日本の国家安全保障80年代 1
日本の国家安全保障80年代
序章
1970年に自動延長される日米安全保障条約に対して、
ベトナム反戦運動とともに70年安保闘争が左翼学生を中心に激しく巻き起こった。
左翼学生のデモ
という
名目
の
左翼暴動
で
渋谷事件
東峰十字路事件
新宿騒乱事件
など
死者、負傷者の数はおびただしく、
欧米先進国
の
国防担当者
安全保障研究者
は
日本
を
低烈度紛争国、
半内戦状態
と
認識した。
しかし、肝心の日米安全保障条約や日本の防衛、外交についてはあまり語られていない。
語られているとしても
極めて幼稚な理想論
や、
共産主義陣営のプロパガンダに感化された反米論、自衛隊廃止論
が
ほとんどである。
論壇の中心は学生運動の鎮静化やベトナム戦争をどうとらえるかに置かれていた。
学生運動
も
日本共産党、
革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)、
革命的共産主義者同盟革命的マルクス・レーニン主義派(革マル派)、
革命的労働者協会(革労協)、
第4インターナショナル(第4インター)、
を
中心とした
内部ゲバルト、
共産主義者同士の殺し合い、
内ゲバ
となっていった。
1970年、
池袋を歩いていた
東京教育大学(現・筑波大学)
の
左翼、共産主義の革マル派学生
が
左翼、共産主義の中核派
に
拉致され
法政大学に連れて行かれ
気絶するまで暴行され、
気絶すると水をかけられ意識を戻してから再び暴行、
さらに気絶するまで暴行され
気絶すると水をかけられ意識を戻して再び暴行
を
繰り返し、
いつの間にか死んでいた。
1971年、
左翼、共産主義の革マル派
が
「突撃隊」を編成し
関西大学に侵入、
左翼、共産主義
の
中核派の学生
を
鉄パイプで滅多打ちにして殺害した。
また
左翼、共産主義の革労協
の
関西大学学生3人
が
何者かに
顔面の形状が無くなるまで
顔面を殴られた後、
鉄パイプで滅多打ちにされ死亡、
死体は関西大学第一中学校の校庭の木3本に吊るされた。
1972年、
左翼、共産主義の中核派シンパ
と
見做された早稲田大学学生
が
左翼、共産主義の革マル派
に
襲撃され
鉄パイプで滅多打ちにされ、
骨が肉と皮膚から突き抜けて飛び出す状態
になるまで
暴行され、
死体で発見された。
1975年、
埼玉県川口市
で
左翼、共産主義の中核派
の
本多延嘉・書記長
が
左翼、共産主義の革マル派
に
頭部
を
ハンマーと斧
で
破壊され死亡する内ゲバ事件が発生した。
1975年、
川崎市職員
の
左翼、共産主義の革マル派
女性構成員
の
顔面、頭部を鉄パイプで滅多打ちにして殺害される
左翼、共産主義の中核派
による
内ゲバ事件が発生した。
1977年、
茨城県取手市
で
左翼、共産主義の革労協
笠原正義・書記局長
が
左翼、共産主義の革マル派
に
頭部を鉄パイプで滅多打ちにされ
死亡した。
1977年、
埼玉県戸田市
にある
印刷工場から機関紙を積載し出発した
左翼、共産主義の革マル派
の
いすゞ・エルフ・ヴァン
が
左翼、共産主義
の
革労協のトラック
に
前後を挟まれ停止させられ、
斧、ツルハシでドアを叩き
ドアを変形させ車外に出られなくしてから
いすゞ・エルフ・ヴァン車内
に
ガソリンを撒き、
火をつけ
革マル派を焼死させた
内ゲバ事件が発生した。
さらに琉球大学
では
左翼、共産主義の中核派
が
革マル派学生と誤認して
無関係の学生
を
鉄パイプで滅多打ちにして殺害、
朝日新聞、
テレビ朝日、
毎日新聞、
TBS
が
平和主義者
反戦運動家
と
持て囃す
知花昌一氏が凶器準備集合罪で逮捕されている。
繰り返される
左翼、共産主義者
の
内ゲバ事件
で、
左翼、共産主義
は
一般から見放されていく。
共産主義者同盟赤軍派
と
日本共産党革命左派神奈川委員会(京浜安保共闘)
が
連合した連合赤軍
は
内部での
凄惨
仲間同士での殺し合い
と、
一般民間人女性を人質に立て籠もったあさま山荘事件を起こした。
あさま山荘事件で逮捕された
左翼、共産主義の連合赤軍
は
ブスと言われる
日本共産党革命左派神奈川委員会(京浜安保共闘)
の
指導者、
永田洋子
が
美人と言われる
左翼、共産主義の活動家
を
執拗に責めいじめ、
自分の顔面を自分で殴らせて顔面の形状が歪んだ状態で雪原に放置、殺した。
また
ブスと言われる
日本共産党革命左派神奈川委員会(京浜安保共闘)
の
指導者、
永田洋子
は
妊娠している
左翼、共産主義の活動家
に
嫉妬し
殺害した。
日本共産党革命左派神奈川委員会(京浜安保共闘)
の
指導者、
永田洋子
は
共産主義者同盟赤軍派
の
森恒夫
に
恋愛感情を持つ
左翼、共産主義者の女性活動家
を
縛り
海老反り状態にして吊るし拷問した後、
上半身を縛った状態のまま股を広げるよう要求しているうちに死んだ。
左翼、共産主義
の
東アジア反日武装戦線
は
死者8名、重軽傷者380名の三菱重工ビル爆破事件、
死者2名、重軽傷者80名の北海道庁爆破事件、
三井物産、
帝人、
大成建設、
鹿島建設、
間組
の
ビルを爆破、
多数の負傷者を出した。
さらに
左翼、共産主義
の
東アジア反日武装戦線
は
スポーツ大会出場のイスラエル選手団に殺害予告、
イスラエル選手団は警察機動隊のマイクロバス遊撃車で移動することになった。
左翼、共産主義
の
日本赤軍JRAジャパニーズ・レッド・アーミー
は
イスラエルのテルアビブ・ロッド空港(現・ベングリオン空港)
で
銃乱射、手榴弾をばら撒き
28名を殺害、80名が重軽傷を負った。
左翼、共産主義
の
日本赤軍
は
ドバイ
で
JAL日本航空ボーイング747旅客機をハイジャック、
リビアのベンガジ空港でJAL日本航空ボーイング747旅客機を爆破した。
左翼、共産主義
の
日本赤軍
は
シンガポールのロイヤル・ダッチ・シェル石油の石油精製施設を爆破、
在クウェート日本大使館の占拠人質事件、
在ハーグ・フランス大使館の占拠人質、警察官銃撃負傷事件
を
起こした。
また
在クアラルンプール・アメリカ大使館、
在クアラルンプール・スウェーデン大使館
を
襲撃、
占拠、人質事件を起こした。
1977年9月
には、
JAL日本航空ダグラスDC-8旅客機
が
日本赤軍にハイジャックされた。
政府、福田赳夫首相は日本赤軍テロリストに屈服し、
超法規的措置により
囚人である
日本赤軍
や
連合赤軍、
東アジア反日武装戦線
の
テロリストを釈放した。
さらに身代金600万ドル(約16億円)まで支払い、
諸外国からは「テロリストまで輸出する」と非難される。
一方、
1977年10月
に
ルフトハンザ・ボーイング737旅客機
が
PFLP(パレスチナ解放人民戦線)にハイジャックされた。
犯人のPFLPテロリスト
は、
ヨーロッパ各国に収監されている
西ドイツ赤軍派(RAF)
と
PFLP
の
メンバーの釈放、
身代金900万ドル(約24億円)
を要求した。
こうしたPFLPテロリストの要求に対し、西ドイツ政府は拒否を決断した。
パイロットを殺害したPFLPテロリストが陣取る
ソマリア・モガディシオ空港
に
指揮を執る総務長官と、
対テロ特殊部隊
である
内務省国境警備隊第9部隊(GSG-9、現・連邦警察庁GSG-9)
を派遣する。
GSG-9
は
イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の支援のもと、
特殊音響閃光弾スタン・グレネードを使用、
H&K MP5機関拳銃で犯人の無力化に成功、
3人を射殺、1人を逮捕した。
主要先進国の大統領、首相の記者会見場
では
西ドイツ記者団に拍手が送られる
一方、
日本の記者団はブーイングされるなど、
日本は国際社会から非難されまくった。
左翼、共産主義
の
日本赤軍
は
シリア影響下にある
PFLP-GC(パレスチナ解放人民戦線・総司令部派)
と
共闘した。
日本赤軍、PFLP-GC
は
シリア軍特殊部隊
に
テロ戦術を教えられ、
シリア軍特殊部隊
は
ソ連軍
の
特殊任務部隊スぺズナツ
や
ソ連
の
情報機関
国家保安委員会KGB
から
テロ戦術、特殊作戦
を
教えられていた。
左翼、共産主義
の
日本赤軍
は
反帝国主義国際旅団AIIB
の
名目
で
ジャカルタのアメリカ大使館に迫撃砲攻撃、
ローマのアメリカ大使館、イギリス大使館にロケット弾攻撃、
さらに
ナポリのディスコに爆弾を仕掛け5人を殺害した。
左翼、共産主義者
中核派
革マル派
革労協
第4インター
の
内ゲバ事件、
左翼、共産主義
の
東アジア反日武装戦線
による
連続企業爆破テロ、
左翼、共産主義
の
日本赤軍
の
ハイジャック、大使館占拠
などは
左翼メディア、
左翼大学教授、
左翼文化人
には
評価されたが、
一般
から
左翼、
共産主義
が
嫌われる
遠因となった。