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共依存ってマイナスなイメージだけじゃない。

「蛙化現象」っていう言葉は広く世に出ていておなじみだけど、「蛇化現象」という言葉があるということを最近になって初めて知った。
蛇化現象とは、「我慢しがちで本来では許さないことをも許してしまうこと」らしい。どちらの現象においても良好な関係を築くのが難しいんだという。

人間関係どんなものに関わらずではあるが、殊に恋愛というものにおいては、少しのずれやモヤモヤがすべてを壊してしまうということが大いにありうるらしい。だからこそ、一挙手一投足に細心の注意を払わなくてはならない時もあるみたいで。

人はみんな我慢しがちである。たぶんそれは人の前で、殊に大切な人の目の前で感情を表に出すのを怖がるから。だからため込む。感情が蓄積していく。そうしていつしかバクハツする。自分自身が壊れてしまう、ということが往々としてあると思っていて。

決して同じになれない「他者」という関係が大前提としてある中で、私たちは生きている。誰かとともに生きるということは、「一緒にいないための言い訳」はいくつもあるその中でも、その人の生活の一部をのぞこうとする、知らない部分を知ろうとする、そんな営みなんだと思う。

友達になるということ、仲間であるということ、恋人関係になるということ、家族になるということ。そこにはすべて、「もっとその人のことを知りたい」という想いがあるはずで。
それは決して ”knowledge” 知識としての「知」ではなく ”knowing” 何かしら具体的な行動をもって現れる心の動きを伴う「知」なんだと思う。

誰かを好きでいること、関係性を保ちたいというその思いは、その人に対する好奇心からくるものだと思うから。好きな人には私に対する好奇心を失ってほしくない。だから私は、誰かに飽きられるのが怖いんだろうなと思う。

人はみな未熟。一人で生きることはできない。だからこそ誰かと手を取り合って生きていくことに憧れを感じ、その共依存の関係が近ければ近いほど、その関係を共に築いてくれる人が多ければ多いほど、私は幸せを感じられるのかもしれない。
誰かに頼り頼られていること、守り守られ、愛し愛されていること。
思い出を共有できること、これからを話し合えること。
「共依存」という言葉は決して悪いイメージの言葉ではなくて、生きるために、幸せを感じるために、未熟なイメージを持たれるかもしれないけれど少なくとも私にとっては大切な言葉。

「これまで」と「これから」の狭間を共に生きる私たち。
大切な人の輪を広げながら、私はたぶんこの先も生きていくと思う。

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