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希望の浜辺
鬱の海にしばらく溺れていたら、急にとてつもなく死にたくなった。涙はずっと止まらないけれど、それ以上に溢れて、溢れて、それこそこの部屋を海にしてしまうんじゃないかと思ったほどだ。
それでもいい、もう私に生きる価値は無いのかもしれないとさえ思っていたら、この悲劇を知ったたくさんの友人が連絡をくれた。
その連絡はまさしく三者三葉で、
寄り添って悲しんでくれる人もいれば
この世界をひっくりかえしてしまうほど怒り狂ってくれる人もおり、
困惑しながらも貴方の選択は間違いでは無いと言ってくれる人もいた。
中には笑いに変えようとしてくれる人もいて、
この一人一人の異なるアプローチによって、私は少しずつ救われた。
昨日の夜は友人と電話をして、わんわん泣いて、それを友人が叫びすぎて聞こえないよなんて言いながらなだめてくれて、落ち着いたらなんてことない会話をしながら会いたいねと話して眠りについた。
昨日は本当に死のうとしてた、なんて私が本当のことを嘘のように言うと、友人は
「そんなことで死ぬなんて馬鹿だよ」
と言ってくれた。
昨日は30分置きに起きて動悸が止まらない自分に嫌気がさしていたが、今日はそんな暇もなくゆっくりと眠りに着けた。
朝起きると鬱の海を越え、なんとか希望の浜辺に上陸したようだった。私はどうやら、死なずに明日を迎えられるらしい。
最初に陸に上がった生き物もきっとこんな感じで希望を持っていたんだろうな。そう思いながらベットから起きて朝食をきちんと食べた。
希望の浜辺に長くいるコツは、朝ごはんを食べることと、太陽の光を浴びること、そしてよく笑うことだと今の私は知っている。
死んでしまいたいと思うこともあるけれど、やっぱりまだやりたいことがたくさんあって、あいつに一泡吹かせてやるまで死ねないことも多くて、あの人たちに愛していると伝えたい瞬間がこれから先沢山ある事を知っているから、私は生きようと思うのだと知っている。
誰かが私を愛してくれていて、その誰かを私は愛していることを忘れない。希望の浜辺でいつも私を待ってくれている彼らに、私も手を差し伸べられているだろうか。誰かの希望になれるように、私が私の希望であるために、今日も生きよう。