天気予報だけ見れば、知りたいニュースは全部わかる。
「"今日"僕が知るべき出来事を無尽蔵に提示してくる匿名の誰か」がいるのは冷静に考えて気味が悪い。顔を持たない彼らが熱心に並べてくるラインナップを、僕たちは疑いもせずに食べている。原材料は何で、どういう調味料をかけたのかも僕たちは深く考えることをしない
顔を持たないニュースというものが奇妙でならない。過去の教訓めいたものの焼き直しはまだ存在意義が分かるものの、「"今日"僕が知るべき出来事を無尽蔵に提示してくる匿名の誰か」がいるのは冷静に考えて気味が悪い。
顔を持たない彼らが熱心に並べてくるラインナップを、僕たちは疑いもせずに食べている。原材料は何で、どういう調味料をかけたのかも僕たちは深く考えることをしない。
ふとそんなことを考えはじめた折、受験が重なったこともあって、毎朝テレビを見る習慣を辞めてそれから2,3年が経つ。
僕は別に、「Twitterのタイムラインをスクロールしてれば僕に関係のある情報は全部わかるから新聞とかテレビとか要らないよ」みたいなことを言うリテラシー危うい方々の味方をするわけではない。
ただ僕たちがいるのは大海原の孤島であって、時には真水を求めてそこにボートで乗り出さなきゃならない。濃淡まぜこぜになって押し寄せてくる情報の波をかき分け、真水を吸い上げなきゃならない。
そのためのストローは浄水効果の付いてるモノを選ぶのか、穴空きで塩水とか不純物ばっかり一緒に吸い上げちゃうモノを選ぶのか。ぐらいはきちんと考えておくのは常識的な行動であろう。
そのストローの役目に、エンタメも、目を覆いたくなるような殺人事件も、同じ枠の中でごちゃまぜにキュレーションしてくる様なメディアを盲目的に採用していてそれでほんとうにいいのか。
他の些末な話題に気を散らされながら、ほんとうに大事な情報がそこに紛れていることに気付けるのか。
いま、大抵の総合的なニュースメディアでは、「毎日更新で質の低い動画を量産する底辺YouTuber」と本質的には同じことが起こっている。
彼らもまた毎日のように、尺を必ず埋めなくてはいけない、という強迫観念に追われている。
そうして、体系立っていない、単なるジャストアイデアの様な薄っぺらいものを、騒がしいSEとドスの効いた低音ボイスのナレーションで飾ることばかりに腐心している。
なぜそんなものを僕たちは毎日熱心に見ているのだろう。
僕もあなたに伝えたい緊急ニュースがある。
「ニュースを毎日見る必要はない」
そもそも"ニュース速報"という考え自体が、「世界中で起こっていることを"いますぐ"知るべき」という、強力な神話のうえに成り立っている。
賢明な人や責任ある人、大人はニュースを見るものだと決まっている。
そうだろう?
僕もあなたに伝えたい緊急ニュースがある。
「ニュースを毎日見る必要はない」
本当の緊急ニュースなら自然と耳に入るし、それ以外は緊急でないニュースや、どうでもいいニュースだ。
具体的に説明しよう。
今日の新聞か、よく見るニュースサイトを開き、主要ニュースの見出しを一つひとつ批判的に検討してみてほしい。この見出しは自分が今日下す決定と関係があるか?ここに並んだ見出しのうち、明日、来週、来月にまだ意味があるものは果たしていくつあるか?
さらに、不安をかき立てるニュースはいくつあるだろう?
「血が流されればトップニュースになる」といわれるが、実際そうだ。ニュースというのはほとんどが悪い知らせなのだ。
紛争、汚職、犯罪、災害のニュースにノンストップでさらされ続けて、動じない人がいるだろうか?いくぶんかは気が滅入り、集中が削がれるはずだ。1日に一度見るだけでも頭に残って不安や怒りをかき立て、気が散るもとになる。
「週1戦術」でまとめて読む
ニュースを一切見るなとは言わないが、週に一度まとめて読むことを勧めたい。
これより頻度を下げると、文明社会に背を向けて洋上暮らしをしているような気分になるし、頻度を上げると頭がもやに包まれて、目先のことにしか頭が回らなくなる。もやのせいで、何が大事なのか、誰を優先すべきなのかがわかりにくくなる。
僕のお気に入りは毎週月曜日に海外紙のダイジェストを20分で読める分量の日本語でメールで送ってくれるLobsterrという無料(2019年1月5日現在)のキュレーションサービスだ。
(ダイヤモンド社のイベント[過去記事参照]の時に、コンテクストデザイナーの肩書きを持つTakramの渡邉康太郎さんに紹介して頂いたお墨付きなのでまず間違いなく良サービス)
週刊紙なら60~80ページほどの紙面に主要ニュースのダイジェストを集めた英紙『エコノミスト』や『タイム』の日本語版を読むのもガシガシ読みたい人には合うだろう。日曜紙を購読してもいいし、毎週時間を決めて、好きなニュースサイトに目を通すのもいい。
何を選ぶにしてもポイントは、24時間年中無休のニュース速報のサイクルから抜け出すことだ。
この習慣は断つのが難しいが、日々の生活のなかで本当に大事なことのための時間をつくる(そして感情エネルギーをセーブする)大きなチャンスだ。
インターネットが普及する前から世界のあらゆる所で事件は起き、血が流れ、誰かが演説し、噂話が行き交っていた。そして情報が自然淘汰され、大事な出来事だけはゆっくりと世界中に広がっていく流れが確かにあった。
いまも、人口は増え、情報の行き交うスピードは速くなったとはいえ、情報の絶対量はほとんど変わっていない。
見かけ上では、僕たちは情報の海に溺れているように見える。毎日何百ものニュースを浴び、気になった言葉をGoogleで検索にかければ何万ものサイトがヒットする。1年で何万もの本が出版され、国会図書館でさえ、全ての本を所蔵することは不可能になった。
全体像を俯瞰したい、全てを把握する知の巨人になりたい。そんな知的欲望の欲求不満という観点に照らせば、
単一の教義を説く聖書を崇拝していればよかった楽園、のようなものは失われた。
しかしもともとがそうだったのだ。
インターネットが普及する前から世界のあらゆる所で事件は起き、血が流れ、誰かが演説し、噂話が行き交っていた。そして情報が自然淘汰され、大事な出来事だけはゆっくりと世界中に広がっていく流れが確かにあった。
いまも、人口は増え、情報の行き交うスピードは速くなったとはいえ、情報の絶対量はほとんど変わっていない。
ネット環境という蓄積できる場が広がったことで見かけの情報量は増えたかもしれないが、それでも昔と同様、ほんとうに大事な出来事というのはなかなか起こり得ないし、大切にしたいのは目の前の"いまここ"の生活であることは変わっていない。
自分のお気に入りのストローをきちんと選択して、自分の中の現代人を納得させたら、僕たちはもっとタイムラグで生活していいはずなのだ。
もしもあなたが現代人であること全てに嫌気が差したとしても、
究極、天気予報だけ見れば、知りたいニュースは全部わかる。
参考文献:『時間術大全-人生が本当に変わる「87の時間ワザ」-』ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー ダイヤモンド社 2019