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小説投稿20年、現在57敗中…(⑫やけくそで、自虐ネタを 最終回)


肺に影があり、再検査で


 数年前、健康診断を受けたとき、「肺に影があり、要再検査です」との通知がありました。

「肺がん」

 すぐにその言葉が、頭を過ぎりました。数カ月前に、知り合いが肺がんで亡くなっていたからでした。もし肺がんだと診断されたとしたら、どうなるのか。

 再検査の日まで、一週間――

 もうアラカンだし、なにがあってもおかしくないかも。気のせいか頭も痛いように思えてきて、眠れない日々が続きました。

 北海道がんセンターで再検査を受け、その結果を医者から伝えられました。
「なんとも、ないですね。レントゲンでは、ここに白い陰が、ちょっと写っていましたが、CTの画像だと特に問題ないですからねぇ」

「その陰って?」

「そうですねぇ。血管か、何かが、写ったんでしょう。血管の角度によっては、こういったケースもありますから」
 若い医者は、ペンをくるくる指で回しました。

「でも……なんだか頭の方も、痛いんですが……」

「とにかく、肺がんではないですから」

「ですが……」
 言いすがろうとする私に、医者は手を止めました。

「まぁ、頭痛でしたら、別の専門医の方へ行って下さい。肺がんでないことは確かですから」
 もう終わりです、とばかりに事務的な調子で告げたのです。

 拍子抜けしました。一週間、あれだけ悩んだのは、いったい何だったのかと体の力が抜け、頭痛もなんだか消えていました。

 ですが、悩んだこと自体は、無駄ではなかったと思います。ここで人生が終わるなら、自分が何をすべきなのかを見つめ直すきっかけになりました。私たち夫婦には子供がいないので、やはり何かを後世に残したい、と強く感じたのです。それは、自分の体験や作品ではないのかと。自分の生きた痕跡を、ほんのわずかでも残したいと、夜な夜な思案していたのでした。

 今回、このシリーズを書いたのも、そうした想いがあったためです。

 小説投稿で苦労している人、いわば同志に、私の57敗の経験が少しでも役に立てば。
 自分の存在意義があった、と思えるかもと。

 それに、noteを選んだのは、ページに広告が入らないので、読者がストレスなく読めるからです。(自分自身、他人のブログを読んでいるとき、目障りなのが広告でして。それが収益となるから、とは分かりますが、広告で埋め尽くされたブログは読む気が失せてしまうんです)

 多少の小銭を得るために、広告だらけのブログを発信するより、読者にスムーズに読んでもらいたいから……。

 などという高尚な気持ちも、ちょっとだけ、本当に2割ぐらいはありました。



やけくそで、自虐ネタを


 とはいっても、

 3割は、どこかの編集者の目に留まって、良い話がくるとか、「こいつ面白いかも」と思ってもらえるとかして……などの下心もあって。妻には、あきれ顔で「あなた、夢を見過ぎなのよ」と皮肉られていますが。

 たとえ読まれたとしても、「駄目だな、このオッサン」と鼻で笑われるのがオチでしょうけど。

 ですから、あとの半分はやけくそで、この「小説投稿20年、現在57敗中…」を書くことにしたのです。

 やさぐれて、挫けているから、自虐ネタで。

 まあ、読者の皆さんに嗤ってもらえれば、幸いです。

(おわり)




おまけ


 文学賞は、結果がすべてですから、

「負け犬の遠吠え」
 に過ぎないのは、分かってはいます。

 でも、角川春樹小説賞で、1次予選通過3%ほどの確率で5回入っているのに、次の最終選考に行けないのは、「いったい何が足りないんだ。文章力か構成力、モチーフ、ストーリー、テーマなのか。キャラの魅力が足りない、共感できない、オリジナリティがない、カタルシスが得られない、下品だから? それとも改稿作品だから駄目なのか、もしかして私の将来性や経歴、年齢が関係しているのかも」などと、頭も胸もきりきり痛くなります。

 この痛み、やっぱり肺に影があるからか。

角川春樹小説賞、1次通過(応募数の約3%)するも5連敗


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