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【心理的バリアフリー】デジタル化と心理的バリア(障壁)の解消
1.はじめに(心理的バリアフリー)
高齢者や身体的に障がいをお持ちの方にとって、段差や階段は障壁(バリア)となります。だから、そのような障壁(バリア)のない社会づくりにむけて、バリアフリーが叫ばれているわけです。
しかし、バリアフリーとは物理的な問題だけを指すのではありません。様々な心身の特性や考え方をもつ人たちに向けた「心のバリアフリー」という概念も存在します。
首相官邸のHPを見ると「心のバリアフリー」とは、心理的な特性等を抱えている人に合理的配慮をしましょうということが分かります。
ただ、私の体感的に、この「心のバリアフリー」というのはまだまだ抽象的な概念のようで、実社会でどう活かすのかがあまりイメージできません。そこで、今回は「心のバリアフリー」そのものとは少し離れるかもしれませんが、どうすれば心理的なバリア(障壁)は崩していけるのかを考えたいと思います。
結論からいうとデジタル化が鍵だと私は考えます。
2.話すのが苦手というバリア
自分自身が、小学生の頃、場面緘黙症のような気質がみられたからこそ、感情や想いは頭にあるのにそれを他者に伝えられないという苦しみは何とかして解消できないものかと強く思います。
小学生の頃の私の場合、自分の希望や自分のしたいこと、自分の考えはしっかりあったにも関わらず、大人に「どうしたい」「どう考えている」などと聞かれると、心理的なプレッシャーからか声が出なくなり、顔を青ざめながら生唾をごくごくするしかなくなるということがありました。
そのような当時の自分や今、場面緘黙症で苦しんでいる方に対して、口頭がダメならば筆談はできないものか、と今の私は思います。筆談でも、自分の内面を伝えることができれば自分も楽になれるし、周りの人も本人の意向に沿ってサポートができるようになるので助かると思います。
そして、何より筆談以上に現代のデジタルはこの心理的バリアを解消する道具になるのではないかと思います。
紙の筆談であれば、対面で紙を交換し合わねばなりません。それがストレスな人もいると思います。しかし、デジタルであれば、自宅と学校など離れた距離であっても問題なく意思疎通ができます。
話は少し変わりますが、最近の若者は電話よりもSNSのチャット(LINE・DM)を好むと言われています。電話よりもSNSの方が、自分のペースで返答できるし、自分のペースで返信の内容も考えられますし、相手の回答の間のようなものを気にする必要もありません。これらが、電話よりもSNSが便利だと言われているポイントです。
ということは、特性や場面緘黙症などに関わらず、多数の人が、口頭でのやり取りよりもチャットなどの文面でのやり取りの方が心理的な負担が軽いと考えているということです。
であれば、口頭でのやり取りにより負担を覚える人にとって、デジタルツールはバリアフリー化の一端を担ってくれる可能性が高いはずです。
実際に、個人情報のこともあるので書けませんが、私が見てきた学生さんの中にも、メールの方がより本音が言えるという人はたくさんいました。
話すのが苦手というバリアをデジタルが助けてくれるわけです。
3.書くのが苦手というバリア
最近ではディスレクシアなどと呼ばれるものもあるそうですが、文字の読み書きが苦手という特性を抱えた方がいらっしゃいます。その方たちにとっては、従来の文字の読み書き教育がバリア(障壁)となり得るのです。
ここからは、私の社会・地歴公民科の教員という立場からの意見になりますが、ICTを活用したデジタルな教育は、文字が苦手な方たちがより合理的に学びを深める機会を提供してくれると思います。
従来の社会科教育は、年号や漢字の丸暗記を強いるものであり、識字などに苦手意識がある方への配慮が一切ないものでした。例えば、墾田永年私財法といった語句や徳川家康といった人名や難しい漢字だと親鸞といったものを正しく覚えて、テストで正しく記入しない限りは内容を理解したと認識してもらえなかったのです。
しかし、デジタル教育があれば漢字の詳細な部分の暗記を強いることがなくなります。タイピングができれば、あとは端末が変換してくれるからです。
従来の記入型のテストで育った人からすれば、漢字が書けなくても良いという学習方式で大丈夫なのかと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私の個人的意見ですが、
墾田永年私財法・親鸞・徳川家康とどれだけ丁寧で正確に書取りができたとしても、それらの政策や人物が何をしたのかが説明できなければ、社会科を学習した効果があまり生まれないと思うのです。それならば、鉛筆でそれらの漢字が書けなかったとしても、墾田永年私財法の内容や親鸞・徳川家康といった人が何をしたのかを口頭ででも説明できる学習の方がよほど社会科を深く学んだことになると思います。
少し話が逸れましたが、何が言いたいかというと、漢字が不安定だからという理由で社会科を苦手に思われることは勿体無いし、それでは文字が苦手な方から貴重な学習機会を奪っているに等しいと思えるのです。
デジタル端末によって、文字の負担を軽減させ、より幅広い科目や分野の学習が円滑に進めること、これが私の思うバリアフリーの一つです。
4.デジタルとバリアフリー
ここまで、心理的バリアフリー(1)、話すことのバリア(2)、書くことのバリア(3)とみてきました。正直なことをいうと、今の私には心理的バリアフリーのゴールが想像できません。それぐらい、心理的バリアフリーの実現への道は長く険しいと思えます。
しかし、できることから一つずつバリア(障壁)を解消することが大切だと思います。いま現状、困っている方のためにも、できることは今すぐにでも始められないものかと思います。その一つのツールとして、せっかく世の中でデジタル化が加速しているのだから、そのデジタルで身の回りのバリア(障壁)を潰していけないものかと思いました。