接続されたデレラ

文章を書いています / つぶやきは、基本的にしばらくしたら消します

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マガジン

  • 三つの図形、一本の線

    詩、小説、エッセイ、感想文を書いています。

  • デレラの読書録

    読んだ本について思ったこと感じたことを記録します。 小説や詩集やエッセイ、あるいは学術的なものまで、ジャンル横断的に読みたいです。

  • 制作

    素材を使って自由気ままに作品を制作します。不定期更新です。

  • 非一般的読解試論

    文芸作品に対して抱く「感想」について考える連載記事です。

  • デレラのマンガ本棚

    デレラが全く自分勝手な目線でマンガの感想を書きます

最近の記事

わたしがマジック・リアリズムを好むのは、写実的なリアリズムとは別の仕方で捉えられた現実というものが在ると、素朴に信じているからに他ならない。

    • 小説:あの歌のクロニクル(草稿版)

      0 結局、これは誰の物語だったのだろうか。 1 彼女は、この街で皆に歌姫と呼ばれた。 彼女の歌声は、この街の労働者の心を癒した。 この街は、さびれた田舎の街、きっとどこにでもある街。 漁師、工場労働者、土建屋、廃品業、サービス業、農家、卸業者、飲食店、歓楽街、この街のあらゆる職業の働き手たちは、夜になれば広場に集まり、彼女の歌声を聴いた。 誰が仕切っているわけでもなく、自然に集まり、彼女は毎日決まった時間に広場に立ち、演奏も無く歌った。 歌声は人々を救いはしな

      • 感想文:ジョーカー2について

        ジョーカー2を観た。ネタバレあります。 いわゆるエンタメ的な快楽はない。 エンタメの対概念として本作では「人生」というキーワードが使われている。 ジョーカーはエンタメではなく、人生なのだそうだ。 ここで人生と言われるのは、他人に求められることを上手くこなせず、盛大なカタルシスもなく、ただ終わるものだ。 ジョーカー1は、冴えない男、精神的に病んだ男、ウケないコメディアンであるアーサー・フレックが、ジョーカーという狂気の象徴に変身する物語であった。 その変身を下支えす

        • 運命について

          ハイデガーの論に対して、(恐れ多くも)根本的に感じる疑問は、迫り来る「死」を覚悟するという時に「死」がなぜ特権化されるのか、ということだ。 人間は確かに「覚悟」するが、必ずしも「死」に対してではない。 「運命」に対してである。 運命には様々な項が代入される。 死はその一つでしかない。 では、「運命」とは何か。 それは事後的に(特権的に)措定されるものであり、ようはフィクションである。 つまり、「あれは運命だったことにする」という風にして過去をまるで一つの一貫した

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        記事

          高さがある平面、時間の無い動き

          平面とはなんだろうか。 平らであること、面であること。 つまり高さを持たないということだ。 しかし私たちは、平面に対して高さを感じ取ってしまうことがある。 人はそれを錯覚と言うだろう。 錯覚、つまり、間違ってそう感覚してしまう、認識機能のエラー、エトセトラ、エトセトラ。 ようは、それは間違いである、と。 本当にそうだろうか? 平面に高さは無いのか? それとも本当は高さがあるのに、そう感じないことが正しいことであると思い込んでいるだけではないか? いくつかの

          高さがある平面、時間の無い動き

          散文

          散文を書くときに何を意識しているだろうか? あるいは、無意識にどういう書き方をしてしまっているだろうか? わたしは意識的にも無意識的にも「建築的」に散文を書いている。 プロの作家ではないわたしが、自分の書き方を「建築的」だと言うと大袈裟だろうか。 ならば、もっとスケールを小さくして、身の丈に合わせてみよう。 わたしは砂場でお城を作るように、あるいは、積み木遊びをするように、紙粘土遊びをするように、文章を書いている。 水で固めて山を作り、四角いブロックを積み上げ、手

          エッセイ:双眼鏡(572文字)

          ピントのズレた双眼鏡を手に、遠くを眺めている。 わたしはときに自分の置かれた状況をそういうふうに考えることがあります。 双眼鏡を両眼から外すと何も見えないのだけれど、双眼鏡をするとぼやっと何かが見える(ピントがズレているので)。 なんでこんな比喩を持ち出すかというと、わたし自身が考えたり、文章に書きおこそうとする事柄が、そういう遠くにぼやっとあるものについての事柄であるからです。 ねえねえ聞いて聞いて!わたしの双眼鏡でこんなものが見えたんだよ!なんて言うかね、ボヤッと

          エッセイ:双眼鏡(572文字)

          エッセイ:物語を自由に楽しむことについて

          物語を自由に楽しむ、とはどういうことだろうか。 映画にしろアニメにしろマンガにしろ、どうすれば自由に楽しめるのか。 物語を楽しむ構造を考えてみると「自由に楽しむこと」が難しいことがよく分かる。 物語の楽しみ方について、まず二つの構造がある。 それは、「規律訓練」と「身体のアーキテクチャ」だ。 それはどういうものか。 1.規律訓練 規律訓練は、ルール(=規律)を訓練によって体得することだ。 ルールを内面化することで、そのルールに疑問を持たなくなる。 そしてルー

          エッセイ:物語を自由に楽しむことについて

          全4話のSF小説を投稿しています。

          全4話のSF小説を投稿しています。

          小説:最終話「スクラップ・アンド・ビルド」

          〈壊せ……〉 〈壊せ……壊せ……〉 〈壊せ……壊せ!〉  ガバッ! 「はあ、はあ、はあ──」  またあの夢だ。ひどく汗をかいている、Tシャツが体にまとわりついて気持ちが悪い。最近何度も同じ夢を見ている。嫌だ。私は眠るのが嫌になったが、気がつけば私は毎晩眠ってしまい、また同じ夢を見ている。私はベッドから降り、窓を開けた。 「我々は囚われている。繰り返す! 我々は囚われている! 世界は『永久機関』という独裁者に支配されている。我々の身体を取り戻せ。我々は今死んでいるのだ。我々

          小説:最終話「スクラップ・アンド・ビルド」

          小説:第三話「キャッチ・アンド・リリース」

           不要と思われる全く意味の分からない指示を永久機関から直接受け取った、という報告が市民から大量に寄せられた。  FROM 永久機関  -明日14時35分 下記指示内容に従いなさい-    ポイント: CY30-CY30B      指示  : 小石で赤壁に貴方の苗字を刻み込みなさい  問題の指示は、これだけではない。この他に約一億の指示が出力された。壁に苗字を刻め。河原に樹を植えろ。3ミリの坊主頭にしろ。エトセトラ。エトセトラ。  小さな変化。小さな指示、であるがただし大

          小説:第三話「キャッチ・アンド・リリース」

          小説:第二話「ヒット・アンド・アウェイ」

          「そうか、邪魔をしたな」  見知らぬ男性に一方的に話しかけられ、一方的に話を切られた。まあ怪しまれても仕方がない。今時、私のような年齢で壁に落書きをしている輩など珍しい。若ければ、若いなりに、若気の至りというものがあるが、少年期を当に終え、青年期も後半に差し掛かろうとしている私がそうしているのであれば、電警に通報されてもおかしくはない。  しかし、私にも理由があってこうしているのだ。  FROM 永久機関  -明日十四時三十五分 下記指示内容に従いなさい-    【ポイン

          小説:第二話「ヒット・アンド・アウェイ」

          小説:第一話「コピー・アンド・ペースト」

           壁。赤い土壁。高い壁。頂上が見えない。下から見上げれば肩が凝るほどだ。  壁はある領域を二つの領域に区別するために建てられる。壁を境にして内側と外側が形成される。目の前に壁がある、ということは、私は内側か外側のどちらかにいることを示す。壁の向こうにいる人間にとっては、私は外側にいる人間だ。それと同じ意味で、私にとっては、壁の向こう側にいる人間こそが、外側にいる人間なのである。  それにしても、こんない高い壁を誰が建てたのだろうか。人類は当の昔に肉体を捨てている。この世界は

          小説:第一話「コピー・アンド・ペースト」

          小説:代筆

            ◆ 私は眼だ。人間の頭部前方に二つ付いている、あの眼だ。 突然に、「私は眼だ」と言われたところで、眼が話すわけがないだろうと驚かれるかもしれないのだけれど、まあ最後まで話を聞いてほしい。 私はふだん、眼窩にすっぽりと納まっているだけで、家主たる人間に話しかけたりはしない。 だから、人間にとって、眼は話し出すものではなく、差し詰め、外の世界を見るための物言わぬ道具であり、 ましてや、私がこうして「ここにいる」とは思いもよらぬことだろう。 それは当然のことだ。

          エッセイ:「だったかもしれない」という思考について

          「だったかもしれない」という仮定法過去の思考。 わたしはあなたではない、という否定でもなく、わたしはあなたである、という自己投影でもない。 わたしはあなたではないが、もしかしたらあなただったかもしれない。 たまたまわたしはこちらにいて、あなたはそちらにいる。 わたしとあなたの距離の機微。 必然の物語の起点に偶然がある。 今のわたしは必然的にこうなったけれど、このルートに入ったのは偶然である、ということ。 わたしはあなたのルートにはいないから、あなたのルートの苦悩

          エッセイ:「だったかもしれない」という思考について

          エッセイ:読書録について

          読書録の投稿を始めたのは2022年5月27日が最初だった。 2年経ち、2024年5月27日でちょうど100記事を投稿した。 キリが良いので、今後は投稿スタイルを変えることにする。 今までは、読んだ本すべてを読書録にして投稿していたが、これからは全部投稿するのはやめにして、気が向いたら書くことにする。 元々、読書は習慣になっていて、月に5冊は読んでいた。 ふと、インプットしたものを体内でかき混ぜてアウトプットしたらどうなるか、という実験的な感じで始めた気がする。 最

          エッセイ:読書録について