四方田犬彦『モロッコ流謫』
映画『シェルタリング・スカイ』を初めて観たのがいつだったのか、正確には覚えていない。主題は難解だったけれども、行動的でちょっとエキセントリックなキットの人柄や、虚無を見つめるポートの内省的な眼差し、何よりも隊商が行くサハラ砂漠の鮮やかな陰影に惹かれ、ポール・ボウルズの原作も探し求めて読んだ。
『シェルタリング・スカイ』の舞台は、モロッコ。
学生時代、スペイン語を学んでいたものの、ジブラルタル海峡をはさんだモロッコはどこか近いようで遠い存在だった。さらに地域研究としては、スペインよりもラテンアメリカを好んだので、モロッコのことは、何も知らない。
すると、好きな翻訳者の一人である古屋美登里さんが明治大学で教鞭をとっていたとき、学生向けに配布していた必読の読書リストのなかに、この四方田犬彦『モロッコ流謫』があると知った。すでに新本では入手できなかったので、すぐに古書店から状態のいいものを取り寄せたものの1回も開くことなく、『シェルタリング・スカイ』『雨は降るがままにせよ』と一緒に書棚に並べていた。今回、ようやく読むことができた。
この『モロッコ流謫』は、モロッコの単なる紀行文ではない。『シェルタリング・スカイ』および四方田が翻訳したボウルズの長編『蜘蛛の家』の舞台を実際にたどり、ボウルズの自伝や評伝を読み解き、さらに作家自身と親交を深めたうえでのポール・ボウルズ「批評」である。
第一章では、『シェルタリング・スカイ』の出発の地である港町タンジェを描く。まだベルナルド・ベルトルッチが映画化をする前にボウルズが暮らすアパートメントを訪ねたことから始まった交歓を中心に、タンジェの歴史、ボウルズの経歴、タンジェにまつわる作品の背景などを論じる。第二章では、四方田が翻訳した『蜘蛛の家』と、その舞台である迷宮都市フェズを中心にイスラム文化論が展開される。第三章は、モロッコの背骨のように横たわるアトラス山脈をバスで越えて、サハラ砂漠に踏み込んでいく。第四章はふたたびタンジェに戻り、ボウルズ周辺の人間関係や文学論が展開される。
批評家の小林秀雄は、文学だけでなく、絵画や音楽についても批評活動をした。しかし、たとえ批評の対象が絵画であっても、伝記を読み、書簡を読み、行き着く興味は画家の「人そのもの」であり、生活だった。「俺流の肖像画が描ければいい」と述べていた小林秀雄の批評は、そのような人物に深く思い入れている小林秀雄自身の独白、告白ともいえる。
四方田は当時、大学教授であり、評論家でもあったが、小林秀雄と同じく、ポール・ボウルズという「人そのもの」に対する深い思い入れを告白したのが、この『モロッコ流謫』なのだ。
それだけに、『シェルタリング・スカイ』の解題はなるほどと唸らされた。そうか、ボウルズのそんな心情が、あの場面に反映されているのかと、自分の読みとはまた違った深みがあった。他方、四方田自身が翻訳しただけに『蜘蛛の家』の解題もかなりの紙幅をさいているが、未読なので得心には至らなかった。これは読んでみるしかない。
ポール・ボウルズの「肖像画」が描かれているものの、私自身が本書からさらなる関心を持ったのが、妻ジェイン・ボウルズだ。『シェルタリング・スカイ』のキットは、ジェインがモデルといわれていて、ポール自身は否定していない。つねに罪悪感を抱き、なかなか決断できずにいるものの、その時になると、決して自分が望んでいたものとは限らない方へ身を任せることになってしまうところは、キットもジェインも同じなのだろう。
やはり作家だったジェインは、観光客ではなく旅行者だったポールを追うようにアメリカからモロッコ・タンジェに移り住んだ。その前に発表した長編『ふたりの真面目な女性』において、主人公である「二人」はまさにジェインの性格を反映しているという。また、スペインで客死した後に書かれた評伝『伝説のジェイン・ボウルズ』で、なかなか理にかなった解題をしているようだ。これらも読んでみるしかない。
あとは、タンジェを描いたフランスの画家、アンリ・マティスについても、さらなる興味を抱いた。本書の装幀にも使われている"Vue sur la baie de Tanger"、観てみたい。
ボウルズへの道、モロッコへの道は、まだまだ続く。
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