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筋トレ民のマッチョマウント問題


・俺はここ1年くらい筋トレをしているんだけど、筋トレをしているひと及び筋肉があるひとって結局マッチョイズムに由来する筋肉のあり方に偏するひとが大半(筋肉のないやつはダサいから男なら筋肉をつけろ!的な)だということに正直かなり辟易している。
というか大体は真にマッチョイズムを信仰しているというより肉体的に一般レベルより強いという立場を利用したマウンティングでしかなく、筋トレをして肉体的に強くなると共に加害性も強まっていく人をインターネットでも散見するし残念ながら身内でもよく見る。

自分の得意な要素を持ち上げて他人を蔑む行為は言うまでもなく幼稚なんだけどマッチョイズムという古くから受け継がれてきた伝統を有する主義に乗っかると、マウンティングにおける正当性がある意味歴史に守られる形でまかり通ってしまう。でも例えば、俺は絵描きなので一般レベルより絵が描ける方だと思うけど「絵を描ける」という得意要素で描けない人らにマウンティングをする様子を想像してみるとかなり痛々しく映るはずだ。

同じ行いだけど筋肉マウントはこれまで男性性の基盤として定着してきた主義の歴史背景がある分なにか正しい感じがしてしまう上に、マウンティングという行いとマッチョイズムが元々持つある種一方的、暴力的な側面との相性がすこぶる良いということもあって容易に結びついてしまうというのも問題なんだと思う。


ただもう令和の時代においては他人の肉体の在り方なんてどうだって構わないというのがクリーンな態度として確立されてきているし、俺もそういう類だから筋トレをする理由としてマッチョイズム的な文脈に乗っかっているわけではない。


じゃあ何故しているのかって言ったらそれは健康とビジュアルのためだ。俺は数年前、かなり落ちぶれた生活をしていた時期があって自室にこもる毎日を送っていたら少しの上り坂でさえゼェハァいうほど本当に体が動かなくなってしまって運動機能が失われる怖さを知った経験があり、それ以来、健康的にいようという意識が強くある。というのがひとつ。

それからビジュアルについては、なんというかプライバシーに踏み込んだ話を避けたいから少し抽象的な話になってしまうけど男らしさの演出や表現にはやはり筋肉が必要で、それを忠実にやりたい時があると言ったらいいのかな。ファッションとか生活上の振る舞いとかもそうだけど男っぽく在りたい時に筋肉がないと説得力が生まれない場面というのは俺の中では結構あってそういう時のためにやっている。
あとはまぁ勝手にロールモデルにしているジョングクというひとがけっこう筋肉質な身体をしていてそれに近づこうとしているというのも大きい。

筋肉があるひとはカッコいいと思うし俺も一応ある程度のレベルまで筋トレを頑張ろうと思っているのだけど、別に筋肉がなくたって全然良いし逆にない人が出せる雰囲気というのがある。
どういうビジュアルに魅力を感じるか、どこを目指すかなんて現代は超多様化していて「筋肉のない男はダサい!」みたいな主義はもうしばらくすれば完全に古臭いものとして扱われるようになるんじゃないかな。


寛容的でありたいね。




スーパー余談

小学生の時に友達と話している中で「マッチョ」と「ムッキムキ」が混ざって「マッチョマチョ」と言ってしまったことがあって、そこが図書館という静かにしなきゃいけない環境の煽りもあったせいで友達と死にそうなくらい爆笑したのを覚えている。人生の爆笑ランキングでもトップ5には入るかもしれない。しょーもねー



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