倫理観とは何か(多数派の現実逃避)
世の中には、要するに不幸過ぎる人間が沢山いる。
その中で僕たちは、比較的恵まれた環境下で生きている。
僕らの生きている中での倫理観は、つまり世界のどこかで苦しんでいる人がいるという事実に基づく倫理観であるのが論理的である。
しかし、現実は違う。
現実は、世界には苦しんでいる人は居らず、自分だけが世界で一番苦しいかのような事を、真剣に考えているのである。
他人なんてどうでもいい。自分だけが大切だと思っている。
そうすると、生きる中で目にする現実にどういった反応を起こすか
それは、無意識的に意識しないように、意識を逸らすか、まるで初めてその現実を目にしたかのように、可哀想!等のように反応するのである
そう、余計な事は考えない、同じような毎日を繰り返す事が、目的と化すのだ。
何が問題だろうか。
それは、生きていない事である。
生きるとは、血が通っているように、生きるべくして生きることを言うのだ。
死んでいるように生きるのは、やはり何も現状は良くならない、まさに寄生虫のような存在なのだ。
ある意味、寄生虫でも生きれればいいと思う。しかし、寄生虫自身が、寄生虫は苦しんで死ね!!!と、言っているようなものなのである。それが寄生虫の業なのである。
バカはバカを許さない。
弱者は弱者を虐める。
やはりそこには、基本的には醜さ、苦しみ、不幸ばかりになってしまうのだ。
俺は心の支えは何も無いが、せめて寄生虫を自覚出来るような賢さを求めて生きていきたいと思っている。