ジム・ジャームッシュ『パターソン』【映画評】
ジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』を観る。
暮らす街とたまたま同じ名をもつバスの運転士パターソンは、詩を書く。毎朝、美しい妻ローラの横で目覚め、シリアルを朝食にとり、ランチボックスを片手に自然豊かな路地を抜けて通勤する。車庫を出る前の運転席で白無地のノートにボールペンで詩を書きつける。路線バスを運転しながら、乗客のおしゃべりにそっと耳を傾け、詩のヒントになることも。
夕方に帰宅してからは、妻とお互いにその日の出来事を報告しあったり、地下にある自分の机に向かったり。夕食後、犬を散歩に連れ出しながら、馴染みのバーでビールを飲む。そして翌朝、髪を大きくひろげて眠る妻の横で目覚める。そんな日常をくりかえすパターソンの一週間を描いている。
全編にわたり、パターソンが詩を書くことも、読むことも楽しんでいることがあふれている。
シリアルを食べながら手に取ったマッチについて、パターソンは詩を書く。
職場へ歩きながらこの詩を思い浮かべているが、休憩時間にパターソンは続きをノートに書く。さらに翌朝、出発前の運転席でも続きを書くと、単なるマッチの描写にとどまらず、愛をうたう詩となる。
妻ローラが気に入っているという詩を、パターソンが朗読する。これは1934年、この街の詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが「パターソン」という詩集で発表したものだ。
仕事からの帰路で、パターソンは一人の少女と出会う。母と姉を待っているというその少女は、鍵のついた「秘密のノート」に詩を書いているという。関心を示すパターソンに少女は、ノートから雨の詩をパターソンに読み聞かせる。去り際に少女は「エミリー・ディキンスンは好き?」と問いかける。パターソンが詩人であることを見抜いた会話に、ちょっと羨ましくなる。
バスの運転士をしながら詩を書くパターソン。地元出身のウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、医師をしながら詩を書いていた。雨の詩を聞かせてくれた少女はもちろん小学校に通っているだろう。終盤に登場する、永瀬正敏演じる日本人男性は、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩に感銘を受けて、詩を育んだ街を訪れたという。パターソンに君は詩が好きなんだねと問われ、その日本人男性はこう答える。
字幕では「私のすべてです」となっているが、こちらが本意だろう。
詩のある日常。詩情ある言葉。「詩を生きる」ことを知る映画だ。