【文化財紹介】昭和のはじめの連棟式事務所 ~川口アパート~
【2024年12月1日/大阪歴史倶楽部】
大阪歴史倶楽部です。今月は大阪市西区にあります、昭和のはじめ頃に建てられたと言われている連棟式事務所ビル(通称:川口アパート)をご紹介したいと思います。
川口アパート
今回ご紹介する連棟式事務所の正式な名称はすでに分からなくなっています。「川口アパート」というのは通称ですが、正式な名称が不明ですので、以下この記事でも「川口アパート」という通称を用いることに致します。
この建物が建てられたのは、大正時代の終わり頃から昭和のはじめ頃(今から90~100年ほど前)だと考えられています。しかしこの建物については何も記録が残っておらず、いつ誰が建てたのかなどの詳しいことは現在のところよく分かっていません。
なお、この建物がある川口という地域は、明治時代に外国人商人の居留地があったところです。
外観の写真
以下は川口アパートの外観の写真です(2024年11月 大阪歴史倶楽部 撮影)。
建物の特徴
この川口アパートは、西側を正面として木津川沿いに建っています。裏(東)側は木津川に面しています。通称「川口アパート」と呼ばれていますが集合住宅ではなく、1階はおもに事務所、2階が居住スペース、地下1階は倉庫という用途で用いられています。
建物の構造は鉄筋コンクリート造り地上2階、地下1階建で、建物正面(西側)には黄褐色のタイルを用いたシンプルで直線的なアール・デコ風の装飾が施されています。
建築年代についてはいくつかの説があり、1921(大正10)年頃から1935(昭和10)年頃までと、見解によってその年代に開きがあります。
また、この建物はすでに解散・消滅している「新大阪新聞社」の本社として建てられたビル(の一部分?)だとも伝えられています。
日本聖公会川口基督教会
この川口アパートの向かい側(西側)には、赤レンガ造りの古い教会堂があります。日本聖公会川口基督教会(川口教会)です。
この川口教会は、1870(明治3)年に米国聖公会宣教師C.M.ウイリアムズ主教が自宅の一室に設けたチャペルが始まりで、現在の建物は1920(大正9)年に建てられました。
その後、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災のときに鐘楼などが倒壊しましたが、1998(平成10)年に1920年の建築時の姿に復元して再建されています。2009年に大阪府指定有形文化財に指定されました。
川口アパートへの行き方
川口アパートへは、大阪メトロ中央線または千日前線の「阿波座」駅10号出口から西へ約400m(徒歩約5分)です。
川口アパートへの行き方の目安は簡単です。「阿波座」駅10号出口を出て目の前の交差点を南へ渡り、大通り沿いに西へ300mほど進むと木津川を渡る「木津川橋」があります。
その「木津川橋」を渡り終えてすぐ(木津川橋西詰)の川沿いの道を南へ100mほど進むと左側(東側)に川口アパートが、右側(西側)に川口基督教会があります。
おわりに
今回ご紹介致しました川口アパートは、現在もいくつかの事務所が入居し使用されています。またその一角には喫茶店も入居されています(喫茶「水鯨」さん)。
この建物については何も記録が残っておらず、その建築年代についても諸説があって分からない事が多くあります。
ただ、建物全体のデザインや装飾の特徴(アール・デコ風)などについて、他の戦前の大阪市内の建物の類例などから判断すると、この建物はおおよそ昭和のはじめ頃(1920年代後半〜1930年代前半)に建てられたのではないだろうかと大阪歴史倶楽部は考えています。
なお、上述のようにこの建物には現在も複数の事務所が入居し、現役で使用されています。ですからこの建物を見学したり写真や動画などを撮影されるときには、建物の敷地外からお願い致します。
この建物の関係者の人たちや周辺の方々に不快感を与えたりご迷惑にならないよう充分なご配慮をお願い致します。
また、許可なくこの建物の敷地内や近隣の他の人の敷地内には入ったりしないようお願い致します。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【参考にした資料】
◎『大阪府の近代化遺産 大阪府近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』大阪府教育委員会 2007年
◎高岡伸一 他『大大阪モダン建築』青幻社 2007年
◎日本聖公会川口基督教会オフィシャルサイト(2024年版)
(『大阪歴史倶楽部』第3巻 第12号 通巻32号 2024年12月1日)
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※次号は2025年1月1日に投稿する予定です。