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ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入り, エルサレム旧市街がある東エルサレムに宿をとった(以下リンク先 note 第1章でパレスチナ問題概観, 第2章でエルサレムで撮った写真, 第3章で最初の2日間の見聞録, 第4章はパレスチナ系ヨルダン人のバンドの曲紹介)。 

この後, 1983年9月30日には, イエス・キリストが生まれたとクリスチャン他に信じられている場所, ベツレヘムへ。


降誕教会(聖誕教会, Church of the Nativity), 1983年9月30日

以下は, キリスト生誕の地とされる(と信じられている), パレスチナのベツレヘムに, 1983年9月30日に エルサレムの宿から出かけていって, そのとき撮った写真。

これは, 当時も今も, 隣接してと言うべきかその土地にと言うべきか兎にも角にも 1948年に極めて人為的に作られた イスラエル という名の国が 1967年11月22日の国連安保理決議242号を含む複数の国連安保理決議や国連総会決議に反しながら, 要するに守護者と言うべきか保護者と言うべきか兎にも角にもアメリカ合州国の後ろ盾を得て, 同国を除く国際社会に抗いながら実質的に軍事占領を続ける東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区の南部に位置する, パレスチナ・ベツレヘム県の県都であるベツレヘムにある, キリスト教の歴史的な教会, 降誕教会(聖誕教会, Church of the Nativity)。 

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写真を撮った時から 29年後の 2012年に 国連教育科学文化機関 (UNESCO, ユネスコ) により世界文化遺産に登録。

イエス・キリストが生まれたとされる(実際のところ学術的な証明は何もないと思うが)洞穴の上に聖堂が建設されたと言われているもので, 西暦339年完成。その後, 6世紀になって火災に見舞われ, 当初のものはモザイクの床の一部が現存しているのみ。それ以外の部分は, 当時 6世紀のうちに再建されたものが中心となって 現代に受け継がれている。

以前の note にも載せたけれど(*1, *2), 以下は ベツレヘム のホテルに展示されたバンクシーの作品「ベツレヘムの傷痕」。

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Dubbed the 'Scar of Bethlehem', the work shows Jesus's manger by ISRAEL's separation barrier, which appears to have been pierced by a blast, creating the shape of a star.

以下は, 以前のベツレヘム note, 要するに上掲写真をタイトルに使った note 2点。

*1 クリスマスの日のイスラエル空軍によるツイートのばかばかしさと、「知の巨人」ならぬ「知の怠慢」 ユヴァル・ノア・ハラリ

*2 PALESTINE News, SILENT NIGHT

話を 1983年9月30日に戻して,

パレスチナ見聞録, 1983年9月30日

今日も横着してというか何というか, 当時の旅日記殴り書きメモ(以下, 写真に撮った 6ページ分)を利用。以下, 1983年9月30日付の旅日記。

旅日記 1/6 「ホリさん」や「師匠」については, 本 note 冒頭の前説にリンクを付した前回 note にて説明済み。

昼すぎ 師匠と ベツレヘムへ。(アラブ側バスで 15シュケル)

ベツレヘムの聖誕教会へ入る。

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旅日記 2/6

教会には 欧米人団体旅行者。たくさん。番号札のガイドに連れられて ゾロゾロ。日本人のそれと変わらん。(日本人は服装が地味なだけだろう。特に男。) これはエルサレムでも ヨーロッパでも見た。

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さすがに 教会はたくさん。ベツレヘムも もちろん パレスチナ人がほとんどだろう。イスラエル側のバスは バスターミナルを持ってる。アラブ側は 別のところから(ターミナルなし)。

ツーリスト インフォメーションは イスラエル・ユダヤ人の女がやってる。(エルサレムも もちろん ユダヤ人)

ここにも 銃を横に持った イスラエル兵が, ブラブラ。

旅日記 3/6

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バスの窓から見た住宅街(エルサレムとの中間くらい), あれは ユダヤ人のものだろう。

おそらくは, イスラエル が占領地内に作った国際法違反の違法イスラエル人入植地。以下, 参考に地図を 2つ。上は 1947年のパレスチナ(当時はイギリス委任統治領パレスチナ)で, 下は その後のイスラエル側の占領地・入植地の拡大, その変遷を示す地図。

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* 以下の右端の "Present" は2年程前, この間にイスラエル・ユダヤ人による国際法違反の占領地(西岸地区)内・違法入植地はさらに増えている。

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上記の件に関わることは, 本 note 冒頭の前説にリンクを付した前回 note「パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る」の 第1章 2021年の今も続くパレスチナ人の悲劇 「ナクバ」 〜 アメリカ合州国による徹頭徹尾のイスラエル(1948年「建国」)支援のもとで にて記述。

1983年9月30日付の旅日記に話を戻す。再び 上掲の旅日記 3/6 から引用。

彼ら パレスチナ人は, ソルジャーを, ポリスマンを, イスラエル国旗を見て 何を思うだろう。

私服を着て(ランニングとズボンとか), かつ 銃をわきに持ち, そして 女と街を歩く ソルジャーを 何人も エルサレムで 見た。

今日 午前中, ホステルの前の通りを, パレスチナの民族衣装をきた おばさん, アラブ服のおじさん, 民族衣装や洋服の パレスチナ young が ものすごくたくさん 歩いていった。今日は 金曜日。たぶん 岩のドーム 礼拝 じゃないか?

旅日記 4/6

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ユダヤ人は ヨーロッパで 差別され 殺された。アラブで ホロコーストがあったのではない。責任は ヨーロッパにある。

以下, これに関連する, パレスチナ人(エドワード・サイード)とユダヤ人(ノーマン・フィンケルスタイン)の言葉。1つ目は, パレスチナ・エルサレム生まれのパレスチナ系アメリカ人で文学・比較文学研究者であった故 Edward Said(エドワード・サイード, 1935年11月1日「イギリス委任統治領パレスチナ」エルサレム生まれ, 2003年9月24日ニューヨークにて死去; 著書「オリエンタリズム」でポストコロニアル理論を確立した学者として世界的に著名)が語った言葉, "You cannot continue to victimize someone else just because you yourself were a victim once.", 「あなた方自身が かつて 犠牲者だったという理由で、他の誰かを犠牲にし続けることは出来ない」。

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2つ目は 以下の note 第3章 ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者の, イスラエルによるパレスチナ人弾圧に対する激しい怒り から転載する。

最初に一点、書いておきたいのだが、冒頭の章で 1940年代当時のナチス・ドイツ支配下のユダヤ人隔離地域であったゲットーについての記述をした際、ゲットー内に強制的に住まわされたユダヤ人たちは、ゲットーの域外に出たくても、外に出ることが「絶対的に」必要であるということを証明できた場合にのみ通行許可証を与えられて出入り口を通過することができたという有り様であったということを書いたのだが、例えば その点、現在イスラエルによって軍事封鎖されたパレスチナ・ガザ地区や、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の移動を繰り返し繰り返し妨げている,「占領」軍であるイスラエル軍がパレスチナ人の出入りを厳しくコントロールする為にイスラエル側が設置している無数のチェック・ポイントの存在を, 想起させるものがある。ガザ地区はまさしく「言わば陸の孤島であり屋根の無い巨大な監獄」であって、東エルサレム並びにその他のヨルダン川西岸地区内のパレスチナ人の街も, 居住民(パレスチナ人)に対するイスラエル側の非人道的行為の深刻さについては, 似たり寄ったりの有り様である。

さて、最後に、ユダヤ系アメリカ人の政治学者・作家で、反シオニストの活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年ニューヨーク生まれ)の言葉(ヴィデオ)を掲載する。これは筆者のこれまでのパレスチナ/イスラエル問題にかかわる note 投稿の中で複数回紹介しているものだが、繰り返し繰り返し取り上げる価値があり、また今日の note 投稿テーマに関わって相応しいので、今日ここであらためて紹介することにする。

このヴィデオの中で本人が(ある意味, 止むに止まれず)語っている通り、ノーマン・フィンケルスタインの両親は共にナチス・ドイツが設置したワルシャワ市内のユダヤ人隔離地域であった「ワルシャワ・ゲットー」、そして "Warsaw Ghetto Uprising", すなわち今日の本 note 投稿で取り上げた, ユダヤ人がナチスに対して絶望的な蜂起をした「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の生存者で、母親は更にナチス・ドイツがポーランドに建設したマイダネク強制収容所の生存者でもあって、父親は更にアウシュヴィッツ強制収容所の生存者でもある。

以下のヴィデオで聴くことができるのは(英語、英語字幕付き)、その彼が、(反)ナチス、(反)ホロコースト等に言及してイスラエルをひたすら「擁護」する人たち、そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて、同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として語った言葉である。

引き続き, 

上掲の旅日記 4/6 からの引用,

そして 今, ヨーロッパからの旅行者が 大挙して エルサレムに, ベツレヘムに, たぶん ジェリコにも ナザレにも, とにかく パレスチナに押しかける。

ヨーロッパ(特にイギリス)と USA が ここに イスラエルを成り立たせた。

この辺りのことも, 本 note 冒頭の前説にリンクを付した前回 note「パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る」の 第1章 2021年の今も続くパレスチナ人の悲劇 「ナクバ」 〜 アメリカ合州国による徹頭徹尾のイスラエル(1948年「建国」)支援のもとで にて記述。

旅日記 5/6 - 6/6

エルサレムに 今いるのは パレスチナ人とユダヤ人だけでない。アルメニア人も ギリシア人も いる。複雑な地区だ。もちろん 多いのは パレスチナ人だが。
西エルサレムは ほとんどユダヤ人だろうけど。(現在)

これは 本 note 上段から続いている, 1983年9月30日付 旅日記。「(現在)」と書かれているのは要するに 1983年9月30日現在。その後, エルサレム旧市街がある東エルサレムにも, 多くの国際法違反のイスラエル人の違法入植地が作られ, イスラエル・ユダヤ人の人口はかなり増えたものと思う。

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イスラエル・ユダヤ人が, パレスチナ人以外には, みんな差別意識を持たんと言ったら, それは当然ウソだ。師匠と歩いてるとき, 後ろを歩いてた ソルジャー3人のうちの 1人が「チン・チャン .. ....」 明らかに中国語のマネをして
オレたちを バカにしていた。オレたちは 日本語で コーギ しました。

もちろん, 意図的に「日本語で」抗議したんだけど。

下掲の旅日記は, 2行目以降は 1983年10月1日付の冒頭。この日の「ジェリコ」行きについては, おそらく(たぶん!)明日投稿する次回の旅 note にて。明日は明日の風が吹く, 本当に明日投稿できるかどうかは 明日のこころだ, 懐かしの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(昭和の匂いがしてしまった, まぁ1983年は「昭和」58年なのだ, 笑)。まぁしかし, 本 note 自体は次章以降へと, まだまだ続く。

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さてさて, いくぞ 次章。

折角だから(!), キリスト教はじめアブラハムの宗教を中心に「宗教」関連 note 特集

キリスト降誕の地であるベツレヘム訪問 38周年記念 note(だったのか, 笑), 折角だから角を折って(意味不明), これまでの note 投稿の中から キリスト教中心に 宗教(特にアブラハムの宗教)に関連するものを適当に選んで .. そうだった, 宗教に少しでも関係する note はこの中に収録してあるから(だから 批判モノばかりじゃない), 

ここからテキトーに選んで, まずは「クリスマスの真実 〜 イエス・キリストのこと知ってる?」

Cheer up, Brian. You know what they say .. Some things in life are bad. They can really make you mad. Other things just make you swear and curse. When you're chewing on life's gristle, don't grumble, give a whistle. And this'll help things turn out for the best ... And always look on the bright side of life, always look on the light side of life ♫

脱線した ♫

無神論者が好きな クリスマス・ソング 〜 7時のニュース/きよしこの夜, ハッピー・クリスマス(戦争は終った)

ぜんぜん「宗教」っぽくない, 「宗教」臭さがない クリスマス・ソング, Happy Xmas (War Is Over) ♫

さてさて, 次は,

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 しかし あの シネイド・オコナー も, 結局は「宗教」かよ!

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説 と 本編

ポール・サイモンの「アメリカの歌」はけっこう キリスト教 絡み, "Oh, we come on the ship they call the Mayflower" だけでなく, メロディのオリジンも ♫

そもそも, ポール・サイモン作の歌には意外と(?)キリスト教 絡みの歌がある。

Blessed ♫

Duncan ♫

同じく Duncan ♫

ポール・サイモンから離れて, 

ビートルズ "Let It Be" の Mother Mary は いわゆる「聖母マリア」のことではないにもかかわらず(笑) ♫

"When God Mad Me", ニール・ヤング ♫

アメリカ合州国の正真正銘 バカバカしい「イスラエル愛」は, そのかなりの部分がアメリカの人口の 1/4(8,000万人!)を占める 福音派キリスト教徒のそれに影響を受けてるから, ここでは宗教そのもののことはあまり書いてなかったと思うけれど, この際これも!!

ボブ・ディランが キリスト教 〜 ユダヤ教にもっとも傾倒していたとされる時期に書いた, 書いた時期のタイミングと共に, 恥知らずのイスラエル支持ソング

>> しばし, イスラーム関連

宗教と表現の自由に関するメモ 〜 フランス文化・宗教学者によるフランス「斬首事件」論考の読後感想と私見

「アラーが、ムスリムを虐待する中国に、新型コロナウイルス を送った」、そう主張する人間が愚かなのか、それとも元々、彼にそう思わせる宗教そのものに愚かさが内在しているのか。

原理主義のバカどもが破壊した人類の遺産 パルミラ遺跡(現代のシリアにある遺跡), 在りし日のパルミラ遺跡を 1983年911 に訪れた,

ペトラ遺跡(現代のヨルダンにある遺跡)のエル・カズネ(宝物殿, 神殿)の像は, 首がない。後代に生まれた「宗教」の信徒が教えに従って偶像崇拝はダメだからとやったのなら(まぁいつの時代の所業なのか次第で現代からの評価は多少変わるけれども), 本質は 2001年のターリバーンによるアフガニスタン・バーミヤン渓谷の仏像の破壊, 2015年から2017年にかけての IS「イスラム国」によるシリア・パルミラ遺跡の破壊などと似たようなもんかな。

次, 「イラン・イスラーム革命」批判が多少とも入ってる = イラン革命(1979年) 〜 1983年8月, トルコ・イスタンブールで同宿したイラン人兄弟から聞いた話を, 当時の旅日記で振り返る:タイトル上の写真は 1983年11月16日のイラン・イスラム共和国の首都テヘラン市街(筆者撮影)

イラン・イスラム共和国を旅した時の話

ハマースのこういう「宗教」原理主義もいただけない。つくづく, いただけない。これじゃまるで サウジアラビア や ターリバーン。

911 アメリカ同時多発テロを振り返る, シリーズ 3本(タイトル写真にパルミラやエルサレム, アンマンで撮った写真を使ってるけど, 勿論あの 911 の下手人の中にはシリア人もパレスチナ人やユダヤ人もヨルダン人も含まれてません, 念の為!)

*以下, リチャード・ドーキンス の 講演を取り上げているが, その後, ドーキンスはクソ野郎だと改めて認識するようになったので, その下に参照 note リンクを付けておく(2023.12.23 加筆)。

911 を取り上げて「宗教」絡めるなら, 折角だから note 特集から一瞬離れて 〜 911 はあなたをどう変えたか?「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」(リチャード・ドーキンス): 28:56~ People are always going on about, "How did September the 11th change you?" .. Well, here's how it changed me. Let's all stop being so damned respectful.

*その後, リチャード・ドーキンス については, 奴は 実は 正真正銘 クソ野郎だと改めて認識するようになったので, 参照 note リンクを付けておく。以下の note の「前説」の次の次の章に, ドーキンス と訣別する為の「さらば, リチャード・ドーキンス」の項あり(2023.12.23 編集・加筆)。

note 「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ

さて,

さらに続けて, 911 絡み。

911 から10日後(一部 歌詞和訳) 〜 トム・ペティ, ニール・ヤング, スティーヴィ・ワンダー, ポール・サイモン, そして ロバート・デ・ニーロ

911 〜 ハナミズキ(一青窈), リチャード・ドーキンス 〜 Teach Your Children (CSNY) 〜 ハナミズキ, Our House (CSNY)

次, これも イスラームだけのことではないけれど = 3.11 と、そしてこの日に絡む 「宗教」 に関わる思い出と

自然災害の犠牲者を「彼らは神を信じてないからその報いだ」と語る(一部)宗教信者の愚劣さ

そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

Imagine there's no countries. It isn't hard to do. Nothing to kill or die for. No religion, too ... Imagine all the people living life in peace... You... ♫

Neil Young による, オリジナルと一箇所歌詞が異なるカヴァー; そして John Lennon のオリジナル。

というわけで, 何となく パレスチナ/イスラエル問題に戻ってきた。アブラハムの宗教の「聖地」が ワンサカあるあの地に, 政治や公的教育がどの宗教にも制約を受けない無宗教・世俗主義の一つの民主的な国ができれば, それは人類の大いなる進歩につながるのではと現実的に「想像」してみる(当然ながら其処に住む人たちの意思で決まることだけれど, しかし少なくともパレスチナ人の土地がイスラエルのシオニストたちによって不当に奪われるなどという人間の手による悪事が無くならなければ話にならないけれど; 「盗むな」せめてモーセの十戒 守れよ)。

ここから先は,

音楽 ♫

クリスマスにはまだ早いけど, ベツレヘム の場所柄で 〜 S&G 「きよしこの夜 / 7時のニュース」 ♫

これはほんと, 美しい曲(ドイツ語原題 "Stille Nacht", 英語 "Silent Night", 邦題「きよしこの夜」のカヴァー)。以下, これの第3章を転載 ♫

これをクリスマス・ソングというのかどうか、そこはまぁ言い出したら微妙だけれど、「きよしこの夜」("Stille Nacht", 英語タイトルは "Silent night")自体は、日本で(日本でも、と言うべきなのかな)最も有名なクリスマス・キャロルと言っていいくらいなので。

この、サイモンとガーファンクルの「7時のニュース/きよしこの夜」, Simon & Garfunkel’s "7 O'Clock News/Silent Night" は、1966年10月10日にリリースされた彼らの3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" の LP のB面に、その最後を飾る曲として収録された。

日本でも多くの人が知っている「きよしこの夜」に、(当時の)アメリカ合州国のベトナム反戦運動を含む世情や政治状況が分かる擬似「7時のニュース」をオーヴァーラップさせて録音したもの。

以下の Wikipedia 解説の下にヴィデオ 2つ(Wikipediaリンクの下, 参照; 2023.12.23 加筆)と歌詞およびニュース原稿を掲載。

当初 YouTube リンクを置いていた ヴィデオ 2つとも, その後, 「お住まいの地域では著作権上の問題で権利所有者によりブロックされています」と出るようになった為, 以下の S&G のクリップに差し替えた(2023.12.23 編集・加筆)

"7 O'Clock News/Silent Night" from Simon & Garfunkel's 1966 album Parsley, Sage, Rosemary and Thyme ♫

[Verse, overlapping with newscast]
Silent night, Holy night, All is calm, All is bright .. Round yon virgin mother and child, Holy infant so tender and mild, Sleep in heavenly peace, sleep in heavenly peace..

[Newscast, overlapping with verse]
This is the early evening edition of the news. The recent fight in the House of Representatives was over the open housing
Section of the Civil Rights Bill brought traditional enemies together but it left the defenders of the measure without the votes of their strongest supporters.

President Johnson originally proposed an outright ban covering discrimination by everyone for every type of housing but it had no chance from the start, and everyone in Congress knew it. A compromise was painfully worked out in the House Judiciary Committee

In Los Angeles today comedian Lenny Bruce died of what was believed to be an overdose of narcotics. Bruce was 42 years old

Dr. Martin Luther King says he does not intend to cancel plans for an open housing march Sunday into the Chicago suburb of Cicero. Cook County Sheriff Richard Ogleby asked King to call off the march and the police in Cicero said they would ask the National Guard to be called out if it is held. King, now in Atlanta, Georgia, plans to return to Chicago Tuesday

In Chicago Richard Speck, accused murderer of nine student nurses, was brought before a grand jury today for indictment. The nurses were found stabbed an strangled in their Chicago apartment

In Washington the atmosphere was tense today as a special subcommittee of the House Committee on Un-American Activities continued its probe into anti-Vietnam war protests. Demonstrators were forcibly evicted from the hearings when they began chanting anti-war slogans. Former Vice-President Richard Nixon says that unless there is a substantial increase in the present war effort in Viet nam, the U.S. should look forward to five more years of war. In a speech before the Convention of the Veterans of Foreign Wars in New York Nixon also said opposition to the war in this country is the greatest single weapon working against the U.S

That's the 7 o'clock edition of the news. Goodnight

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筆者の関連 note 投稿。

ところで,

キリストの降誕については新約聖書の「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」のみに書かれているようで 〜 バッハ「マタイ受難曲」 ♫

「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」によると, キリストはベツレヘムで処女マリアの子として生まれたんだそうだ。処女マリアが身籠る。そ, それは有り得ないよなぁ。有り得ない。でも有り得ないはずのことを科学的証拠無しで信じる, それが「宗教」なのです。そんなコトの真偽はともかく, 

音楽として聴ける, というか ドイツ語の歌詞の意味が聴き取れないからこそ無神論者のノン・クリスチャンでも(*4)聴けるのかもの, 「マタイ受難曲」♫

ところで, ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン Paul Simon の 1973年リリースのアルバム "There Goes Rhymin' Simon" (*3) 収録曲 "American Tune"(邦題「アメリカの歌」)のメロディの元ネタはこの Johann Sebastian Bach による "Matthäus-Passion", 「マタイ受難曲」だという説がある。しかしこれにはもう一つ説があって, それは「アメリカの歌」のメロディ・ラインの元ネタはバッハと同じくドイツ人の Paul Gerhardt という人が 17世紀に作曲した讃美歌 "O Haupt voll Blut und Wunden" だというもの。ところがその賛美歌自体が実は元ネタを持っていて, やはりドイツ人の Hans Leo Hassler という人が 17世紀初頭に恋愛の歌, つまりラヴ・ソングとして作曲した "Mein G'müt ist mir verwirret" なんだと。言わばその非宗教的な歌, 世俗の歌をリメイクした宗教音楽, 讃美歌である "O Haupt voll Blut und Wunden" のメロディをベースに, ポール・サイモンの微妙に(というか, なかなかに)キリスト教絡みの歌詞になっている「アメリカの歌」のメロディは作られていると。

一方で, バッハの「マタイ受難曲」も元ネタは讃美歌 "O Haupt voll Blut und Wunden" だというコトらしく, そういうわけでポール・サイモンの「アメリカの歌」のメロディの源流を辿る時の二つの説は実は互いに絡み合ってることになるというわけで。

その辺のことをざくっと, 以下の note *1 の最後から2番目の章 この歌のメロディについて、少々 や, note *2 の第7章 アメリカの歌、その源流 に, それぞれ音源を付けて書いてます。

*1 アメリカの歌 ー Paul Simon "American Tune" (拙訳) ... 「拙訳」とは note 上でそんな自虐表現をしてた時期に書いてしまったけれど, けっこう 良薬は口に苦し, じゃなかった「良訳」.. かな?

*2 アメリカの歌 〜ピルグリムの船・メイフラワー、植物のメイフラワー、そしてナサニエル・ホーソーン「緋文字」を巡る不思議(?)な展開

*3 「アメリカの歌」収録アルバム 〜 1973年5月5日リリース, ポール・サイモンのソロ 3作目 "There Goes Rhymin' Simon" ♫

以下は, 本 note(今日のこの note)の本章冒頭 2段落目, 「無神論者のノン・クリスチャンでも(*4)」絡み。

*4 クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 

上掲 note の前編は,

おまけ, キリスト教会にてノン・クリスチャン一家が ブルーズ を歌った日 〜 ブラック・ゴスペル・ワークショップに初めて参加した年2001年, その年の11月に, 同じキリスト教会で 我が「無神論者」一家3人で ブルーズ を歌ったのさ, の巻 ♫

そういうわけで(どういうわけだ?), There but for the grace of God go I ではなくて 〜 There but for the grace of you go I

さてさて, 今日も今日とて, もう一曲!

キリストの降誕については新約聖書の「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」のみに書かれているようで 〜 スザンヌ・ヴェガ「ルカ」 ♫

なんたって曲名が「ルカ」なんだからね。

Luka 〜 from Suzanne Vega's 1987 album "Solitude Standing"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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