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脳みそダダ漏れマガジン

僕が大学教員として、また家庭の主夫として日々考えていることのまとめです。内容は育児とダイエットと読書感想文が多めで、分野はあまり統一されてません。あとは数学とか、経済学とか、そう…
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#大学生

気楽な不自由と、不安な自由って話

昨日の授業は前期の最終回だったので、授業の終わりに少し話をした。 不自由の気楽さと、自由の不安について。 生きているうちに、人はさまざまな選択をしなければならない。その選択を他人にしてもらうのか、それとも自分で行うのか。 啓蒙思想の力によって、あらゆる人は自由に生きられるということがわかってしまった。そして、それに普遍的な価値を置くような世の中になった。 我々は自由であるべきだし、自由であることが素晴らしい。近代国家の教育課程において、このことを教えない国はおそらくど

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数学の、授業にてって話

数学が苦手な人は多い。 数という漢字を見た瞬間に「あっ無理」って思ったり、 数式を見たとたんに脳にシャッターが降りてくる人もいるだろう。 あたしも別に数学科の出身って訳じゃないし、 すげー数学ができるというわけではないが、 まーいちおうそれなりに仕事でも使ったりするわけで、 一応一通りのことはできるし知識もある。というわけで、職場では数学を教える授業も担当したりしてる。 教員も10年ほどやってればいろんな学生に出会うが、 残念ながらこれまで数学好きの学生にはほとんど

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読書感想文12

4月もとうに過ぎ去って、、今日は1月1日から数えて128日目になるそうで、1年の3分の1はとっくに終わってしまっているようだ。 なんということだ。 昨年度よりも授業が1つ増えて、学内の動きの中にセットされることも増えて、上半期中に会社を作る予定もしていて、物理的にも精神的にも昨年度より余裕がない。 そのぶんムッスメが1歳を取り(言い方www)、1人でできることがかなり増えたので(夜中にちゃんとトイレに起きるようになったし)そっちへ振り向けていたエネルギーをこっちに付け替

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!が重要だと思うって話

別に特別好きなわけではないが、一応それなりに工夫はしているつもりである。 授業の話だ。 一応これでも大学教員なので、学生相手に授業をする。 小さな私大あるあるで、いろんなジャンルの授業をやることになるのだが、どの授業でもどうやって教えたもんだかあれこれと考えるわけだ。 教員も10年以上やっていると、どんなことに学生が食いつくかそれなりに当たりはつくもので、やっぱり学生自身が「!」と思うときに、それは強くなる。 その「!」はどこからやってくるかというと、少なくともあた

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コミュ力向上のために必要なのは他者との会話の機会なのか?という話

コミュ力(コミュニケーション能力)を高めたいです。 こういう相談はとても多い。おそらく学生がする相談の中でもトップクラスで多い類なのではなかろうか。 で、そういう学生はたいてい「なので、人と話す機会をたくさん作りたい、そういう場に積極的に出るようにしたい」と言う。 おそらく、コミュ力は話すことで高められると思っているのだろう。 もちろんそういう側面はあるだろう。話さなければコミュニケーションを成立させる場面自体を作り出せないのだから、話すという行為を実行することはそれ

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今年も終えた、アレの話。

このシーズンは、アレがやってくるので大学4年生はだいたい戦々恐々としている。 アレとはアレのこと、つまり、卒論である。 書く側にとっては苦痛でしかないアレだが、 面倒見る側にとってもこれはなかなかにアレな作業である。 色んな意味でアレなのだが、毎年思うことがある。 それは、「文章能力で社会的評価が決まってしまう可能性がある」ということである。 このことに関して面白い動画があった。 (クリックするといきなりホストが出てくるが、そういう動画なのでびっくりしないでほしい)

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今年も彼らは変わっていく

今年度のゼミも、半年が経過した。 毎年これくらいの時間が経過すると、学生の変化も目に見えてくるようになる。どんなふうに変わったか、今回はそれを綴ってみよう。 その前に、そもそも大学のゼミというのは、というところを少し。 大学におけるゼミとは大学にはだいたいゼミという制度がある。通常の授業は科目名があり、学生はその科目を学ぶために教室へ行く。高校までのイメージと同じだ。 一方ゼミとは、教員の研究内容とかその他やっていることに興味がある学生が、その教員を選んで研究室に入る、

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卒論添削譚

1月末。卒業論文の季節である。4年間の学びの集大成、などと言われながらも心の中では「果たして集大成するほど何か学んだだろうか?」と身も無ければ蓋も無い思いを胸に秘めてキーボードを叩いたものである。 卒論は果たして学生が執筆するものであるが、そこには当然伴走者というか、軌道修正担当者というか、ダメ出し請負人というか、学生が執筆した原稿を添削する教員がいる。大学教員生活10年目の僕は、9回目のこの季節を迎え、そして昨日その季節が終わった。 *赴任当初の年度には4年次の担当学生が

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勉強することの意味を勉強する その3

はじめに このシリーズは、勉強の意味について考える一連の論考である。 すでにその1とその2で書いていることだが、大学教員をやっていて夙に感じるのは、現代社会での勉強に関するモチベーションの持ちにくさである。 勉強が好きか嫌いかという線引きの話ではなく、勉強が好きな人でも「なぜそれをやっているのか?」と考えたときに自分を支えてくれる根拠というかロジックというか、そうしたものを自分の中に作り上げるのがむずかしくなってきている。 それは時代背景が変化したことと大きく関係して

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