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権威からの自由

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権威に抗うこと、もしくは、権威から自由でいること。一点蛇足、蛇の足程度の存在である安倍晋三への批判みたいな内容のものをこのマガジンに入れたが、安倍晋三は蛇の足程度であっても、まぁ…
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記事一覧

ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 〜 歌詞和訳

邦題は「木の葉は緑」だった。でもあれは(遥か昔の小学生時代を振り返りつつだから「これは」じゃなく「あれは」)あんまりいい邦題じゃなかったのではと思う。「木の葉は緑」では何か時間が止まっている「静」のイメージが沸くが, 原題は "And the leaves that are green turn to brown" と歌われる歌詞の一節からとったもの。「緑の木の葉(木の葉の緑)は茶色に変わる」んだから, あくまで時の流れの中にあるのであって, 「木の葉の緑は」とか, 助詞でも

「ロシアがウクライナを空爆」と書く一方で, イスラエルがパレスチナ🇵🇸のガザを空爆すれば単に「何処の国がやったのかは知らねぇなぁ」にしてしまう 〜 相変わらずの自称「民主主義」諸国のメディア

いや, 本文には書いてんだよ 一応。要するに 見出しが殆どいつもアレなんだよ, BBC, NYT, CNN とかいった, 普段「民主主義者」ヅラしてる西側あるいは西洋あるいは欧米諸国の, 普段「民主主義者」ヅラしてる自称「ジャーナリズム」のマスメディア連中。 さて, 本 note, 第1章がタイトル通りで, 第2章と第3章は単に欧米 自称「民主主義」諸国に呆れる為の補足。第4章はその更なる補足。最後の第5章は欧米諸国のことではなく, ここでは「おまけ」,  つまり, 日本

旅と音楽と社会批判の不器用な生き方 〜 今年の自分の note に係る記録を, 折角の機会なので note 投稿して残す

不器用ですから 今日の note のお題, 「折角だから」と書こうとしたんだけけど, 厳密に言うとそれは「折角」の誤用のようなのであった。せっかく角を折ろうとしたのに。まぁ兎に角が生えても, あ, 兎にも角にも, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は,  というわけで, 兎にも角にも,  昨日 note 事務局から今年の自分の note に関する記録をいただいた角を折る機会に, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, 不器用ですから.. また戻ってしまった自分は「不器

ドアーズ "Break On Through (To the Other Side)" 〜 歌詞和訳

これって 1年ほど前に note 投稿したことがあるんだけど, 何気に, あらためて投稿することにした。前に自分で書いた「周辺」テキストも部分的に転載して, それに少し加筆するといった些か横着なやり方で。 前説 この曲はドアーズの 1967年1月リリースのデビュー・アルバム, その名も "The Doors" のオープニング・トラックにして同アルバムからの最初のシングル, つまりは彼らのデビュー・シングル曲。同年4月に同じアルバムからシングル・リリースされて同7月には Bi

ジョン・レノンのプロテストとユーモア(ジョンの命日に) 〜 ジョンが作った歌の歌詞, 和訳集

ジョン・レノンの母国イギリス女王宛て「勲章返却の理由」を記した手紙 これです。2016年10月に発見された「下書き」。 「女王陛下, 私はナイジェリアのビアフラ戦争へのイギリスの関与, ベトナム戦争におけるイギリスのアメリカへの支援, そして私の曲 "Cold Turkey" がチャートから滑り落ちていることに抗議して, この大英帝国勲章 MBE を返還します。愛を込めて, Bag の ジョン・レノン」 最後の Bag は, ジョンの曲 "Give Peace a Ch

旧約聖書の御伽噺「ノアの方舟」が着いたとされるアララト山を拝んだ, ドグバヤジッド(トルコ), イランとの国境の街にて 〜 1983年11月12-15日

因みにアララト山を「拝んだ」のは聖書を信じているからでは全くなく, 自然を畏怖しているから。 1983年4月26日に日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅した後, 同年10月26日より再びのトルコ1983年4月26日に横浜港を発って, まずは半年間かけたソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトの旅については, 以下 note *1(イスタンブール再訪記)の第1章 

2度目のトルコ, 初めての首都アンカラ 〜 1983年11月9-11日

1983年4月26日に日本を発って, トルコ最大の都市イスタンブールには 同年8月と10-11月に合計 5週間滞在, 首都アンカラは 2泊3日イスタンは旅人にとって "超絶"魅力的な場所だったということがまずあるけれど, アンカラに来た頃は頭の中で徐々に見えてきた「インドの旅」への想いが(*1), 既に「はやる気持ち」レベルに到達していたということもあったかもしれない。 *1 元々この旅を考え始めた時の想いは, とりあえず「インドに行ってみよう」だった。1979年, 大学入

ボブ・ディランのイスラエル支持ソングは, 1982年のイスラエルのレバノン侵攻と同年9月のベイルートにおけるパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれた

タイトル写真の左は, 当時イスラエル軍が包囲したベイルートの難民キャンプでイスラエルの同盟者キリスト教右派民兵たちに無惨に虐殺されたパレスチナ難民らの遺体(1982年9月)。右はボブ・ディランのイスラエル支持ソング "Neighborhood Bully" が収録されたアルバム "Infidels"(「異教徒たち」)のカヴァー写真, 同アルバムは 1983年4-5月録音, 同年10月リリース。 ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと, サブラ・シャティーラ難民キャン

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」 〜 一方で リチャード・ドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。 2) ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第1章「ヴァチカン市国 〜 写真 3枚」より(1段落分), その下の ヨハネ・パウロ

「恥知らず」の朝日新聞 〜 イスラエルによる国連安保理決議 違反の「占領」継続、ジュネーヴ条約違反の占領地への入植を「既成事実」化して無批判に垂れ流し、果ては違法に違法を重ねるイスラエルによる入植地ビジネスを推奨する、「厚顔無恥」な「傲慢無知」新聞

ここまで問題がある記事も珍しい最初にことわっておくと、本 note 投稿タイトルにおける朝日新聞に対する「恥知らず」「厚顔無恥」「傲慢無知」といった罵り(もちろん罵っている)の言葉は、以下に紹介する二つの note 投稿の投稿主によるものではない。こうした言葉遣いはあくまで 本 note 投稿の筆者個人によるものである。 イスラエル(1947年の不当な国連パレスチナ分割決議とシオニスト民兵によるアラブ系=現在言うところの「パレスチナ人」に対する民族浄化と第一次中東戦争におけ

Find the Cost of Freedom (CSNY) 〜 歌詞和訳

Find the Cost of Freedom 〜 歌詞和訳 "Find the Cost of Freedom" は Crosby, Stills, Nash & Young の曲で、Stephen Stills による作詞作曲。この歌が 1970年6月にリリースされた時の背景については次章にて。 この歌の歌詞そのもの、そこに使われている言葉は至ってシンプルなものなのだが、最初 2003年に和訳を試みた後、2007年になって改訂してみた。以下は後者の方で、併せてこの下に

河内のオッサンの唄 〜 2021年2月23日

誕生日のプレゼントさるお方を含む、今日 2月23日が誕生日である全ての人々に捧ぐ、作詞作曲・唄すべてミス花子による稀代の名曲、1976年8月1日発売、「河内のオッサンの唄」。 「さるお方」も「さるお方」でない方々も、えーい、この際ええじゃないかエエじゃないか、「さるお方」でも「さるお方」でない方々でもない「さる」だって、この世に生まれたその「生」の価値も「命」の価値もみな同じ、みんなみんな生きているんだ友だちなんだ ♫ (それ 歌 違うな, 笑)  コロナ禍のなかナンだが

ジョン・レノンの命日に, Happy Xmas (War Is Over) 〜 歌詞和訳

はじめに今日は12月8日、1980年のその日に 40年という決して長くはない生涯を閉じたジョン・レノンの命日。 当然ながら「たまたま」、偶然のことではあるけれど、今日12月8日は、日本では「真珠湾攻撃の日」でもある。あれは日本時間で 1941年12月8日未明ながら、現地ハワイ時間では 12月7日。日本がアメリカ合州国(以下、便宜的に「アメリカ」, この略称については本投稿の最後の付録で)に「先制攻撃」を仕掛けることを実はアメリカは事前に察知していたとか、あるいは日本が「先制

宗教と表現の自由に関するメモ 〜 フランス文化・宗教学者によるフランス「斬首事件」論考の読後感想と私見

はじめに宗教は自分にとって切実なものではない。自称「闘争的かつ積極的な無神論者」(リチャード・ドーキンス Richard Dawkins "Militant Atheism" 援用)ながら、もともと生来「神」なるものを本当の意味で信じたことなどなく(「本当の意味で」というのは、つまり、子どもの頃ってよく分からないままに神社仏閣をお参りしたりしてるよね、今も筆者は神社や寺の雰囲気自体はわりと好きだが)、いかなる特定宗教の信者にもなったことがない、そんな日本人の多くにありがちな対