「恥知らず」の朝日新聞 〜 イスラエルによる国連安保理決議 違反の「占領」継続、ジュネーヴ条約違反の占領地への入植を「既成事実」化して無批判に垂れ流し、果ては違法に違法を重ねるイスラエルによる入植地ビジネスを推奨する、「厚顔無恥」な「傲慢無知」新聞
ここまで問題がある記事も珍しい
最初にことわっておくと、本 note 投稿タイトルにおける朝日新聞に対する「恥知らず」「厚顔無恥」「傲慢無知」といった罵り(もちろん罵っている)の言葉は、以下に紹介する二つの note 投稿の投稿主によるものではない。こうした言葉遣いはあくまで 本 note 投稿の筆者個人によるものである。
イスラエル(1947年の不当な国連パレスチナ分割決議とシオニスト民兵によるアラブ系=現在言うところの「パレスチナ人」に対する民族浄化と第一次中東戦争における「領土」獲得によってできた1948年「建国」のイスラエルが 1967年6月まで支配していた範囲)とそのイスラエルによる1948テリトリーを除く旧「イギリス委任統治領パレスチナ」地域(1967年6月の第三次中東戦争によりイスラエルがエジプトのシナイ半島およびシリアのゴラン高原の一部とともに占領したパレスチナ地域内の東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区ならびにガザ地区:これら1967年の占領地からのイスラエルの撤退を同年1967年11月22日に採択された国連安保理決議242が要請しており、これまでイスラエルがこれに従ったのはエジプトのシナイ半島のみ、その他は半世紀以上経過した今現在もイスラエルが占領を継続・ガザ地区については軍事封鎖)を旅したことがあり、パレスチナ/イスラエル問題を知る個人として、
あまりに問題が多い件の朝日新聞の記事(日曜発行の同紙 GLOBE 紙上, 2021年4月10日付・高野遼記者による署名記事)については色々言いたいことはあるものの、しかしこの件は当面、以下の note 投稿上にある内容を多くの人が確認することで十分であろうと思う。
問題の記事については、以下の note 投稿(*1)にある通り、既に抗議・要請書(2021年4月18日付)が朝日新聞宛て送付されており、次のような具体的要請が為されている。
1. なぜこのような国際法違反をあからさまに容認する記事が掲載されることになったのかについて文書にて経緯を説明すること。
2. シリア領ゴラン高原をイスラエル領であるかのように記述した箇所について誤りを認め、訂正記事を出すこと。
3. 上記訂正記事においては、西岸地区であれゴラン高原であれ、軍事占領地における入植行為は国際法違反であり、ヘルモン山のスキー観光やゴラン高原ワインといった入植地ビジネスに関わることは倫理的・法的に問題があることを明記すること。
*1 高野遼という名の記者は 2年間にわたって朝日新聞エルサレム支局に勤務していたということのようだが(今現在は同紙のアメリカ合州国ワシントン特派員)、いったい何を見て、何を考えてきたのか、少なくとも件の記事を見る限りは、その見識については甚だ疑問だと言わざるを得ない。ジャーナリズム、ジャーナリストの見識についての疑問と言えば、あのような記事をノー・チェックで載せてしまう朝日新聞そのものについても感じるところではあるが。
*2 冒頭に記した通り、筆者はパレスチナ/イスラエル地域(イスラエルが1967年以来 同年採択の国連安保理決議に違反して占領・軍事支配を続ける東エルサレムおよびヨルダン川西岸地区内ヘブロン、ナブルス、ベツレヘム、ビルゼイトなど並びにガザ地区、さらにテルアヴィヴ、ナザレ 、ハイファ、西エルサレムといった48テリトリーのイスラエル)を旅したことがあるが、一方でシリアは旅したことがあるものの、問題の記事が取り上げた旧シリア領で1967年以来 現在に至るまでイスラエルが軍事占領を続けるゴラン高原には足を踏み入れたことがない。
問題の記事を書いた高野遼という記者のような立場とは全く別に、近年ゴラン高原を旅した人が、上の *1 リンク先の note 投稿を読んで思い立って書いた別の note 投稿テキストがあり、参考になるので、以下にリンクを付すことにする。
*3 ここからの 2項目は今日取り上げた問題の記事自体からは離れた「付録」。たまたまここしばらくパレスチナ/イスラエル問題にかかわる note 投稿をしていなかったが、以下の note マガジン内の多くが(全てではない)パレスチナ/イスラエル問題にかかわるものなので(一部、筆者以外の note アカウントによるものを含む)、併せてここにリンクを付す。
*4 上記マガジンの中から、今日取り上げた朝日新聞の記事の問題とは別、しかしながらパレスチナ/イスラエル問題にかかる、朝日新聞とは別「組織」ではあるが系列テレビ局であるテレビ朝日の番組における(バラエティ番組内とはいえあまりにお粗末な!)基本認識・基本知識を著しく欠いた「情報」垂れ流しについて。その下はその続編的な note 投稿テキスト。
付録 1: ユヴァル・ノア・ハラリの前にひれ伏す、朝日新聞 〜 彼の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考に潜む欺瞞、知的怠慢も見抜けず、ハラリに関してはひたすら礼賛記事ばかり。安倍・トランプのような批判・非難が容易な対象はいくらでも批判する一方で、ハラリのような既に「評価」が固まった知の「権威」を前にすると、途端にジャーナリズムに必要な批判的思考を忘れ、ひたすら腰抜け・腑抜けになる朝日新聞
1)
2)
3) これは昨年9月に書いたものだが、その後のイスラエルのワクチン接種「先進国」ぶりを伝える朝日新聞を含む多くのメディアの記事において、イスラエルによるメディカル・アパルトヘイトの問題に言及するものにお目にかかることはほとんどない。
4) 上記の関連で。こうした点についてメディアとして愚かなのは朝日新聞だけではない。TBS「報道」も然り。
5) ユヴァル・ノア・ハラリからやや離れるが、上記関連で。「イスラエルはヨルダン川と地中海の間に存在する 『アパルトヘイト』 レジームである」(イスラエル最大の人権擁護NGO団体 B’Tselem)
付録 2: ボブ・ディランに対しても然り 〜 安倍・トランプなど大勢(たいせい)が批判・非難する対象は批判できても、ディランのような既に「体制」(たいせい!)の一部と化した「権威」の前ではからっきしダメ、ひたすら腰抜け・腑抜けになる朝日新聞
1) ボブ・ディランの不都合な真実、そして 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由。
2) 上掲リンク先 note 投稿の前編。「ボブ・ディランの不都合な真実 ー 1982年イスラエルのレバノン侵略とパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれたイスラエル支持ソング」
3) 1) の後の時期に書いて note 投稿したもの。「ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年」
ではでは、本 note 投稿はこの辺で。締めは音楽で ♫
このミュージック・ヴィデオにボブ・ディランが登場するが、そもそも以下に掲載するこの歌の歌詞の中にディラン関連のくだりが複数箇所ある。
この歌 "A Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)", いわゆる邦題は「簡単で散漫な演説」だが、Philippic という単語は、
1. デモステネスのフィリッポス王攻撃演説◆紀元前351年からアテネの雄弁家Demosthenesが行った、マセドニア王Philip II(Philip the Great)の独裁を非難し自国民のふがいなさをなじった激しい演説を指す。
2. キケロのアントニウス攻撃演説◆紀元前44年に古代ローマの政治家Marcus Tullius Ciceroが行った、Marc Antony(ラテン語でMarcus Antonius)を激しく攻撃する13回の演説を指す。◆【語源】デモステネスの行ったPhilippicより
ということのようで(Space alc から丸写し!)。
A Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission) 〜 from "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", the third studio album by Simon & Garfunkel, released on October 10, 1966
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください。
以下には, 歌詞の一部のみを掲載しています(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
..............................
I knew a man, his brain so small
He couldn't think of nothing at all
He's not the same as you and me
He doesn't dig poetry. He's so unhip that
When you say Dylan, he thinks you're talking about Dylan Thomas
Whoever he was
The man ain't got no culture
But it's alright, Ma
Everybody must get stoned
.....
(Folk rock...)
(I've lost my harmonica, Albert...)
it's alright, Ma は、ボブ・ディラン 1965年3月リリースの歌 "It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)" から、Everybody must get stoned は ディラン 1966年4月リリースの歌 "Rainy Day Women #12 & 35" の歌詞にあるフレーズそのまんま。また、最後の "I've lost my harmonica, Albert..." の Albert とは、当時のディランのマネージャー Albert Bernard Grossman (May 21, 1926 – January 25, 1986) のこと。
ポール・サイモンのこの歌の歌詞の中のボブ・ディランに言及した部分に関して言えば、ディランを些かおちょくっている感があるが、二人はもともと歌い方にしても全く違う。一方で、前年 1965年にリリースしたポール・サイモンの(サイモンとガーファンクル時代の)ソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収められた別ヴァージョンにおいては、ポール・サイモンがわざわざディランの歌い方をパロディ的に真似て歌っているのが分かる(以下に掲載の通りで, 歌詞は一部異なる)。当時のポール・サイモンは本来は全くスタイルが異なるディランと比較されることを嫌いながら(「因みに」程度ながら二人にはユダヤ系アメリカ人という共通項がある)、しかし一方でディランの存在をかなり意識していたのかもしれない。
これは、"The Paul Simon Songbook" に収められたヴァージョン。これにて、本当の、「ではでは」♫
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください。
以下には, 歌詞の一部のみを掲載しています(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
..............................
I knew a man his brain so small,
He couldn't think of nothin' at all.
He's not the same as you and me.
He doesn't dig poetry. He's so unhip that
When you say Dylan, he thinks you're talkin' about Dylan
Thomas,
Whoever he is.
The man ain't got no culture,
But its alright, Ma,
It's just sumpthin' I learned over in England.
.....
When in London, do as I do
Find yourself a friendly haiku
Go to sleep for ten or fifteen years
最後に haiku,「俳句」という言葉が登場。「ロンドンにいる時は俺のようにしな。いい俳句でも見つけて10年か15年眠るのさ」と言ってるわけだが、このころ既に俳句は一部のアメリカもしくは欧米のアーティストのうちでトレンドの一つになっていたという時代背景が見えてくる(主にビート詩人とか前衛の人たちの間でということだったと思うが)。
もう完全に今日のこの note 投稿の主題「朝日新聞バカヤロー」(笑)から離れてる(もう一回、笑)。最後の最後に、上掲の歌、以前この note 投稿の後段の方で載せている、と書いて、ようやくこれで「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」(懐かしの淀川長治翁)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?