小説投稿20年、現在57敗中…(②ブラジルから帰国)
ブラジルから帰国
ブラジルに永住するつもりで、アパートも購入していたのですが、会社もクビになって、そのうえ査証の問題も発生しました。
その件に関しては、詳しくは下記HPを参照してもらえばわかりますが、要するに、永住ビザだったと思っていた査証が、そうでなかったらしいのです。取得当時に委託していた団体の手続きに問題があったみたいで、ブラジルではよくあることです。
で、新しい仕事も見つからないし、ライターと名乗っても仕事はないし、いろいろ検討した結果、帰国することにしたのです。
ブラジルから帰国してからは、とりあえず実家に世話になっていたのですが、いつまでも滞在するわけにもいかず、どこに住むか、まず考えないといけませんでした。住所を決めないと、履歴書も書けませんから。
それで、北海道を選びました。学生時代、自転車で北海道を一周したことがあり、こんな場所に住みたいなと漠然と思っていたからです。妻も、広い土地に住みたいというので、仕事を探すのなら首都圏なのですが、仕事より好みを優先してしまいました。
それに、妻の親戚が、札幌にアパートを所有していて、「誰も入らない、1階の隅の部屋なら、安く貸してあげても良いよ」と言ってくれたのが大きかったでしょう。入居後には、アパートの管理人を頼まれ、「その代わり、家賃は無料でいいよ」となって、これは本当に助かりました。
就職活動、24敗
2005年8月、住居が決まったので、とりあえずは就職活動を始めたのですが、これがまた大変で、ぜんぜん決まりませんでした。やはり経験を生かした仕事をしたいと、新聞社や雑誌社などのマスコミ関係を目指していたのですが、面接すらいけない状況で、
「ブラジルの邦字新聞社? なにそれ?」
みたいな感じで、まったく相手にされませんでした。
とにかく仕事に就かなければ、と焦るばかりで、職安に行ったり、就職情報誌を見たり、マスコミ関係以外にも、事務職、営業職などにもいろいろ履歴書を送りましたが、ことごとく断られました。さらに、アルバイトですら断られる始末。
「自分を分かっていなかった」というのが、一番の理由だったと思います。
結局、就職活動は24敗。以来、就職はしていないので、この記録は、現在も進行中です。当時の体験を綴った、ノンフィクション作品「40才からの就職活動、現在24敗中…」(ペンネーム 放生充)を、kindleで出していますので、興味のある方はぜひ、見てみてください。
生活の方は、ブラジル繋がりで、「北海道ブラジル協会」という民間団体に顔を出していたところ、単発の仕事をもらえ、とりあえずは食いつなぐことが出来ました。北海道庁の外郭団体が発行予定の「北海道南米移住史」の編纂作業で、巻頭挨拶には北海道知事の言葉を掲載、700ページもの書籍であり、仕事としては良かったのですが、原稿料も安く、そのうえ2年間で完成させれば、それで終了といったものでした。
小説の基本も知らずに投稿
この時期、一番ためになった本が、『作家養成講座』(若桜木虔著)でした。いわゆるハウツー本で、基本的なテクニックが簡潔に書かれています。これまで、ほぼ独学で小説を書いてきた私にとって、それこそ「目から鱗」でした。新聞記事などは書きなれていましたが、小説の書き方は全く知らなかったので、食い入るように読み込みました。特に、基本の「キ」とも言える「視点」について、しつこく説明してあり「小説とは、そういうものか」と頷いていました。
「同じ場面(節)の中では、視点を固定しておかなければならない」
「主人公の内面を描いて読者の共感を得るのが生命」
いま思えば、これさえ分かっていなかったのに、小説を書こうと思っていたのは無謀でした。
それから、文章も捻じれていました。
これは、妻がブラジルで日本語教師をやっていたので、さんざん指摘されました。
例えば、
「その原因は、私が行かなかったのです」
主語と述語が合っていない文章を、平気で書いていました。
妻は、あきれ顔で、
「あなた、よくこれで、小説家を目指そうと言えるよね。恥ずかしくないの」と。
対して私は、
「文章には勢いがあるんだ。文法なんて、多少間違っていても問題ないんだ」
などと反論していましたが、
やはり、大きな間違いでした。
それでも、一発逆転しかないと同じネタを何度も書き換え、修正して、小説らしきものを投稿していましたが、一次突破がやっとの状況が続きました。
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