atta DIPA
焦りは禁物、というけれど、自分にとって居心地の悪い環境が続くと、そこからいち早く抜け出したいという気持ちが強く働いてしまうのは当然のことだと思う。 だから、そういう状況のときに「焦らないで」と言われてしまうと「じゃぁ、この状況どうしたらいいのよ?」って今度は怒りたくなる。 焦燥感と怒りはときに仲良し…(あんまり嬉しくないよね)。 ヒーリングでは、まずこの「焦り」の鎮静化を淡〜く意図して解(ほど)いていくわけなのだけれど、しばらくすると、その奥にある固くなった結び目が二つ
ちょっぴり不思議なことが2度続いた。 東銀座駅で都営浅草線に乗るとき、利用する電車の改札を間違えると、エスカレーターのない階段を昇り降りしなくちゃならない。 これが少しキツイ。 距離にしたらたいしたことないにせよ、間違えたときの「あちゃー」という気持ちを抱えながら昇り降りする階段はなかなか足が重いもの。 モタモタと歩きながら、ふと「こういうのってお年寄りにはわかりづらいし、東京の地下鉄って優しくないよなぁ」と、足の重たさを愚痴に脳内変換しながら歩いていると、案の定、オ
もう自分を誤魔化せない… ダイエットしたい。 あれ?太ってきたかな?と思い始めたのはコロナのとき。 でも、コロナだしなぁ…と、自分を甘やかすには十分すぎる言い訳をかさに、スナック菓子を好きなだけ食べてもいいだなんて、今思うととんでもない許しを自分に与えてしまった(とはいえ、楽しかった)。 自分への甘さはちょっとずつエスカレートするもので… 外を歩いていたり近所のスーパーをウロウロしていたりすると、自分の全身が映るミラーがやたらとありませんか? 今思い返すと、あれを
毒と薬、両方をもたらすもの 湖から沸き立つ生命、 溢れ出るもの それらが輪郭を与える 太陽の光を受けた海へ 太ったてんとう虫が飛び立つ
「カチャ」 昨日、僕のこころの中で音がしたんだ。 壊れたロボットの一部が少しだけ動いたような・・・ 電車のおもちゃ用の線路の分岐が切り替わるような、 そうだ、何かが切り替わる音だ。 そして今日は「ほっほう」と音がする。 ふくろうが耳元で何か重要なことでも伝えるかのように。 これはいったい何なんだろう? 音はいつも、とても小さい。 だから僕は全身を集中させなくちゃならないし 頭をからっぽにしなくちゃならない。 聞き逃しちゃダメだ、 そんな気がするからだ。 でもそれは
目を閉じて呼吸を整える。 いつものとおり、 私は私の心地よい場所へ行く。 そこは いつも 快適な空間であり続け、 どんなときでも 私を待っていてくれる場所だ。 今は夜空が美しい。 窓いっぱいに広がる夜空を感じながら 心地よいソファに身を沈め やはり目を閉じて呼吸を整える。 ここ、にいながら ここではない時間と空間へ繋がるほんの小さな穴に集中する。 私はいつの間にか小さな赤い靴を手にしていた。 遠くの方から 「あたしの靴はどこ?」という少女の泣き声が聞こえる。