エッセイ「15」|短歌に寄せて
地元の図書館で「十五」と検索すると、約500件のヒットがある。その中には、『十五少年漂流記』や『徳川十五代』、『私の八月十五日』といった戦後七十年を振り返る書籍や『直木三十五全集』や『十五夜』、『拝啓十五の君へ―アンジェラ・アキと中学生たち』などと云った本が並んで出てくる。
このように十五のイメージは様々なのだけれども、そのなかでも、わたしを惹きつける十五歳と云うのは、特別な時期なのだと云うこと、年を経て思うとつくづく感じるもの。しばらく検索画面を眺めていて、ずばり『十五歳』という書物となると、山田洋次、みうらじゅんなどの数冊の書籍が上がってきた。十五歳と云うのは、人生のなかでも特別な一瞬なのだ。
ところで、わざわざ図書館まで行かなくても、十五歳と云えば、尾崎がいるじゃないか、という人も多いだろう。中学の部活動の時間、わたしも友人と一本のイヤホンを半分こして(当時はまだ有線だった)、体育館の隅で尾崎を聴いたっけ。いまや、ブルートゥースで複数人が聴く、なんて時代だけど。でも、いまでもなぜか、そのときのそのシーンは目に焼きついていて鮮やかだ。
尾崎は、わたしたちの十五歳をその名の通り代弁していた。ああなんて、あの頃は一瞬にして過ぎ去ってしまったのだろう。なんで永遠じゃなかったのだろう。
わたしたちにとっては十五歳と云えば、尾崎なのだけれども、ふと最近、短歌の本をひも解いていて、わたしは尾崎のような歌人を見つけてしまった。石川啄木である。
かっこいいではないか。青春のやり場のない想いを歌にぶつけてゆく。そんなところが若者のこころをつかんで離さない。伝説となる。夭折したところも、ふたりは似ている。二人は永遠に若き姿のままだ。それに比べて、どんどん年を取る自分は、どんどん醜くなって行っているのではないか、と心配になる。
短歌に出会ったのは、寺山修司が最初だっただろうか? 寺山の詩集は何度買い直してしまったことか。それでも、短歌は作れなかった。そして、穂村弘に出会った。失念していた頃、新宿の紀伊国屋で和歌の本を探していた。店員さんに「和歌の棚はどこですか?」と聞いても、当時は「は?」と云う時代だった。そこで『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に出会った。即買いだった。でも、それでも、短歌は作れなかった。ようやく、短歌づくりができるきっかけになったのが、木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』だった。なんて無力な。なんてちっぽけなわたし。
短歌は永久青春製造機関なのだと思う。拙いなりにも、短歌が詠めるようになったわたしは、こうして青春の中にいることができる。目にするものすべてが新しく、瑞々しい。わたしはネットのなかに棲息している。そこで呟いている自分が全てだ。
(おわり)
1330文字。
と云うわけで、今日は雪が降っている。
悲しみも、欲望も、すべて白で覆い尽くされてゆく。
この寒さが、
古傷の痛みを麻痺させてくれることを願って。