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『考えるヒント』が小林秀雄のプロポ(語録・哲学断章)だ

小林秀雄が生涯つうじて著書を愛読した二人の哲学者、ベルクソンとアランについて、未完ではあるが『感想』というベルクソン論はあるものの、なぜアラン論はないのか。一読者として疑問に思ったところ、次の一文が目に留まった。

大事なのは思想ではない、思想をどの様に表現するかという事です。

『アランの事』「小林秀雄全作品」第5集p73

まず、アラン自身の思想については、すでに「精神と情熱に関する八十一章」を訳すときに、以下のように語っている。

この夏、アランの「精神と情熱に関する八十一章」を訳して、文圃堂から秋出そうと思っている。アランにはもっといい本があるが、アランという人は、独特の考え方、書き方をする人で、こういう根本的な事柄を取り扱った本を訳す事が、アランの思想を紹介する上に一番いいと信じたからだ。(中略)僕は、わが国には不必要にむずかしく書いた「哲学概論」が多すぎると思っている。訳すのではなく、読んでのみこんで勝手に日本文にするといった心がけで訳そうと思う。

『「文學界」編輯後記 7』「小林秀雄全作品」第6集p219

アランの思想がどのようなものか。みずから批評せずとも、まず翻訳し、しかも平易に噛み砕くことが、アランを理解するうえで最善だと考えたのだろう。1936(昭和11)年に発表した『精神と情熱に関する八十一章』が、いまだに読み継がれていることは、小林秀雄の意図したとおりだったといえる。

さらに、アラン論を書かなかった理由で思い浮かんだのは、後年の名著「考えるヒント」である。

1959(昭和34)年から月刊誌「文藝春秋」に連載した随想は当初、特定のタイトルはなかったようだが、第2回『常識について』から編集部の提案で「考えるヒント」と題されたという。単行本は1964(昭和39)年から随時刊行され、文庫化も交えながら、「考えるヒント4」まで刊行された。

『常識』『プラトンの「国家」』『読者』『良識』『歴史』など、簡潔なテーマを比較的短く、それでも『私の人生観』と同じように、あちらこちらと連想をひろげて論じている。とはいえ、文芸批評や評論ではない。随筆だ。多くの作品において、日々の生活や会話が可視化され、そこから思考が始まっている。想うにしたがって筆記・記録する。すなわち随筆、随想録だ。

小林秀雄にとっては、これがアランの「語録プロポ」だったのではないだろうか。

小林秀雄を私淑する哲学者・池田晶子は著書『無敵のソクラテス』における「池田晶子・選 大人のための哲学書案内」で、アランの『幸福論』について、「プロポ」とは何かを説明しながら、上手に語っている。

アカデミズムを嫌う市井の哲人として、文章が素晴らしい。「考える」ことと「書く」こと、すなわち形式と内容との完璧な一致。新聞に毎日書き続けられた「プロポ(哲学断章)」は三千にのぼるという。時事から入って本質もしくは人生を開示するそのスタイルは、後進として遥か高く仰ぐところ。

池田晶子『無敵のソクラテス』p505

その直後に当然、小林秀雄の「考えるヒント」にも触れている。

日本における「考える文章」の最高峰。
思索の深さは同時代の学者や評論家の及ぶところではない。これまた「考える」と「書く」との見事な一致。それは他でもない人生の覚悟である。文体とは肉体である。ゆえに文体の所有とは覚悟の所有なのである。「本物の人間」の味わいがたまらない。惚れる。

池田晶子『無敵のソクラテス』p506

こうして池田晶子は後年、小林秀雄の「考えるヒント」を本歌取りした『新・考えるヒント』を上梓している。

アランの「プロポ」(語録とも哲学断章とも訳される)と小林秀雄の「考えるヒント」の共通点は、まさに池田晶子の指摘するように、「考える」ことと「書く」ことが一致していて、時事から入って本質や人生を説いていく文章にある。大切なのは思想ではなく、思想をどのように表現するかである。

アラン自身を批評する必要はない。歴史を上手に「思い出す」ように、アランを上手に「思い出す」、すなわちアランのスタイルに随ったのが、小林秀雄の「考えるヒント」だったのだ。

(つづく)

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既視の海
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