マガジンのカバー画像

小説投稿20年、現在57敗中…

12
全12回(2024年11月、最終更新)
運営しているクリエイター

記事一覧

小説投稿20年、現在57敗中…(⑫やけくそで、自虐ネタを 最終回)

肺に影があり、再検査で  数年前、健康診断を受けたとき、「肺に影があり、要再検査です」との通知がありました。 「肺がん」  すぐにその言葉が、頭を過ぎりました。数カ月前に、知り合いが肺がんで亡くなっていたからでした。もし肺がんだと診断されたとしたら、どうなるのか。  再検査の日まで、一週間――  もうアラカンだし、なにがあってもおかしくないかも。気のせいか頭も痛いように思えてきて、眠れない日々が続きました。  北海道がんセンターで再検査を受け、その結果を医者から

小説投稿20年、現在57敗中…(⑪2年連続で、最終に残るも)

日経小説大賞の最終選考に  2019年9月中旬――  メールが届きました。 「このたびは第11回日経小説大賞にご応募いただき、ありがとうございました。応募作『カーニバル社員』が最終候補に残りましたので、お知らせいたします。今後のスケジュールですが、12月〇日が選考会になります。受賞した方にのみ、18時~20時の間に電話でご連絡を差し上げます。選考会の日取りを口外なさることはくれぐれもお控えください」  そして、12月の指定された日、スマホをテーブルに置いて、じっと見

小説投稿20年、現在57敗中…(⑩ライター業、自然廃業に)

ライター業、自然廃業に  旅行ガイドブックの仕事をして10年、毎年1冊のペースで書いていたので、道の駅ガイド、キャンプ場ガイド、動物園ガイド、花ガイドなど、合計10冊のガイド本を出しました。 「もう、ガイドブックの仕事はいいかな」と考えていたころ、コロナ騒動があって取材が難しくなったうえ、車中泊を続けて道内各地を回るのも、そろそろ体力的に限界かなと。そのうえ、フリーランスですから、事故を起こしても補償などはありません。車の整備費や維持費ももちろん自腹です。何度か、ヒヤリ

小説投稿20年、現在57敗中…(⑨待てど暮らせど電話は鳴らず)

北海道新聞文学賞で佳作に  2014年9月中旬の夕方でした。  北海道新聞社から電話があり、「最終選考に選ばれたので、10月〇日の午後6時から午後8時まで電話に出られる状態で待機していて下さい」と、伝えられました。  正直、全く期待していなかっただけに、「はぁぁ」「はあ」「は」「はい」と順番に答えただけで電話が終わりました。けれども、徐々に実感が湧いてきて、いつの間に頬が緩んで、自宅でスキップしていました。  そして、当日、電話の前で正座して待ちました。6時5分ぐらい

小説投稿20年、現在57敗中…(⑧年齢で落とされるのか)

年齢で落とされるのか ――小説投稿で連敗が続くのは、やっぱり年齢なのかもしれない。  すでにアラフィフになっていた私は、そんな疑念を抱きつつ燻(くすぶ)っていました。 「年齢は関係ないでしょう。黒田夏子さんは75才で、若竹千佐子さんは63才で、芥川賞を受賞したのよ」  そう励ましてくれた友人がいました。  確かに、60代、70代で受賞する人もいます。「でもそれはごく少数で、さらに稀だからこそ、メディアで大きく取り上げられるんじゃないの」と、口には出さず曖昧に笑ってい

小説投稿20年、現在57敗中…(⑦持ち込み原稿で、55万円課金)

売れない小説、売れない題材  2014年――。  なんとしても「勝ち組」をテーマにしたこの作品を世に出したい。  強い想いがありました。  ブラジルでの邦字新聞記者時代から、こうした作品を書きたいと、数年にわたって少しずつ取材を行い、当時の関係者らに(一部HPに掲載)インタビューしたり、事件のあった場所を訪れたりしていたからです。いま思えば、ブラジルで苦労した人たちや、「勝ち組」に騙された被害者らの声が込められていたため、彼らからも背中を押されていたような気がします

小説投稿20年、現在57敗中…(⑥作品を投げ捨てられて)

作品を投げ捨てられて  ブラジルの「勝ち組」を基にした自分の作品を、このまま埋もれさせたくない。  8つの文学賞で落とされ、それでも諦めきれなかった私は、「原稿持ち込み作戦」を敢行しました。  まず、いくつかの出版社に、作品企画書をメールで送ったのですが、もちろん返事はありませんでした。やっぱり、いきなり送りつけても無理だろうと、今度はかぼそい伝手を頼って、あちこちに頼み込んで編集者を紹介してもらうことにしたのです。   なんとか会ってくれた編集者は、一言。 「小説

小説投稿20年、現在57敗中…(⑤改稿作品はボツにされるのか)

加筆・改稿を繰り返して、8つの文学賞に  2009年からは、旅行ガイド本の仕事がメインで、そのほか単発のライター仕事がぽつぽつ入ってきたので、小説の方はあまり進んでいませんでした。それでも、ライター業の合間に、これまでの作品をリライトして投稿を続けていました。  特に、ブラジルの「勝ち組」「負け組」(太平洋戦争直後、情報が遮断されていたため、日本が勝ったと信じる「勝ち組」と、負けたと認識していた「負け組」とに分かれ、反目しあっていた)の話を基にした作品を、なんとしても世

小説投稿20年、現在57敗中…(④隠れて執筆活動)

文章教室に通う  さて、2006年ごろに話題を戻します。  すでに41才となっていました。まっとうな就職も出来ず、アパート管理人の仕事などを細々とやりながら、図書館で小説を書いたり、小説の勉強のため、気に入った作家の文章を書き写したりしていました。  特に、素晴らしいと思ったのは、 「邂逅の森」(熊谷達也)でした。  東北のマタギの世界を描いた作品です。「熊谷先生」と心の内で呼ぶことにして、何度も読み返したり、写したりしながら、こんな作品を目指そうと意気込んでいまし

小説投稿20年、現在57敗中…(③マスコミ志望、全滅)

 ここで、なぜ私が、小説家になりたいと思ったのか、もっと過去を振り返ってみます。 (小説の構成で例えるなら、主人公の人物設定を描く回想シーンみたいなものです) 中学時代に小説冊子  まず、最初は、中学時代でした。  友達数人と小説冊子を作ったのです。その名も「高岡文庫」、高岡君が発起人だったからとの理由でした。有志5人ほどが、原稿用紙に書いた作品を、紐で閉じ、表紙をつけて、学校の図書館に勝手に置いただけでした。不定期で、第1号から第4号ぐらいまで出しました。  私が書

小説投稿20年、現在57敗中…(②ブラジルから帰国)

ブラジルから帰国  ブラジルに永住するつもりで、アパートも購入していたのですが、会社もクビになって、そのうえ査証の問題も発生しました。  その件に関しては、詳しくは下記HPを参照してもらえばわかりますが、要するに、永住ビザだったと思っていた査証が、そうでなかったらしいのです。取得当時に委託していた団体の手続きに問題があったみたいで、ブラジルではよくあることです。  で、新しい仕事も見つからないし、ライターと名乗っても仕事はないし、いろいろ検討した結果、帰国することにし

小説投稿20年、現在57敗中…(①会社をクビに)

現在、57敗中…  私が、小説家を目指して、本格的に投稿を始めたのが、いまから20年前の2004年。それから、年に2~3本のペースで投稿を続け、ついに20年もの歳月が過ぎてしまいました。受賞して小説家デビューすることを「勝ち」とするならば、通算57敗していることになります。  いったい何がいけないのか、どこで間違えているのか。これからどうすればよいのか。  来年還暦を迎えるにあたって、自分自身を振り返る意味でも、投稿歴に関する体験談を綴ってみたいと思いました。失敗から全