「私がどうにかしないと」をほどく
ちょっぴり不思議なことが2度続いた。
東銀座駅で都営浅草線に乗るとき、利用する電車の改札を間違えると、エスカレーターのない階段を昇り降りしなくちゃならない。
これが少しキツイ。
距離にしたらたいしたことないにせよ、間違えたときの「あちゃー」という気持ちを抱えながら昇り降りする階段はなかなか足が重いもの。
モタモタと歩きながら、ふと「こういうのってお年寄りにはわかりづらいし、東京の地下鉄って優しくないよなぁ」と、足の重たさを愚痴に脳内変換しながら歩いていると、案の定、オタオタしているおばあちゃんに遭遇した。
あ、あれは絶対間違えちゃったやつだ!と思う。
駅員さんに声をかけておばあちゃんを託そうと思ったけど、駅員さんは他のお客さんの対応に追われていてバタバタしていたし、5秒ほど悩んでからおばあちゃんに声をかけてみた。
「どちらに行かれますか?」
時間をたっぷりかけてゆっくり歩いて反対側の改札までご一緒して、さようならをした。
それから数日後。
とある町で、平日の17時過ぎの帰宅する人たちの群れの中を歩いていて、「こんな人混みの中じゃ年寄りは歩けないだろなー」なんて先日の駅でのことを思い出していたら、途方に暮れている感を放出しながら、大荷物持って立ち往生しているおばあちゃんを見かけてしまった。
3秒ほど考えて、声をかけたら「荷物があるからタクシーに乗りたいけどどこから乗ったらいいかわからない。知ってますか?」とおっしゃる。
タクシー乗り場までは距離があるのでその場で世間話をしながら流しタクシーを少し待って、荷物とおばあちゃんを止まってくれたタクシーに乗せてお見送りしたんだけど、なんだろうね、この連鎖は?とちょっと考える。
そしてその日、家に帰ると、「アトピーがちょっとひどくなっちゃったんだよね」と薬を塗ろうかどうしようか悩んでいる夫が皮膚の痒みや滲出液と格闘していた。
そういうのを見ると私は自動的にスイッチが入ってしまうようで、今家の中にあるもので、応急処置はできないもんだろうかと探し始めて、フル回転している頭に「ちょっと待って!」とストップをかける小さな心の声に、ふと気づいたのでした。
「どうにかしなくちゃ」って思い込んでいやしない?
もっと正直に言えば「私が、どうにかしなくちゃ」って思ってない?って。
ギョッとした。
なぜギョッとしたかというと…
10年近く前に、夫がやはりアトピーで悩んだ時、手取り足取りじゃないけどこういう時こそサポートせねばと、あれこれ手を焼いたことを思い出す。
ちょっと遠くのクリニックに通っていたから、夫が仕事終わりにスムーズにクリニックに行けるようにと、電車を乗り継いで予約を取りに行ったり、ステロイドを塗り続けることに疑問を持った私は情報をあちこちに取りに行き、あれはいいとかこれは良くないと様々な考えに触れ、これだったらできるかもと思う自然療法を見つけては試して…
今から思えばかえって夫に負担をかけていたことも多々あったと思うわけだけど、いろいろやった結果、あともう少しで皮膚が生まれ変わるという段になって、夫の心が折れたのでした。
「薬を塗らせてくれ」
で、薬を塗ったらあっという間にツルツルの綺麗なお肌になったのを見て、私の緊張の糸がプツッと切れて涙が止まらなくなってしまったということがあった。
後悔して泣いたわけじゃない。
良かれと思うことを出来る限り検証し考え抜いて、夫のためにとやっていたことだし、もたらした効果もあったはずだけれど、夫のためと言いつつ、夫の意思を二の次にしていたことに気づき、情けないわ申し訳ないわで涙が出たのでした。
「良かれと思って」には落とし穴があるというものよねぇ…
なのに、まだそういう気持ちが残っていたのかとギョッとしたわけです。
ほんとうに困っている人というのは、どんな場合であっても自分が能動的に「こうしたい」という指針を定めるまでが実は一番辛く、だからそばにいる人は辛そうな本人を目の当たりにして「あーしたら」「こーしたら」と力になろうとして、励ましの言葉のひとつでも言いたくなるものだけれど、当の本人にしてみたらその全ての言葉はたぶん響かないのではと思っています。
救われる時というのは、ふと耳にしたラジオから聞こえるエピソードだったり、書店でたまたま手にした本だったり、自分がこの人の話してみたいと思った人からもらう言葉だったり…そんなところにしか先に進むチケットはないのかもしれないと。
つまり、自分が能動的に心を動かしたことによって手にしたチケットじゃないと多分ダメなんじゃないかと私は思う。
と、いうわけで、「あぁ、このパターンはもう散々やったではないか」と気を取り直して、自分の中の「私がどうにかしなくちゃ」を解(ほど)くことにしました。
あと、「助けたい」「助けなくちゃ」といった心配する気持ちも一緒に…
心配しない、というのは夫を信じるということでもあると思っている。
解こうと決意するだけでも少しずつ事態は動いていくもので、そのすぐ後に夫は「今は様子を見ようと思う。でも、大切な仕事前に皮膚が今以上に壊れそうになったらワセリンで薄めた薬を塗るよ。時間ができたら先生にも診てもらう」としっかり調べて健全な答えを出してきた。
前述したおばあちゃん二人に対しても、私のそういう部分があって、引き合っちゃったのかも、なんてちょっと思う。
私が「どうにかしなきゃ」「助けなきゃ」という気持ちを解いたからといって、困っている方がいなくなるわけじゃないし、実際に困っている方を目の前にしたら全力で助けようと思うけど、おばあちゃんが本当に望んでいた結果が、ちゃんともたらされるようになればいいなと、心から願って…
少なくとも私が困った人を作り出さないように、入念に解こうと思います。
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