『考えるヒント』が小林秀雄のプロポ(語録・哲学断章)だ
小林秀雄が生涯つうじて著書を愛読した二人の哲学者、ベルクソンとアランについて、未完ではあるが『感想』というベルクソン論はあるものの、なぜアラン論はないのか。一読者として疑問に思ったところ、次の一文が目に留まった。
まず、アラン自身の思想については、すでに「精神と情熱に関する八十一章」を訳すときに、以下のように語っている。
アランの思想がどのようなものか。みずから批評せずとも、まず翻訳し、しかも平易に噛み砕くことが、アランを理解するうえで最善だと考えたのだろう。1936(昭和11)年に発表した『精神と情熱に関する八十一章』が、いまだに読み継がれていることは、小林秀雄の意図したとおりだったといえる。
さらに、アラン論を書かなかった理由で思い浮かんだのは、後年の名著「考えるヒント」である。
1959(昭和34)年から月刊誌「文藝春秋」に連載した随想は当初、特定のタイトルはなかったようだが、第2回『常識について』から編集部の提案で「考えるヒント」と題されたという。単行本は1964(昭和39)年から随時刊行され、文庫化も交えながら、「考えるヒント4」まで刊行された。
『常識』『プラトンの「国家」』『読者』『良識』『歴史』など、簡潔なテーマを比較的短く、それでも『私の人生観』と同じように、あちらこちらと連想をひろげて論じている。とはいえ、文芸批評や評論ではない。随筆だ。多くの作品において、日々の生活や会話が可視化され、そこから思考が始まっている。想うに随って筆記・記録する。すなわち随筆、随想録だ。
小林秀雄にとっては、これがアランの「語録」だったのではないだろうか。
小林秀雄を私淑する哲学者・池田晶子は著書『無敵のソクラテス』における「池田晶子・選 大人のための哲学書案内」で、アランの『幸福論』について、「プロポ」とは何かを説明しながら、上手に語っている。
その直後に当然、小林秀雄の「考えるヒント」にも触れている。
こうして池田晶子は後年、小林秀雄の「考えるヒント」を本歌取りした『新・考えるヒント』を上梓している。
アランの「プロポ」(語録とも哲学断章とも訳される)と小林秀雄の「考えるヒント」の共通点は、まさに池田晶子の指摘するように、「考える」ことと「書く」ことが一致していて、時事から入って本質や人生を説いていく文章にある。大切なのは思想ではなく、思想をどのように表現するかである。
アラン自身を批評する必要はない。歴史を上手に「思い出す」ように、アランを上手に「思い出す」、すなわちアランのスタイルに随ったのが、小林秀雄の「考えるヒント」だったのだ。
(つづく)