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『ラスト・イニング』感想と私がこの春やりたいこと

おはようこんにちはこんばんは。すずなです。
私は新しい環境に身を置くことが苦手です。
猫を被るのが得意すぎて、その「猫」がなかなか剥がれないのです。人は誰しもそこそこ「演技」をしているとは思いますが、数ヶ月、あるいは数年経てば素が見える人がほとんどだと思います。
素を見せるのがこわいので猫を被り、被ったものがホンモノではないという失望もさせたくないのでさらに猫を被る。悪循環だ。最近流行りのHSPなのかもしれませんが、カテゴライズすることもレッテルを貼られることもまた嫌です。

あさのあつこさんの『ラスト・イニング』が好きです。
これは『バッテリー』の外伝のようなものです。
私は小学生の頃に一度読んでいましたが、高校生の頃に改めて読み直して好きになりました。
児童書ですが、中高生のほうが刺さるのではないでしょうか。

『ラスト・イニング』の主人公は、『バッテリー』の新田東の一年生、原田巧ではなく、相手校横手中の三年生、瑞垣俊二です。

瑞垣は、妹が部活の先輩に「瑞垣さんの妹なのに愚図だ」などと言われてしまっていたことを知る。「瑞垣の妹」というレッテルである。
いっぽう、瑞垣自身も「野球の天才である門脇秀吾の友だちで、野球が得意で、頭が良い」というレッテルを貼られている。

レッテルを貼られるということに悩み、中学で野球を辞めて超進学校に進むことを選んだ瑞垣ですが、彼自身も本音を語ることを避けているような気がして、寧ろ”貼られにいってる”感もある。
私は、勝手なレッテルを貼られたくないなら自分で貼ってしまおうという瑞垣の態度に共感したのかもしれません。

瑞垣にとって、新田東のキャプテン海音寺のことは、なんとなく気に食わない相手のように描かれていますが、海音寺は門脇以外に初めて現れた「レッテルを貼らないで自分自身を見てくれる相手」なのでしょう。
門脇は瑞垣の内側の感情には気付かず、「秀吾はアホやからな」と諦念を持っていますが、海音寺は気付いています。
私はなんとなく、海音寺はこれからも瑞垣の友だちであり続けるのではないかと思っています。

結局、瑞垣は監督の、自身への一定の理解のもと、横手中野球部のコーチというかたちで、野球と関わる道を選びます。
人と人は完全に理解し合うことは難しいですが、一定の理解は得られるのかもしれません。

私は観劇が好きです。それは人が演じているからかもしれないし、人間関係に自分が存在しないからかもしれません。
演劇業界に関わってみたくて、この春に小劇団に見学に行くことにしました。
新しい環境は苦手ですが、ちょっと頑張ってみようかなと思います。

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