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痛くとも軌跡。

活動という活動はあまりできていないけれど、1年前に比べたらいろいろなところが大きく変わっているのが著しく分かる。
行動、思考、関わる人…
「やったことないことをやりまくる」
「一度しかない人生を後悔しないように生きる」
というのが20歳の目標だったけれど、21回目の誕生日を目前にして、「夢や理想の形を追い求める」ことにシフトしてきている。
今までずっと取ろう取ろうと思ってきた国語の教員免許も「それを取るための授業を受ける時間」と、事業のことやらを考える時間や活動資金のために仕事をする時間といった「いろいろと他のことにも費やす時間」とが天秤にかけられているのを感じる。
今までは取れるだけ取っておこうと選択肢を残すのに、今ではいかに与えられた時間を使うかを考えている。「選択と集中」で言うのであれば、もしかしたら今は集中の時期なのかもしれない。

静岡県川根町にある「泊まれるカフェ えん」様の敷地でアートワークショップをさせてもらった。毎回何かに参加したり自分で立ち上げたりすると満足感のようなものでいっぱいになるけれど、今回ばかりは少しだけ苦く引っかかるイベントになった。

というのも、今回は大きくターゲットが違ったのだ。
今まででやってきたのは学校での授業や自己満足な集客をしたイベント。大人の方や学生たちが集まっている場所でやらせてもらっただけである。
まさか今回、家族連れがたくさん来るとは思わなかった。
確かに子供たちもいるという前提で、親に対してもメッセージとして伝えることができると思っていた。
でも現実はそうもいかず。
もともと300円取るつもりで、それ相応の価値を与えられると信じて出店したが、まったく人は来なかった。やっぱり無理だと交換塗り絵に路線転換、お金はとらない方向でお店を出していたところ、ようやく何組かの家族連れの方々が来てくださった。しかしながら、「早く行こう」「家でもできるじゃん」と親は子どもを急かし、形ができたらさっさと会場から出ようとする。
作品も持って帰ることなく「飾っておいてください」と言われる。
確かにイベントの主旨的にスタンプラリーのような形ですべてのブースを回らせるコンセプトだったから、早くプレゼントが欲しいという気持ちはわかるけれど、子どもたちが楽しんで「描きたい」「たのしい」と思ってもらえているものを引きはがしてしまわれたことに悲しさを感じた。

MOSAIC発足以来、2回目のイベント。
正直、成功したとは言えない。そう思うのは、たぶん自分の中ではまだ満足しきっていないからなんだと思う。自分が楽しいと思うこと、伝えたいと思うこと、価値を感じてほしいと思うことがその人に刺さるわけではない。

私は今回の活動にはどの成功体験よりも大きな意味があったと思う。
私には大嫌いな言葉がある。
「どうせ無理だよ」という言葉。言われた瞬間胸倉つかんで言いたくなる。
「やってみなきゃわからないでしょ」って。
夢に向かって努力するその過程で、へし折られた夢もあればゴールまで行かず途中で終わった夢もある。将来自分の夢がどんな形で変化してどんな形で終わりを迎えていくのかはまったくもってわからない。
でも一つだけ、確かなことがある。
それは何もしていない、何もできていないというよりはるかにいい状況であるということ。
また一つ、前に進んだんだ。そう思えばいい。

来年もまた、今年を振り返ったときにどんな思いを抱くだろう。
少しは成長していたい。前に進んでいたい。
それは自己評価だけじゃなく、周りから見られる時も同じ。
「なんかがんばってる人」じゃなくて「これと言ったらこの人」みたいな。
「カンボジアと言えば私」「教育と言えば私」「MOSAICと言えば私」というイメージみたいな。それくらいの専門性を身に付けていたい。

どんな形になろうが、歩みを止めるわけにはいかない。
本当にその価値を求める人に対し届けに行く旅みたいなことを、私はしているのだから。

価値を感じてくれるその人がどこにいるのかはわからない。でも確かな足取りで私は進んでいる。

今なお未熟。それでも。

苦かろうが痛かろうが、軌跡は軌跡。残した事実はなくならない。進んでいる先が前か後ろかもわからない中でも行動範囲を黙々と広げている。だからこそ楽しみにできる未来があると私は信じている。


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