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家賃0円ハウス|第4回|行動する or dieではありません


 いまジル・ドゥルーズの書いた『フーコー』という本を読んでいます。フランスの哲学者ミシェル・フーコーについてドゥルーズが独特の解釈で書いた本です。フーコーは「人間の死について何も悲しむことはない」と書いていたそうです。ドゥルーズはフーコーが何を書きたかったのだろう? とペンを走らせながら思索します。

 人間という形態は果たして良きものなのだろうか? 話す力、働く力、生きる力、それらは世界の生を豊かにし、人間の共同体を暴力的な死から守れるものだったのだろうか。

 とドゥルーズは問います。人間の力は外部からの攻撃(または攻撃されているという思い込み)とのネジれで群れの中に権力という輪郭を現します。その力を人間は神と呼んだり経済だと思い込んだります。ニーチェは神でも人間でも貨幣でもない、新たな「超人」という可能性を世界に示そうとしたとドゥルーズは考えました。人間は生を監禁した。超人は自分自身における生を解放して、別の形態にメタモルフォーゼする過程なのです。
 わたしたちは超人になれるでしょうか? ヒトラーもこの超人思想に魅了された結果、大きな誤解を持って思想の力を使ってしまいました。超人になるつもりが力の構造に飲まれてしまいます。ヒトラーはおそらく、自己解放と国家という巨大な暴力装置の解放を混同させてしまいました。ヒトラーの死因はわかりませんが、自殺の可能性が高いそうです。
 ドゥルーズも最後は自殺してしまいます。ドゥルーズは晩年、肺気腫という病になります。肺気腫になった人は呼吸をすることが困難になるそうです。
 ドゥルーズの仕事の中心は、単純に有機体ではない生の概念について哲学を深めることです。彼は「生きるものではなく、死ぬものが有機体である」と書いています。ドゥルーズはベルクソンとニーチェを継承した「生の哲学」の書く者です。「死に他ならないものについて思考せよ」というスピノザの言葉。ドゥルーズたちはスピノザを「哲学者たちの救世主」と呼びました。この生は、肯定的な創造の経験を通じて感情によって捉えられるものであり、喜びの感情を産出する強度であるとドゥルーズは問いをひらいていきます。
 自宅のアパートの窓から身を投じたドゥルーズ自身の死を、どのように理解すればよいのでしょう。どうやらドゥルーズのように肺気腫で苦しむ患者にとって、窓から身を投げることは稀ではないそうです。彼らは本当に息苦しく、混乱していて、空気を求めて自暴自棄になっているのです。そして、突然の衝動から、ハイスピードの落下が肺に空気を無理やり押し込み、死に物狂いで生を胸いっぱいに吸い込むことのできる方法だと思い込んでしまうそうです。病院の1階にのみ換気用の窓があり、他の階の窓の開け閉めができないのはそうした理由もあると思います。
 長い間、パリで同僚であった哲学者のジャン=フランソワ・リオタールは、ドゥルーズの投身後にル・モンド紙に送ったファックスの中で、ドゥルーズの死を重く扱うことについて、問いを投げかけています。

〝彼はとても強靭であったので失望や憤り、否定的な感情を経験することはほとんどなかった。世紀の終わりにニヒリストたちの只中にあって、彼はつねに肯定であった。まさしく病や死においても一貫して。どうして過去の彼をわたしは語れようか。彼は笑った。そして今も笑っている。彼はここにいる。もし私がドゥルーズの死に対しして悲しんでいたら、きっと彼はこう言っただろう「その悲しみは君の無知からくるものだよ」と〟

 いま感染してしまうことの恐れから、世界中がニヒリズムや猜疑心であふれているように感じます。非常に雑な言葉で他者を攻撃する人たちもいます。どうかみなさんの心が否定的な感情に浸ってしまわないように祈っています。わたしたち人類は、ドゥルーズのように覚悟をもって死や生を肯定することはまだできないでしょう。このパンデミック騒ぎは、残念ながらまだまだ続く予感がしています。とっいっても世界はわからないことだらけです。本当にどうかなるかなんて誰にもわかりません。ですがわたしは一つだけ確信していることがあります。
 
 それは、わたしたちは決して汚れた存在ではないということです。
 
 コロナに感染していようがその疑いがあろうが、生きていることが肯定される存在なのです。世界は魔女狩りでもするかのように、感染を意識でコントロールしようとしています。死や病は自然なことです。暴力的に人を殺めることとは一緒ではありません。自然はけっしてコントロールできないものです。ウイルスも意識や政治でコントーロールなど到底できません。ウイルスは春になったら半減して、冬になったら増殖するシンプルな生命活動を繰り返しているのです。海外でロックダウンしても感染者は増え続けました。ドゥルーズが生きていたら、きっとコロナウイルスや感染者の生をも肯定していたでしょう。自分や他者が汚れた存在(ウイルスが体内にいるだけで感染者である)と思って統治するなんて正気の沙汰とは思えません。ウイルスが体にいることで悪いことも確かにあります。ですがいいこともあります。ウイルスがわたしたちの体を守ってくれることもあるのです。否定的なことばかりに目を向けてはいけません。
 わたしはあなたの生を全力で肯定します。住む場所や国境で区別しません。政治思想などどうでもいいでのです。ウイルスが怖くても楽観的に考えていてもかまいません。わたしはあなたがあたなの生を監禁させないことだけを祈っています。全力であなたたちの生を肯定します。わたしたちは汚れた存在ではありません。太陽と土から生まれた有機体なのです。生きていても死んでしまっても、混沌をふくめた汚れのない喜びにみちた生命体なのです。
 
 生を監禁させていない人間がいます。それは子どもたちです。彼らは太陽と土と風と水の近くにいます。彼らはたとえコンクリートの上を走っていても、土のそばにいます。
 5歳の娘のゆもちゃんに「悩みってある?」と聞くと「ぜんぜんなーい! まいにち〜 たのしい〜」と答えます。きっと社会現実に囚われてないから楽しいのだと感じています。ゆもちゃんはゴッコ遊びが大好きです。遊びは生が監禁されそうになったときに、肉体と精神を解き放ってくれます。遊びはフィクションではありません。遊びはミュトス(創作物語)です。ミュトスには設定(多様体)が大事です。設定というのはルールではなく変幻自在な自分の楽しさのことです。楽しさは喜びで欲望と呼んでもいいでしょう。フィクション(社会現実)はルールを固定化します。社会現実は個人の欲望を嫌います。ルールが固定化できなくなるからです。ゆもちゃんはいつも自分の欲望と楽しさにゆだねて生きています。楽しさを欲求することは素直なことなのです。わたしは大人ももっとミュトスで遊ぶべきだと思います。欲望のまま自由に生きるべきです。PCゲームじゃだめです。PCゲームはルールが固定化されています。風のようなミュトスで楽しんでください。

「ほんとうは よわいんだけど つよいとおもっている ひとが だいちゃん(わたしのこと)の せっていね はい! やって!」
 
 ゆもちゃんはせがんできます。「弱いんだけど強いと思い込んでいる人」が最近のゆもちゃんのお気に入りのミュトスです。ゆもちゃんはわたしが演じる「強いと思い込んでる弱い人」と戦って余裕で倒すという遊びに夢中になっています。
「むおおおっ! おいそこの小娘! おれは強いんだぞ! ははは! この強烈なパンチを喰らえ!」
 わたしがパンチをするとゆもちゃんは軽くかわして、すかさずキックをしてきます。
「痛い! お前なんて強いんだ! 俺の負けだ! 降参! 俺を弟子にしてくれないか?」
 というとゆもちゃんは大喜びで悦に入ってます。それから師匠になったゆもちゃんはわたしに指導してくれます。強くなれる技、魔法などを次から次へと教えてくれます。わたしは師匠に聞きました。

「師匠、わたしは「本当は弱いけど強い人」を本気で演じてみようかと思っています。弱さを自覚した強さこそが本当の強さなんじゃないでしょうか?」

 ゆもちゃん師匠は真剣な顔でこちらを見て、親指を立てて右腕をこちらにグーと差し出しました。師匠のグッドをいただきました。
 わたしは自分の弱さを誰よりも自覚しています。へなちょこです。わたしは弱さを隠さずに、強い人を演じるエンターテイメントをこれから巻き起こすつもりです。家賃0円ハウスのプロジェクトはそのスタートになると思います。濃度を強めてこの先の文章を書きます。弱さを肯定することで強くなれます。それは単なる強さではないはずです。素直さは生を解放することさえできます。わたしは「弱いけど強く生きる」という覚悟を持ちました。覚悟というと少し大袈裟かもしれません。楽しくテキトーに生きる勇気と言ったほうがしっくりきます。わたしより若いあなたもどうか真面目くさった社会をテキトーに楽しく生きてください。あなたはあなたのミュトスを生きてください。 

 今回も本題に入る前にずいぶんと回り道をしてしまいましたが、無駄ではなかったです。迂回は人生を豊かにします。まだまだ回り道ができそうですが、そろそろ本題に入りたいと思います。 


 こんにちは因島に住む作家の村上大樹です。いま因島に家賃0円のシェアハウスをつくろうとしています。物件が見つかりました。8DKの空き家でまわりに土地が1000坪もあります。タダで譲っていただけることになりました。畑で野菜をつくったり、狩猟をしたり、カマドでご飯を炊き、自家発電をして電力を自給して生活費もゼロに近づけて生きていける場所にします。

「家賃や生活費が0円でもお金ってかかるじゃないですか? そのお金はどうするんですか?」

 という質問をされました。わたしは「バイトすればいいだけです」と答えます。0円生活はノーリスクでハイリターンなんです。ワンルームマンションの家賃8万円払う生活とではどちらがリスクがありますか? 生活のベーシックが0になるのです。目を覚ましてください。あとは今までと変わらない生活をしていてもいいのです。家賃0円生活 or dieではないのです。気軽に行動してください。行動するor dieでもありません。人生はいくらでもやり直し可能なのです。田舎で生活してみて合わないと感じたら都会に戻ったらいいだけです。「都内で家を買ってしまいました……。もうどこにも動くことができません」という人がいますが、そんなこと全然ありません。家を売ったらいいだけです。行動して違うと思ったら手放せばいいだけです。この連載で何度も書いていますが、空間は空白を嫌うのです。手放せば何かがやってきます。もっとテキトーに生きてください。そうすると失敗や成功という概念すらなくなります。ただただバカみたい楽しいことだけ毎日してください。すると自然とあなたの器にあった生活ができているはずです。たしかに器にあっていないことはどんなに努力しても上手くいきません。ですが自分を責めることは一切ありません。あなたの器はずっとそのままの大きさではないのです。経験によって無限にひろがることができます。いつかできるときがくるはずです。行動してみて、できなかったことは手放してください。できること、楽しいことからやってください。そうすると嫌なバイトを毎日しなくてもよくなっているなずです。
 
 家賃0円生活 =ノーリスク・ハイリターン

 行動する or dieではありません  

 この2つをよく覚えていてください。家賃0円生活は、自分にとって無駄なものと豊かなものがわかる暮らしです。お金をかけたいところには、さらにお金を使うこともできます。喜びと肯定にあふれた暮らしなのです。あなたの今の暮らしの家賃と光熱費が、たとえば10万円なら毎月10万円がフリーになるのです。バイトが嫌だったら10万円分のバイトを減らすことができます。すると時間は増えます。時間はエネルギーの源なのです。エネルギーを最大限に使ってください。自分自身の魂を喜ばせることをしてください。わたしは増えた時間を書くことに注ぎ込んでいます。それはわたしが書くことが何より好きだし楽しいからです。楽しいことをしてください。楽しいことは喜びの還元率が無限です。辛いことをバイトや正社員でやっても喜びの還元率はほとんどないのです。喜びだけではありません。働いても働いてもスズメの涙ほどの給料しかもらえないのです。わたしはいつも都会で10万円前後くらいのバイト代で生きていました。東京に住んでいたときに180時間ほど残業しましたが、税金引かれて手取りがたったの17万円ほどしかありませんでした。0円生活になって作家を職業にしてからのほうが年収300万円ほどあるので稼いでいます。しかも生活のベーシックにかかるお金はいま月3万円ほどです。東京のときは月12万円ほどの生活費かかってました。家賃0円生活で9万円もリターンがあります。年間144万円も支出していたのが36万円あれば1年暮らせます。しかも作家の仕事は楽しくて仕方ありません。これはわたしの創りだしたミュトスかもしれません。あなたはどうか楽しいことを信じてください。読んでいてちょっとでも嫌な気分になる言葉はあなたにとっては嘘です。読んでいて楽しい気分になったり、心が軽くなるものはあなたにとって真実よりも崇高なミュトスなのです。
 
 この家賃0円ハウスの連載を読んで、現在10名の方から入居したいと連絡がありました。この連載を読むまで、わたしのことを全く知らなかった人たちです。若い人のクレイジーな感性にわたしも大いに感化されています。改装前なので部屋数が確定していません。おそらく8部屋の個室がつくれそうですが確定ではありません。2、3部屋は突発的に困った人が現れたときのために空けておくことにしました。ですので入居希望の10名から5名だけ選ばせていただきました。5名の人たちはこれから遊びに来てもらいます。じっくり話を聞きたいと思っています。わたしは作家が仕事で編集もしたことがあります。文章を読むとその人に人間力がわかるようになってきました。先ほどのドゥルーズのテキストでも話す力というワードがありましたね。書く力はもっと鮮明にある気がしています。わたしが選んだ5名はどちらかというと書く力に隙間があると感じた人たちです。選ばなかった5名は、どこに住んでいてどんな仕事をしていて何歳で、家賃0円ハウスに住んで何をやりたいかを明確に書けていた人たちです。あと楽観性やテキトーさも兼ね備えている文面でした。彼らには真面目社会を生き抜く力がすでにあります。わたしの家賃0円ハウスに住む必要はないと判断させていただきました。わたしはどちらかというと生きる力の器がまだ小さくて、これから大きくなりそうと感じた人を選びました。あとは真面目すぎて苦しんでいる人です。わたしは普通の面接と真逆の基準でこの家賃0円ハウスの住人をこれからも選ぶつもりです。家賃0円ハウスは能力や価値なんぞなくてもいい場所です。生を肯定する場所です。自分を赦してあげてください。肯定的な創造の経験を通じて、喜びを産出してください。あなたたちが弱さを弱いままに、人に優しく出来るようになったら最高だと思います。

 前回の連載は行政書士の村上裕紀さんに相談に行くところで終わったと思います。村上裕紀さんも因島に農業体験ができる仮住まいを作ろうとしていたそうです。家賃0円ハウスにその意思は一部受け継がれることになります。村上裕紀さんを柔軟で知恵の幅が広い人でした。わたしの少々、荒唐無稽なアイデアをすべて面白がってくれます。

 家賃0円ハウスにも1000坪の土地の登記が農地で登録されています。わたしはその土地で畑をするつもりでしたが、農業で生計を立てる気はありません。だから農地よりも森林で登記し直した方がいいんじゃないかというアドバイスをある人から受けました。
 家賃0円ハウスの予定地の年間の固定資産税は3万円ほど。少しでも安くなった方がいいです。残念ながら書き換えの申請はわたしに家が譲渡されてからしかできないそうです。一旦、譲渡の手続きを済ませてしまえば、あとは自分の書き換えられるタイミングで申請すればいいだけです。森林への書き換えはあとですることにしました。とりあえず今から農地の事業計画書を書かなければなりません。と言っても家庭菜園で畑をやるだけなので、その趣旨を書けばいいだけです。
 家主さんと電話で話をしたときに「タダでもらってほしいんですが、足は出したくないので譲渡にかかる費用はすべて村上大樹さん持ちでお願いします」という条件で交渉が進んでいます。以前に譲渡の登記の書き換えなどは、わたしと妻のミワコちゃんの2人でやったことがあります。自分でやればタダです。行政書士にお願いすると、税金など合わせて20万円くらいはかかります。やり方は簡単です。税務署に予約をして書き方を教えてもらってください。無料で教えてくれます。「なるべく節税したい」という意思をはっきりと税務署の人に伝えてください。すると税務署の人は法の抜け道を嬉しそうに答えてくれます。お役所に勤めている人はわたしの偏見かもしれませんが、きっと仕事に退屈しています。あなたはアウトローになって相談してみてください。すると退屈している人はワクワクします。ワクワクはその人が持っている知識を超えたものを引き出します。知識を超えるものってなんでしょうか? この連載を通読している人ならもうわかりますよね。それは知恵です。知恵は知識を含んでいる場合もありますが、記憶だけが本体ではありません。あなたの体の奥底に太古の昔から潜んでいるものです。ワクワクすると自然反応を起こして、マグマのように知恵が湧きあがります。あたな自身がまずワクワクしてください。そうして道化を演じるのです。楽しい道化は真面目で社会性のある窮屈な場面であるほど力を発揮します。萎縮した空気はぶっ壊します。落語家のような気分であなたは喋ってください。面白いことを言う必要はありません。雰囲気だけでいいのです。その世界観で節税と譲渡の登記の書き換え方について聞いてください。すると役所の人はその世界観に巻き込まれます。人はワクワクをワクワクでかえすのです。すると簡単で魅力的な方法を教えてくれます。譲渡の手続きは自分でやることをオススメします。するとお金はほとんどかかりません。それにあなたは替えの効かない経験をすることができます。経験はあなたのうちから湧き出る水をより透明でしなやかにしてくれます。
 今回はなぜ行政書士に頼むかというと、その経験をわたしがしていなかったからです。わたしは自分で何でもやってみるという哲学をこの7年ほど徹底してやりました。今度はお金を渡して依頼してみるという行為をやりたくなっているのです。ずいぶんと単純な話ですが、すると楽です。自分に時間ができます。もっとやりたいことの時間が増幅します。お金がないうちは徹底して自分でやってみてください。わたしはどんどん貨幣を使ってみようと思っています。ただし物質にお金を使う気はありません。人にお金を手渡したいのです。いまその時期が来ているのかもしれません。
 
 家賃0円ハウスの改装もプロに依頼します。わたしの最新刊『生きづらくない人』でもインタビューした宮原翔太郎くんが主催の令和建設(元・パーリー建築)にお願いしました。

 翔太郎くんから新品の材料を、なるべく使わないように改装をしたいと提案がありました。いいですね。ウネリのある運動が起こっています。建築現場や空き家を解体したときに出る廃材を使ってリノベーションをしたいそうです。以前わたしも空家を一軒、費用を0円で改装してみるという実験をしたことがあります。材料費はほぼ0円でできました。ここ数年、もの凄いペースで空家は解体されて更地になっています。大工さんや解体業者さんに声をかけていれば、廃材は切符よく振る舞ってくれます。廃材は処分するのにお金がかかります。お金をかけて廃棄するよりかは「誰かがもらってくれたら助かるけえ! しかも廃材がまた新たな何かに生まれ変わるならうれしい」と言ってくれます。ありがたいです。それに因島には心優しい大工のC○さんがいるから大丈夫です。
 家をつくって壊す。一見無駄に感じる経済活動の中にも幸は溢れています。世界に対する働きかけて無駄が奇跡に変わります。
 翔太郎くんは、新品のチープな材料を買って安く材料費を済ませるのではなく、手間をかけるという時代に逆行したことをしてくれます。ドゥルーズの『フーコー』ではこう書かれています。

 物質を引き裂き、打ち砕かなければいけない。可視性は対象の形態ではなく、光や物に触れるときに明らかになる形態でさえない。それは光そのものによってつくり出される光度の形態であって、この形態は物や対象を、ただ稲妻、きらめき、輝きとして存在させるのだ。

 便利な物や、物質交換の損得でこの社会現実は真っ黒に淀みきっています。わたしは、翔太郎くんたちの材料費だいたい0円リノベーションに、光を感じています。光、稲妻、きらめきにこそに対価を手渡したいと思っています。翔太郎くんたちの改装が楽しみです。ワクワクしています。

 じつは1月8日に遊びにきてくれる予定の子がいました。その子の書いた文面からの想像ですが(何せ隙間や余白が大いにある素敵な文章のため、わたしの読解を含みます)真面目に働きすぎて辛くなり鬱になって仕事をやめてしまったようです。半年以上もニート生活をしたものの鬱は良くなりません。そのタイミングでこの連載『家賃0円ハウス』に出会ったそうです。そして勇気を出してわたしの元へメールしてくれました。彼の勇気を最大限に讃えたいです。書くという勇気。伝えるという行動を彼は起こしたのです。
 ところが緊急事態宣言が1月7日に発令されてしまいました。予定のたたない社会になってしまいました。入居希望者の3名が1月に因島に遊びに来てくれる予定でした。誰も遊びに来れません。楽しみにしていたので残念です。
 でも大丈夫です。今年も春から真冬になるまでは、わりと気軽に動けると思います。5月から11月は確実に大丈夫です。その時期に予定を立ててください。行動は汚れでも悪でもありません。そもそも他者を悪と思うその心が悪なのです。行動は最大の流れです。最大の歓喜です。風にのって生が解放される瞬間なのです。
 
 早ければ2月中旬から、家賃0円ハウスの改装費用を集めるためにクラウドファンディングをします。去年の年末にレディーフォーの徳永さんと打ち合わせをしました。彼はわたしの書いた本『めにみえぬものたち』のクラファンをしたときに担当してくれて成功に導いてくれた縁の下の力持ちです。まだ若いですが、ものすごく鮮明に社会を見ています。
 家賃0円ハウスのアイデアを面白がってくれています。いま住宅に関するクラウドファンディングのムーブメントが起こっているそうです。去年には路上生活をしている人を支援するNPO団体が立ち上げたクラウドファンディングがあったそうです。いまコロナだけではありませんが、職や家を失う人が増えているそうです。一度、住所を失うとふたたび雇用先を見つけるのも困難になってしまいます。住所不定になってしまった人に、借り住まいを提供するということをずっとやってきたNPO団体が立ち上げたクラウドファンディング。さらに家を確保するために、支援を募っていたそうです。支援総額が1億万円を越えたそうです。素晴らしいと思います。住所不定のサイクルに落ち込んでしまう人を助ることができます。わたしの家賃0円ハウスもそういった使い方も歓迎しています。個別で8部屋つくれたら、5部屋は若い人に住んでもらって、駆け込みの人のために3部屋は空けておきます。

  今後の予定は

 ・2月中旬〜3月末|クラウドファンディング|譲渡の手続き完了|畑の開墾作業  
 ・4月〜5月末|改装作業|自家発電のための電気工事|畑作業

 ・6月|家賃0円ハウスオープン

 早く進めばこんな感じです。あくまで予定ですのでずれ込むこともあります。新規の入居希望者は現在募集していません。変更がありましたら再度、募集することもあると思います。そのときは気軽にお問い合わせください。

 ここで第4回の連載を終えるつもりでしたが、もう少し書きたくなりました。またまた大いに脱線しますね。いいことだと思います。最高に楽しいです。まだまだ書けそうです。もう少し感覚に体をあけ渡してこの先も書きます。

 去年のクリスマスの出来事でした。わたしは東京で友人夫婦のクリスマスパーティーに招かれました。その夫婦には11歳の娘さんのゼロちゃんがいます。ゼロちゃんは天才的な感性の持ち主です。
 ゼロちゃんは感覚的に掴んだ言葉を紙に書いて箱の中に入れます。紙は箱の中に100枚近くは入っていると思います。ゼロちゃんは箱を上下や縦横に揺らします。言葉を揺らしているのです。毎朝、1枚引くそうです。その揺さぶられた言葉に感化されてゼロちゃんは今日をどう生きるかのヒントにします。ただの占いのような気もしなくはないですが、一つだけ大きく違うところがあります。それはこの箱の中の言葉は、ゼロちゃん自身が楽しさや気持ち良さを感じて書いた言葉なのです。

「1日1回しか引かんほうがええな。なんか大切なものが薄まる気がする」

 ゼロちゃんはそう言います。確かにそうかもしれません。何度も引くと言葉をコントロールしようとする意識が強く働きます。それでは言葉を感覚化できません。わたしたちも引いてみることにしました。わたしはさらに言葉をゆらすために、紙を1人が2枚引くことを提案しました。
 パーティーには友だちのサシちゃんも来ていました。サシちゃんは少し悩んでいるようで、その話をみんなにしていました。サシちゃんの職場で仲の良いアサちゃんがいます。アサちゃんは30人もいる大きな部署の責任者に任命されたそうです。サシちゃんはアサちゃんの責任者になってから愚痴を毎日聞かされていて辛いそうです。サシちゃんはゼロちゃんの箱の言葉の紙を2枚引きました。

〝friend〟〝trust〟

 という言葉が2枚の紙に書かれていました。直訳すると、

〝友〟〝信じる〟

 その言葉を引いたサシちゃんは、なんだか憑きものが取れたような顔になりました。
「わたし友だちを信じることを忘れてた……」
 〝friend〟〝trust〟を引いてからサシちゃんは心が浄化されたそうです。いまはアサちゃんのことを信じて応援しているそうです。

 わたしも箱を大きくふりました。

〝Reality〟〝Water〟

 という紙に書かれた言葉を引きました。
 
〝現実〟〝水〟

 わたしは、ハッとしました。それは現実というものをもう一度、問い直さなければいけないと、強く感じていたからです。社会現実はいくつもの層に重なったフィクションで出来ています。記憶によって書かれた言葉は何かを創り変えます。袋小路に迷い込んだフィクションから現実を見つけ出すのは困難です。本当に困難な社会になりました。信じていい社会の概念は一つもない。わたしはこの損得でできた社会に体を完全にゆだねられることは一つもありません。
 ですが目の前の風景を見ることを触れることを忘れてはいけません。〝Reality〟は空から降ってくる〝Water〟(雨)です。河を流れる水です。水は変幻自在です。人間も水で出来ています。〝Water〟(涙)が流れます。水に嘘はありません。水は大自然です。大自然の運動には何も嘘がありません。社会現実のフィクションは自然であることの恐れからやってきます。ミュトスは自然から湧き上がってくる生の肯定からやってきます。言葉が感覚化した流れと運動の世界です。

 友だちから「濃厚接触者になった」と連絡がありました。その友だちの家の1階がガラス貼りになっています。ガラス越しに会いたいと連絡がありました。友だちはPCR検査を受けていて陰性の結果でした。検査が陰性なら「ガラス越しじゃなくてもいいんじゃない?」と友だちに返事しました。しかし友だちは「保健所から指示があってPCR検査の結果では不検出の場合があるため念のために2週間は自宅待機といわれてるから……」と。友だちはわたしの家族にも気を使ってくれています。わたしはその気持ちをとても嬉しく思っています。友だちは優しいからガラスを越えてくることはないでしょう。ですがわたしは「いつでもこちらに来ていいからね」と伝えました。友だちは目をウルウルとさせていました。涙という〝Reality〟〝Water〟がそこにありました。わたしは彼女の涙には現実があると感じました。彼女は決して汚れた存在ではありません。
 PCR検査では、ある程度しか真実に迫れないということだけがハッキリわかりました。検査結果には数値があるだけで〝Reality〟〝Water〟がありません。人間が意識的につくり出したものは全てある程度しかわからないのです。参考程度にしかなりません。体系化した科学や医学が役に立つときも多いにありますが、それらは神でも真理でもありません。いまの人々は、不確定なものと恐れを中心に統治しようと過ぎています。フーコーは「恐れによって統治しようとする意識」に権力の根源があると哲学しています。

 意識を暴走させた社会の混乱は、まだまだ収まりそうもありません。わたしの父ヒロシもコロナ意識社会にときおり情緒不安定になっています。『めにみえぬものたち』という本で書きましたが、父ヒロシは統合失調症でした。
「電波が襲ってくる」
 と父ヒロシは13年ほど前に暴走します。定年退職後の話でした。わたしは4年くらい前に父ヒロシのことを書き始めました。ちょうど、ゆもちゃんが1歳くらいのときでいした。ゆもちゃんが何もいないはずの空に向かって、バイバイと手をふり始めたのです。わたしはゆもちゃんの手と目線の先に何かがいるような気がしました。そのときに「電波に襲われる」と叫んだ父ヒロシの過去を思い出したのです。目に見えないものが見える。それは感度が高いからではないか? 統合失調症は病気ではなく豊かな感性なのではないか? という仮説のもと『めにみえぬものたち』という本を書きました。いまはその考えに変化があります。幻覚や幻聴やモノノ怪や小さいおじさんが見えても楽しい気分なら、それは病気ではなく感性だと今も感じています。ですが潔癖症になりすぎた精神が外敵を自らでつくり出して、その攻撃に恐れを感じているなら病気です。直ちに対処する必要があります。いまの社会もウイルスにウイルス超えた潔癖フィクションの恐怖をつくり出し、統治するという分裂した病に犯されています。
 父ヒロシは畑を始めて統合失調症が治りました。意識を土に還すことができたら、社会の病も治るかもしれません。いまの父は幻覚や幻聴も聴こえないし、不安や恐れから暴言を吐いたり陰謀論を創り出したりしなくなったのです。父ヒロシにとって畑は何なのかを聞いたことがあります。

「自然のなかに詩を発見することじゃな」

 父ヒロシは息を吐くように呟きました。

「土に触っていると、すーと抜けていくんじゃ、怖い気持ちが。植物に触ると静かな気持ちになれるんじゃ」

 父ヒロシは畑の土にふれながら空を見上げてそう言いました。テレビを見て混乱しても父には畑があるから大丈夫です。社会が混乱していても、あなた自身はその恐れから抜け出せることができます。土に触ってください。植物や動物や昆虫に触れてください。社会を土に近づけるために水のように踊ってください。自然のなかに詩(ミュトス)を発見してください。鉢植えに咲いた小さな花でもかまいません。世界に感化されて何かを描いてください。大声で空気をふるわせてください。あなたも友だちや恋人も汚れていません。手と手を触れ合ってください。全身の力を抜いてください。からだとからだをふるわせて汗(Water)をかいてください。わたしたちは大自然そのものなのです。雪を体に吸い込んで歌ってください。都会でもときおりマスクを外して冷たい空気を、めいいっぱい飲み込んでください。太陽に手を伸ばして光を掴んでください。すると家賃0円ハウスがあなたの前に立ち現れるはずです。

 随分と今回も脱線してしまいました。本当は畑の楽しさを書くつもりでしたが、1ヶ月も原稿を書かなかったもので、ずいぶんと新しい知恵が体に溜まっていたようです。脱線した結果、畑の豊かさについても書けました。脱線は世界の湧水です。〝Reality〟〝Water〟です。流れるように生きてください。道から外れてもオッケーです。マトから外れまくって世界を感じてください。常識を無視して世界に触ってください。そうやって生きると、この社会でも生き延びることができます。

 石は生きていないがゆえに、石が死んでいるということはありえない。

 ハイデッガーのこの哲学に応答して、ジャック・デリタは「生」とは「その本質において」何であるか、「生けるものの生ける本質」とは何であるのかという問いを立てます。デリタの哲学は難しすぎてわたしには理解できているかすらわからないですが、「生」の拡張に本質があるような気がしています。生そのものの感覚を延ばす。死のあとにも生が生き延びるということ。

 この社会をみんなで生き延びようね。

 家賃0円ハウスの入居希望は終了しましたが、何か現状で困っている人はお知らせください。できる限りの知恵を渡したいと思っています。気軽にテキトーに楽しくご連絡をください。

 090ー6735ー5815
 chiisaikaisha@gmail.com


 それではまた次回の連載で。


↑村上大樹の運営している出版社チイサイカイシャプレスです。売上の一部は家賃0円ハウスの資金になりますので本を購入いただけるとうれしいです!!!!!

さらに来年2022年からZERO PROJECTというオンラインサロンを本格始動します。


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