見出し画像

自分と違う価値観の人や環境に身を置くことの大切さ



ニーチェの哲学書、”悲劇の誕生”を読んでいてふと、気づきました。


5年前アメリカに来るまでは、ほぼ自分と同じような価値観の人々の中にのみ、身を置いて生きてきたことを。


私は6歳から芸術、芸能の世界に身を置き、学校も中学からずっと芸術専門でした。

高校生の時、ドイツに留学しましたが、それも音楽系の高校だったため、一般教養は普通の高校と等しくありましたが、その上で演奏会、演奏旅行も行うような学校でした。(その時にあった哲学の授業で、ショーペンハウアーにのめり込みました。)


こうしてみると、ずっと、ずっと私は自分の価値観「人生は過酷なもので、芸術や音楽は人の心を救う」を大前提で生きてきて、私の周りにも同じ考え、同じ活動をしている人ばかりでした。

私は好奇心が異常なほどある性格なので、それに上乗せして、芸術以外の様々な教科も成績が良く、でもその好奇心や物事を知って考える楽しさは他の人とは共有し得ない気持ちでした。というよりも、様々なことに関心があることはどちらかというとよくないような雰囲気を日本では感じていたので、一つのことに集中して極めようとしてない自分を恥じたりもしていたと思います。


しかしアメリカに来て、私が通った音楽院は大きな大学の傘下にある音楽院だったため、他の様々な分野、人文学、科学やビジネス、アートやジャズなどほぼ全ての分野が揃っていると言える場所でした。

そして大学院在学中に、コロナ禍に突入しましたが、私が当時、時間を共に過ごした方も、自分とは違う分野の方でした。

世界を知れば知るほど自分がいかに無知かと思い知らされる、それが自分にとっては何よりも楽しくて。

しかしその方は、自分の分野以外にはほとんど興味がない方だったので、次第に心はすれ違うようになりました。

アメリカには、芸術と教養の両方を極めている人は多くいたのに、自分はなぜこの人を当時選んだのかと考えると、私はそれまで1つのことを極めている人、他のことには一切関心を向けず夢中になる人こそすごい人だ、という無意識の刷り込みと憧れから、自分とは正反対のその方と時間を過ごすことを選んだのだと今では思います。



私はそれまで、価値観が同じ人しかいない環境で育ったため、人と分かり合えない、時間を共に過ごせば過ごすほど価値観がなんだか全然違う気がする、そんな体験を初めてしました。


私はそのショック混乱から立ち直るのにかなりの時間を要しました。
でも逆に言えばそれまでの人生で、そうやって私の価値観が「この世界の固定された価値観ではないんだよ、この世界には正解なんてないんだよ」、そう思わされるほど、私の価値観を揺るがすことがほぼほぼなかったということになります。

"私の価値観"というものが、そもそもそこに"存在"しているということ自体を知らなかった。"みんな当然のようにこう思ってるんだよね?"とずっと本当に思って生きてきました。


そしてその価値観以外のことを知らなければ、世の中に無限にある価値観の中で私がそれを選び取ってるということさえも分からないのです。

音楽と一言に言っても、私は西洋音楽を中心に勉強してきました。日本人のルーツをもつ私たちが、西洋音楽を勉強し、演奏する意味はなぜか、そんな話し合いは大学でもありましたが、深く追求するほどの話し合いはなされなかったように思います。

西洋音楽は、元々はキリスト教から来ています。
ということは、キリスト教の価値観を知っていて、その信念が音楽を通して伝わることを意味しています。ならば、無神教者が多い日本でなぜ西洋音楽は普及したのか。それだって開国してキリスト教が布教されたからでしょう。
また、隣人と同じ、平等、助け合いの精神が日本の思想と近いこともあったと思います。このように、西洋音楽を通じて人の心を救う、それを普通だと思っていた私は、その歴史や宗教、価値観をも一手に引き受けていることをよく実感してこなかったように思います。


その要因としては、一つに日本という島国で、同じ考えの人が多くいやすい場所で大半の時間を過ごしたからとも言えます。
5年前にアメリカに来た時も、日本では言わなくても当たり前に行われることが、行われない、守られない、なんてことは毎日のように起きました。その度になんで?!普通に考えたらこうやるでしょ?!
そう思って毎回メンタルがやられそうになっていました。


しかし、本当は"普通"や"常識"なんてものはないんですよね。
あったとしても、それは誰かが作り上げたものであって。
それに同感しなかったり、論理的に考えてみるとおかしかったりして、、、だからアメリカでは自分の考えを発言したり実行したりするのが当たり前で。それは人種や文化などあまりにも多種多様で、みんな同じ"常識"がないからで。


こうしてみると、早くに価値観が違う人や場所に身を置いてみたりすることは、とてつもなく大事なことだと思います。


他人があって、自己がある。
他人を知って、初めて自己を知る。


本当に私の常識は常識なのか

その常識や価値観は誰の得や損の上で成り立ってしまっているのか

そもそもそれは自分が心から選び取った価値観なのか、親や他人から植え付けられただけのものなのか


こういったことを、早い段階で考えることができれば、"自分の人生の指標"は見つけやすいと思いますし、自信を持って自分らしい人生を歩めると思います。そして人と違うことを恐れない、恥じないことです。とても難しいことですが。



読んでくださり、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!