲望を生々しく、それでいてしっとり謳い上げる。
『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』 1 女の肉体からだ 白い丘 白い腿 その身をまかせたおまえの姿は 地球にも似て おれの荒々しい農夫の肉体は おまえを掘りおこし 大地の底から 息子を躍りださせる ......“20 poemas de amor y una canción desesperada” Poema 1 Cuerpo de mujer, blancas colinas, muslos blancos, te pareces al mundo en tu actitud de entrega. Mi cuerpo de labriego salvaje te socava y hace saltar el hijo del fondo de la tierra. ......
(4連のうち第1連のみ) いきなり官能的な書き出しだ。言葉を読んでいるはずなのに、もはや白い肌のことしか考えられない。男女の対比も利いている。地球上の生命は、大地から生まれ、大地に溶けていく。
人気があり、ネルーダに朗読のリクエストが多かったというのが、15番目の詩だという。
15 黙っているときのおまえが好きだ うつろなようすで 遠くで おれに耳を傾けているのに おれの声はおまえに届かない おまえの目はどこかに飛び去ってしまったかのようだ 一度のくちづけが おまえの口を閉じさせてしまうかのようだ あらゆるものは おれの魂でみちているので いろんなものからおまえは浮かびでてくる おれの魂でみちて 夢の蝶よ おまえはおれの魂に似ている そして メランコリーということばに似ている 黙っているときのおまえが好きだ ひっそりしていて 嘆いているようで 甘くささやく蝶よ 遠くでおれに耳を傾けているのに おれの声はおまえに聞こえない おまえの沈黙で おれを黙らせてくれないか おれも ランプのように明るく 指輪のように素朴な おまえの沈黙で おまえに話しかけさせてくれないか おまえは 星をちりばめた静かな夜のようだ おまえの沈黙は はるか遠くにある素朴な星のものだ 黙っているときのおまえが好きだ うつろなようすで 息絶えたかのように かなたにいて いたいたしくて そんなときは ひとつのことばと微笑みだけでいい すると おれは楽しくなる 楽しくなくても楽しくなるPoema 15 Me gustas cuando callas porque estás como ausente, y me oyes desde lejos, y mi voz no te toca. Parece que los ojos se te hubieran volado y parece que un beso te cerrara la boca. Como todas las cosas están llenas de mi alma emerges de las cosas, llena del alma mía. Mariposa de sueño, te pareces a mi alma, y te pareces a la palabra melancolía. Me gustas cuando callas y estás como distante. Y estás como quejándote, mariposa en arrullo. Y me oyes desde lejos, y mi voz no te alcanza: déjame que me calle con el silencio tuyo. Déjame que te hable también con tu silencio claro como una lámpara, simple como un anillo. Eres como la noche, callada y constelada. Tu silencio es de estrella, tan lejano y sencillo. Me gustas cuando callas porque estás como ausente. Distante y dolorosa como si hubieras muerto. Una palabra entonces, una sonrisa bastan. Y estoy alegre, alegre de que no sea cierto.
(全文) 20の詩がすべて情熱的で愛を高らかに謳っているだけでなく、悲しみに沈む様子や愛の苦悩をも綴っている。この『ネルーダ詩集』には4篇しか訳されていないのが残念。ただ、もともとの “20 poemas de amor y una canción desesperada” はネルーダ自身の朗読による音源があるので、歌うように、波にたゆたうように読む原詩の響きも楽しめる。
そんな詩集『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』から35年、3人目の妻であるマティルデ・ウルティアに捧げた私家版の詩集が『百篇の愛のソネット』だ。14行のソネット形式による愛の詩が100篇。朝、昼、夕、夜の4部から成り立っていて、愛の誕生から、青春、壮年、老年、そして死への過程を描く。愛という主題の変奏曲ともいえるし、人生の交響曲になぞらえる研究者もいる。訳詩集では12篇だけだが、しみじみ読んだのは、93番。
『百篇の愛のソネット』 ソネット93 いつか おまえの胸の鼓動が止み おまえの血管を燃えているものが流れなくなり おまえの声が口の中でことばとならなくなり おまえの両手が舞うことを忘れて眠りについてしまっても マティルデ 愛しい女ひと よ 唇はかすかに開けていてほしい その最後のくちづけは わたしとともに生きつづけ おまえの口の中に そのまま永遠にとどまり そうしてまた わたしの死にも付き添ってくれるように わたしは死ぬだろう 夢中になったおまえの冷たい唇に くちづけしながら おまえの肉体からだ の色褪せてしまった房を 抱きしめながら おまえの閉じられた目の光を求めながら そして大地がわたしたちの抱擁を受けいれてくれたとき ただひとつの死の中で溶けあって ひとつのくちづけの永遠の時間をいつまでも生きるのだ“Cien sonetos de amor” Soneto XCIII Si alguna vez tu pecho se detiene, si algo deja de andar ardiendo por tus venas, si tu voz en tu boca se va sin ser palabra, si tus manos se olvidan de volar y se duermen, Matilde, amor, deja tus labios entreabiertos porque ese último beso debe durar conmigo, debe quedar inmóvil para siempre en tu boca para que así también me acompañe en mi muerte. Me moriré besando tu loca boca fría, abrazando el racimo perdido de tu cuerpo, y buscando la luz de tus ojos cerrados. Y así cuando la tierra reciba nuestro abrazo iremos confundidos en una sola muerte a vivir para siempre la eternidad de un beso.
愛し合う2人を分かつのは、死だけである。しかし、死をもってしても、2人は離れずに愛し合う。そのとき触れているのは、唇。一瞬のくちづけが永遠になる。¡Qué romántico!
さて、映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』において、1948年から1年余りにわたる逃亡生活において書き進めていたのが、ラテンアメリカで比肩するもののない叙事詩『大いなる歌』だ。チリにとどまらず、ラテンアメリカの歴史や風土、民族性なども織り込み、「アメリカ」人である我々とその根源を見つめる壮大な詩である。
日本人からすると、「アメリカ」といえばアメリカ合衆国だが、私がこれまで会って話したラテンアメリカの人々はほとんど、「アメリカ」といえば南北アメリカ大陸を指すし、とくに南アメリカの人々は、その思いが強いように思う。アメリカ合衆国に対する物質的な羨望はあっても、心情的には反発する人が多いように感じる。
ただ、この訳詩集ではさすがに全文が読めるわけではない。有名な『マチュ・ピチュ山頂』も載っているが、『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観た後だったので、映画の後半にネルーダを匿かくま う名もない山の民を思い浮かべたのが、この『逃亡者』という詩である。
『逃亡者』 I 夜更けになって 生活そのものをとおして 涙を紙にとどめ 身をやつしながら これらの耐えがたい日々をすごしていた わたしは警察に追われる逃亡犯だった 澄みきった時間 孤独な星々が 濃く輝いているなかを おおくの町を 森を 畑を 港を横切り ある人の戸口から ほかの人への戸口へと渡りあるいた おそろしいのは夜だ だがひとびとは きっぱりとした友愛のサインを送ってくれ わたしはやみくもに 道を 闇をぬけて 灯りのともされている戸口に かつてはわたしのものだった 恒星のちいさな地点に 森の中で狼たちに食われずにあった パンの欠片にたどりついた“EL FUGITIVO” I Por la alta noche, por la vida entera, de lágrima a papel, de ropa en ropa, anduve en estos días abrumados. Fui el fugitivo de la policía: y en la hora de cristal, en la espesura de estrellas solitarias, crucé ciudades, bosques, chacarerías, puertos, de la puerta de un ser humano a otro, de la mano de un ser a otro ser, a otro ser, Grave es la noche, pero el hombre ha dispuesto sus signos fraternales, y a ciegas por caminos y por sombras llegué a la puerta iluminada, al pequeño punto de estrella que era mío, al fragmento de pan que en el bosque los lobos no habían devorado.
ネルーダの逃亡は首都サンティアゴから南下し、アンデス山脈を馬で越えた。南アメリカ大陸で南下といえば、南極に近づいていく方向であり、寒さが増していく。首都から離れるほど、地方というのは保守的な気質が増していく。さらに逃亡期間が長くなり、移動距離も延びれば、協力者はだんだんと減っていくものだ。それにも関わらず、受け入れてもらう、信頼くれるその素朴な心持ちに胸を打たれたのだろう。そのような人々こそ「アメリカ」人であり、叙事詩の主役にふさわしいとネルーダは考えたに違いない。
最後に、この詩集で最も気に入ったのが、詩集『きまぐれ』に収録されている「空に登るために必要なのは」である。
は もの な 必要 に ため 登る に 空 二つの翼 一台のヴァイオリン 数えきれない 挙げきれない なんというおおくのもの 切れながで とろりとした目による証明 巴旦杏の爪に刻みこまれた申込書 朝の草による免許資格
日本のモダニズム詩人と呼ばれる北園克衛の詩集で、文字やテキストを視覚的または空間的に配置するコンクリート・ポエトリーを読んだことがある。何の解説も付していなかったが、この「空に登るために必要なのは」もそのひとつなのかもしれない。では、スペイン語の原詩はどうだったのだろうと調べたら、詩集のページを写真に撮った画像がひとつだけ見つかった。それを真似ると、こうなる。
tan si ce ne se cielo al subir Para dos alas, un violín. y cuantas cosas sin numerar, sin que se hayan nombrado, certificados de ojo largo y lento, inscripción en las uñas del almendro, títulos en la hierba en la mañana.
ほかにもあるのか、とても気になる。さっそく収録している詩集 “ESTRAVAGARIO” をスペインの書店に注文した。それにしても、「巴旦杏はたんきょう 」って何だろうと思ったら、原詩では “almendro” となっていて、辞書を引くと「アーモンドの木」とある。「巴旦杏アメンドウ 」という読み方もあるようだ。
主に小説だが、翻訳家の柴田元幸さんと古屋美登里さんが、別々のインタビューで同じことを言っていた。いいなぁと思う作品があると、真っ先に思うのが「訳したい」。出版社が版権を取れるかどうか分からなくても、訳し始めてしまうのだそうだ。
ネルーダの原詩を読んで 眺めていると、なんだか、その気分が分かる。詩の勉強をして、自分で訳してみたら面白いかもしれない。それも詩の楽しみ方なのだろう。